十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

独坐大橋下

2010年05月16日 | 佛教
  「一日作さざれば一日食らわず」という有名な言葉を残した唐の禅僧 百丈懐海 の言葉で他に「独坐大雄峯」というのがある。

 ある時僧が問う「如何なるか是れ奇特の事(特にすぐれて意義のあることは何か)」のきりこみに、百丈は「独坐大雄峯(ただひとりこの大雄峯に坐していることのほかに、特別に奇得なことなど何もない)」という揺るぎのない境地を語ったということだが、

 私は大雄峯とは単なる百丈のいた山の峯ではなく、それは「時空の中心」と解すべきと思う。そう言った方がピンと来る。言い換えると「宇宙の中心」(宇は空間、宙は時間を意味する)に独りデンと坐って宇宙全体を睥睨している。

 別に山の上でなくても自分がいるところが百丈の言うところの大雄峯でなければないらない。

 昨日、枚方大橋までサイクリング、橋の袂で柵にもたれてじっと小一時間ほど坐っていたが、坐る姿勢・態度は坐禅ほどきっちりしたものではないが、まあ、言わば「独坐大橋下」である。

 橋下でも「時空の中心」、「宇宙の中心」ということでは、百丈と何ら変りない。時空の中心をキープすることが一番大事なことなのである。

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