十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

秋月龍珉師の「誤解だらけの佛教」15

2018年05月20日 | 佛教

輪廻説の実存理解

「輪廻」は古代インドの神話だと言った。現代の佛教徒がそれに固執する要はない。はっきり言って、私は佛教の大事は初期佛教の「無我」説(必ずしもいわゆる「縁起」説にかぎらない)と大乗佛教の般若「空」観だと思う。だから、初期佛教の「アビ・ダルマ」である小乗佛教の諸説にも執われないし、いやそれだけでなく、大乗空観(中観)の「アビ・ダルマ」だと称される唯識説でさえ、佛教哲学の一説としか認めていない。

だから、私にとっては、「釈尊-龍樹ー達摩-慧能」が大事な佛祖であって、無着・世親(まして玄奘など)にも、必ずしも執われる要はないと考えている。大乗唯識は貴重な伝統説ではあるが、必ずしもあれだけが佛教の哲学説の唯一の学説ではない。


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(一法のコメント)

因みに大蔵経のデータベースで「輪廻」「輪廻転生」「転生」という言葉について、検索してみた。

ヒット数は「輪廻」が27件、「輪廻転生」が1件、「六道輪廻」が1件、「転生」が2217件である。

経典の中には輪廻転生や六道輪廻なんて言葉は何かの拍子に紛れ込んだに過ぎないのである。

では転生が生まれ変わりを意味するのかと必ずしもそうではないようである。

ただ、「輪転生死」という言葉が239件あるが、これが輪廻転生を意味するのか?マークである。

とにかく、1件しか出てこない輪廻転生をなぜ佛教説とするのか、おかしな話であることは知っておいてほしい。

http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php

諸兄も何かあればこのデータベースで調べて見られるとよい。近頃は「瞑想」という言葉がよく巷で用いられるが、一度検索されると良い、1件もヒットしないのである。「冥想」なら6件出てくる。たった6件である。

コメント
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