今日は終戦記念日、関西テレビで大阪の空襲後廃墟となった写真と大阪城の第4師団司令部の防空壕跡にカメラが入った報道があった。
それで思い出したことは親父が昭和16年から終戦まで第4師団司令部に勤務していて、丁度終戦の前日その防空壕で爆弾の直撃を受けて生き埋めになったことである。何とか這い出したが足を捻挫、足を引きずりながら10Km離れた自宅まで歩いて帰って来たのが15日の朝はしばらくして終戦の詔勅を聞くことになった。もう少し着弾位置がずれていたら終戦の前日に死んでいたところだった。
もっとも、親父が死にかけた防空壕が今回報道されたものかは不明である。親父が生きておれば確かめられたのであるが11年前に亡くなっている。
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