2月11日(祝・火) 曇
御殿場の田舎はやっぱり寒い!
御殿場の田舎に来ています。今日の御殿場の昼の気温は3、5℃だったそうです。富士山の頂上は雲で見えませんが麓まで雪が積もっているようです。静岡のTVでは河津の桜が咲き出したそうですが、こちらはとても桜どころではありません。畑はネットで囲ったところは無事でしたが、畑の周りはイノシシに掘られて大変です。毎年フキノトウが出るところも半分は掘り起こされて、今年はフキノトウはダメかもしれません。まぁもう2週間ぐらい経たないとわからないですが・・・。
今回は町内会費、母の施設の支払いや町役場に行って母の障害控除の申請などの用事を処理し、梨の元肥、枯れ木の焼却などできたらと考えています。まぁ寒いので温泉通いになってしまうかもしれません。
2月9日(土) 曇
お千代保稲荷神社っておもしろい
昨日大垣に行く予定だったので少し早めに名古屋を出てお千代保稲荷神社に言って来た。話にはいろいろ聞いていたが初めて訪れた。それにしてもほとんど公共交通を使って行くことができない場所にあるのに賑わっている神社と言うのはめずらしい。車で行く人ばかりなのでしょうが、自分はバスと徒歩で行くしかありません。大垣駅から名阪近鉄バスで40分、そこから歩いて50分。しかもバスは1時間に1本、歩くのは田んぼの中を50分も歩くことになってしまった。風が冷たくて引き返そうかと思ったけど男子たるものそう簡単に引き下がる訳にも行きません。そんな辺鄙な所なのにお千代保稲荷神社の参道は賑やかそのもの。自分は屋台が並んでいるとばかり思っていたのですが、軒を並べた食べ物やばかりが神社を挟んで100m以上並んでいます。そのほとんどが名物の串カツ、なまずのかば焼きなどを出しているようです。
まぁともかくお稲荷さんにお参り。これがまた面白い。神社の入り口で油揚げに藁縄を通したようなものとろうそくを購入してからお参りするのだそうです。おばちゃんに聞いてから神社内に入ったのだけどろうそくにどこで火をつけるのかわからずとりあえずそのままろうそく台に置いて、油揚げを供え二礼二拍手一拝。商売はしていないけど商売繁盛祈願。
平日の夕方とあって早々に店仕舞いする店が多い中、7.8人が入っている串カツ屋に寄ってみた。串カツとどて串を注文。いやぁ中々美味。大垣に戻ってから飲むと言うのに・・・。せっかくもう少しと思っていたところで、もう閉店するからと。まだ午後4時なのに。どうも土日や月末以外は昼しかやらないようです。今度来る時はもう少しゆっくり堪能したいものです。
それから元来た道を1時間歩いてバス停に。でもバスが無い。結局寒い中を一人40分待ってやっと大垣に戻った。
今回初めてお千代保稲荷神社に行った訳ですが、あんな不便な所にどうして人が集まるのか不思議でもありますが、そこに面白い食べ物屋がたくさん出ている事も不思議です。それに賽銭ではなく油揚げを供えると言うのも新鮮。食べて商売繁盛も中々面白い。
待ち合わせ時間には少し遅れたけど、お湯割りの焼酎と上手い料理で足の疲れも取れました。そして今年のヨットの整備方針等々一応確認できました。あとはマリーナに出向き、段取りをつけるだけになりました。まぁあとの問題は走りながら対処するしかありません。
今日は鼻水たらたら気味ですが、明日から御殿場の田舎に行きます。町役場に行ったり、母の施設の支払いに行ったり、今月も田舎でやらなければならないことができました。
2月8日(金) 曇
懸案事項と確定事項
いくつになっても懸案事項ってあるものですね。私の手帳には既に決まった予定を入れることにしている。ところがどうするか迷っていることややることは決まっていてもいつにするか決まっていないこと、更に解決策を模索していることなど懸案事項にはいくつかのレベルがある。また既に決まっている事にも準備が必要なこともある。もっとも既に決まっていることは期日に合わせ最優先でやることができる。問題は解決策を模索している懸案事項には結局ずるずると模索が続く。
このようにたくさんのやらなければならない事を処理して行くために自分は昔からメモ用紙に書き出していつも見える所に置いておくことにしている。田舎でやらなければならないことは田舎のテーブルの上に、名古屋でやらなければならないことは名古屋の机の上に置いてある。
いくつかあるやる事メモから一つずつ消化するのだが、どうしても即決できることから消化して行くことになる。そして完了した事は線を引いてある。まぁこれで大概の事は日々消化できるのであるが、模索中の事はいつも消えずに残っている。実はこれが心の雲になっているようだ。スッキリとした晴天の日は中々訪れないが、まぁこれが生きていると言う事なのかもしれない
今日はその中の一つである趣味のヨットの存続について大垣のメンバーに会って来るつもり。ほぼ目処が立ったと言うものの実はまだ今までのようには存続出来ない訳です。運営経費の削減やら整備方法やらまだ懸案だらけ。まぁギリギリの予算になってしまったのでもっと知恵を出すしかないけど知らない人にはわからない事だから・・・。
2月7日(木) 曇
捨てきれない物があるのは?
断捨離と言う言葉はまだ広辞苑には掲載されていないが、世の中では一般的に使われるようになっている。不要な物を減らして生活に調和をもたらそうとする思想と言うことだそうだ。でも我々の年齢になった者は不要になった物を捨てて、死後に残された者に迷惑をかけないようにすると解釈している。言われていることはもっともな事ではあるが中々そうはできない自分がいる。今はまったく使わなくなった道具、本、資料等々の中にどうしても捨てきれない物が存在する。それが一つ、二つなら良いのだがいくつもあるから始末に負えない。
学生時代の趣味の道具、研究のために集めた資料、本、会社員になって自分が担当した事業に関する資料や参考本、設計した設計図、制作した電話機、趣味にしていた紙飛行機の型紙やコントラクトブリッジの本や資料などなど使うことはないのがわかっていながら中々捨てられないものである。押し入れが一杯になる度に田舎の物置や書斎に運ぶだけで捨てることがない。
そして今も何か新しいことを始める度にぞくぞくと増え続ける道具や資料。家族からは、今は捨てるのにもお金がかかるのだから生きている内に捨てろといつも言われながら無視し続けている。
まぁ分かっているのにできない理由は何なのだろうと考えるに自分は多分ナルシスト的懐古主義に陥っているのだろう。まぁこれまでの人生において激変する出来事も無く、ダラダラと凡人的に過ごして来た故の結果なのかもしれない。
2月6日(水) 雨
たして上手い歌、ひいて上手い歌
最近テレビで歌番組を見る機会があった。若い頃にはよく意味もわからずによい曲だと思っていた曲がこの年になってやっぱりすごく心に響く上手い歌だったと改めて思うことがある。
こんなことを書くと何?えっと思う人もあると思う。
たまたまテレビ番組でちあきなおみさんの名曲を放送していた。まぁずっと昔に突然歌謡界から姿を消してしまったけど、美空ひばりのあとはちあきなおみだと言われたこともある玄人受けする歌手だと自分は思っている。まぁ今はリズムが全盛期だと思うが我々の世代はどちらかと言うと歌詞を大事にする。その歌詞をまさにドラマのように歌える歌手は意外と少ない。ちあきさんはまさに歌詞をドラマのように歌える歌手だったように思う。
「喝采」がレコード大賞となったのも今はうなずける。当時は小柳ルミ子さんの「瀬戸の花嫁」が人気があったように思ったけど、当時の審査員はよくわかっていたのかもしれない。まぁ他にも晩年に歌っていた歌はあまりヒットしなかったけど意外と聞かせてくれる歌が多い。まぁ「矢切りの渡し」などは他の歌手で良く知られるようになったけど、それは梅沢富美男一座が使ってからなのだそうです。まぁ自分が良く知っているのは「四つのお願い」とか「雨に濡れた慕情」などだったけど結構良い歌があるのを今回知った。
言ってみれば大概歌が上手いと言われる歌手は足して(足し算)上手のような気がするけどちあきなおみさんは引いて(引き算)上手な稀有の歌手だったような気がする。
2月5日(火)
物持ちが良いのか整理下手なのか?
科学館のボランティアの予定も俳句の会の予定も片付いて、ホッとした勢いで飲みすぎたかもしれない。今日は完全休養日になってしまった。と言うことでいろいろ片付けをしだした。押し入れにしまっていた衣類を出してみると夏物と冬物を分けて入れてあったはずなのになぜか夏物の引き出しの中に冬物があったりで、仕分けし直す。確定申告が迫っているので医療費の領収書を整理しだしたらまぁたくさんあること。病院別、日付け別に整理するのにずいぶん手間取ってしまった。内科、整形外科、総合病院、歯科、眼科等々年々増えている。困ったものです。
まぁ狭い私の部屋は捨てきれない物の倉庫のようなものです。物持ちが良いと言うのか整理下手と言うのかいろいろな物が混在して、暇になると整理しているのだが一向に片付かないようです。自分がやらなくなったものはその都度田舎に持って行くのですが、いつの間にかまたいっぱいになってしまいます。その一番が本類かな。まぁほとんどが捨てきれずに持っているので家族からはいつもドウスルノ!と言われるのだが、そんなに簡単に捨てきれないのです。まぁ自分史博物館のような物です。おかしなことに昔のレコードプレイヤーもないのになぜかLPレコードが2,30枚ほどありました。確かいらないレコードは田舎に持って行ったはずだけどお気に入りの物だけは手元に置いておきたかったのでしょう。まぁすべてがこんな調子だからゴタゴタするのは仕方ないのかな。いつか思い切らなければと思いながらも・・・・・。
2月4日(月) 晴
俳句が作れる人と作れない人、俳句の分かる人と分からない人
今日は月に1度の俳句の会。昨日から何とかひねり出そうと四苦八苦。いつものことであるがいろいろ考えたり、漢字を再確認するのには貴重な時間。実はパソコンやスマホを使っていると漢字は読めるけどいざ書こうとすると書けない事が多くなっている。まぁそんな意味もあって続けているのだが、どうも自分は俳句の作れない人だと思う。
「物をよく見て、深く感じて、しかるのちに句は作って下さい」と言われるが、どちらかと言うと物をボーと見てあまり感じることも少ない。だから旅行をしたり、非日常的な経験に対しては少し作ることができる。しかし寒い冬や暑い夏はあまり非日常となる行動が少ないので余計に難しい。俳句の作れる人と言うのは日常の行動の中に感性を働かせることができる人なのかもしれない。
ところで俳句がわかると言うことと俳句が作れると言うことは必ずしも一致しない。俳句の本を読んだり、俳句の会でいろいろ指摘されてわかることは多い。つまり俳句に接する機会がそれなりにあれば俳句はわかるのです。自分も何年か俳句に接してきたのである程度はわかる人になっているとは思う。まぁ世の中には作家と呼ばれる人と評論家と呼ばれる人がいるように両者は次元が違うことだと最近思う。それなりに続けていればわかるがどうもそれだけでは作れないようだ。
まぁそれでも一人ではとても続けられないことが月に1度できることはありがたいことだと思う。
2月2日(土) 晴
ものづくりボラもヨットも継続することに
新しい年を迎えて懸念だらけでしたが、2月に入りほぼ新年度(4月~)の活動が決まり始めました。まぁ優柔不断なことと皆さんは思うでしょうが、個人的な事はともかくグループの中でやっていくことは経済面、個人計画との兼ね合いなどいろいろ考えることも多いのです。
まずものづくりボランティアは本日定例の会議があり、担当が5月と来年の2月にほぼ確定しました。5月は茶摘みと重なってしまうようで少々厳しくなりそうですが、承諾してしまいました。折角始めたことですから1年で止めにするのも情けないことだし、もう少しものづくりのバリエーションも増やしたいと思っているので継続することにしました。まぁあとは自分の都合の良い時に小学校等に行くことにします。
それからヨットの方は運営経費不足のため止める予定でしたが、メンバーからの申し出により運営経費の協力をお願いしていたところ何とか目処が立ちました。もっとも従来ベースの運営には少し不足しているのですが、ゲストの協力があれば何とかなると言う判断です。まぁ見切り発車ですが、18歳から始めたヨットが70になってもできるのは応援してくれる仲間がいたからです。H木さん、I吹さん、Y田さん、M島さんほんとうにありがとうございます。年金生活者となっても趣味のヨットが続けられること自体贅沢なことです。今年はボランティア同様、集う人たちに一層楽しんでもらえるよう頑張ろう。もう明日はないかもしれないのだから。
まぁいろいろ悩みながらまた前年同様の年になりそうです。個人的にゴルフ、俳句もやり、城巡りの旅も少し入れて、田舎では野菜作り。更に加えてものづくりボラとヨット。
と言うことで平成後の新年度も忙しくなりそう。予定に追われて病気などしている暇はなさそうです。
2月1日(金) 晴
保身のためなら秘密保持も怠る教育者???
小学4年生の子供が父親に殺されてしまうといった何とも悲しい事件があったようだ。最近自分はボランティアで小学校の子供たちと触れ合う機会が多い。まぁいろいろな子供たちがいるけれどもどんな子供もそれぞれがかわいいと思っている。言うことを中々聞いてくれない子もいるけど、やさしく話しかけるとその訳がよくわかることがある。言われていることと違った方法を考えていることもあるのです。なるほど・・・でもそうやったらあとで○○になっちゃうよ。などと言うと理解してもらえることも多い。ほらだめだったでしょ。と言って予備の材料で作り直してもらうこともある。
そんな経験から言えば自分の子供を怒って殺してしまう父親には憤りを感じるが、それ以上に腹が立ったのは子供たちから秘密にする約束でアンケートを取り、父親の虐待を知った教育委員会が虐待を受けている子供の父親にそのコピーを渡してしまったことだ。子供たちとの約束である秘密にすると言ったことを破り、しかもそれを虐待の当事者に渡すなど普通の人間でも考えられない。その結果子供が殺されてしまうと言った最悪の事態を引き起こしてしまったようだ。更に事が公になった記者会見では父親からの抗議に恐くなって渡したなどと自分の保身を強調している。本来子供たちの盾になるべき立場の人間がすべきことではないし、まったく普通の人間でも男子たる者なら絶対にやらないことである。
まぁ普通の人でも絶対にやらないようなこと平気でやるからニュースになるのだろうけど、これでは体を張って本当にきちっと対応している多くの教育者が浮かばれない。いじめ問題、虐待問題が毎年何件も不幸な事件となって報道される昨今ではあるが、組織防衛とか自己防衛ではなくもっとまわりを巻きこんで解決していくような環境にはならないのだろうか。組織と言うのはこんな事件が起こるとアンケート自体を止めると言った方向に行きがちです。そうではなくてもっと周囲に相談できる環境を整えたり、人事考課とは関係ないものにしなければならないと思います。
小学校の現場の先生方はほんとうによくやっています。まぁそんな中で自分一人では解決できない問題も多いような気がします。でも多分同僚は自分には関係ない、上司は組織の問題にするなと自分の人事評価を気にしてもみ消そうとするのが現実のような気がします。そうならないような仕組みづくりとトップの人間性がますます重要になっているような気がします。