”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話

2009年11月09日 20時06分37秒 | Weblog
11月9日(月)曇

今日も一日無事過ぎました。
今日は日本の神様の話をします。僕たちは現世利益の神々として七福神をよくお参りします。七福神と言えば大国様、恵比寿様、毘沙門様、弁天様、布袋、福禄寿、寿老人の7人を指す訳ですが、これらの神様は室町時代後期から江戸時代初期に作られた神様達です。江戸の町人が七福神の色紙を正月に枕の下に置いて初夢を見ると縁起が良いと言われ、年の瀬になるとみんなが七福神の色紙を買ったことから一躍有名になったと言われています。

今回は大黒様について話をしてみます。
大黒様(大黒天)は現在では因幡の白兎で有名な出雲神話に出てくる大国主命のように言われていますが元々は仏教伝来と共にやってきたインドの神様です。遣隋使として仏教を学び天台宗を開いた最澄が日本にもたらした神様なのです。当時の大黒様は三面で仏教寺院の台所の神として祀られていた神様だったそうです。比叡山の三面大黒が始まりだったと言うことです。

その後台所の神様として民間に受け入れられ、台所が食料に満ちていることを保証する守護神として台所仕事をする女性たちに祀られていきました。今でも寺の住職の妻を「お大黒さん」と言うのはそのなごりです。それがやがて台所の守護神から家の守護神となっていったようです。そこで一家の家計を支える人を「大黒柱」などと言うのですね。

それではどうしてインドの神様が大国主命と習合していったかと言うと大和の三輪明神(現在の大神神社)の解釈から習合していったと言われています。大和の三輪明神は元々大国主命を祭神としていたのですが、神仏習合思想の中で大国主命は仏教側の大黒天に相当すると解釈して仏神両方の信者を獲得しようとしたことから両者が一体化したと言われているのです。

日本古来の神を調べていくとどうしても外来神に行き当たってしまうようです。そう言う意味では我々の先祖は古代から外来文化を自分の中に取り込む天才だったのかもしれません。実は七福神もほとんどがインドや中国の神様です。恵比寿さんだけはちょっと違いますがこれも外来神の一種と言えますが詳しいことはまた次回お話します。

今日は大きな袋を肩にかけ、打出の小槌を持った大黒様にまつわる話でした。
この続きはまた明日以降です。それではまた。
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