5月22日(金) 晴
茶摘みはどこまで続けられるだろうか?
明日から静岡の田舎へ茶摘みに行って来ます。
田舎の家の裏にある茶畑は母の衰えと共に4年前から家族が茶摘みをしなくなったたため荒地になりかけたため3年ほど前から自分が剪定等の手入れを始めて何とか茶摘みができるレベルに昨年よりなった。ただ収穫量は全盛期の1/3程度になってしまったが摘む人がいないので当然のことなのかもしれない。ただ名古屋等から摘みたいと言う人がいる限りはそれでも良いと思っている。2年前は2人、昨年は7人、今年は4人か5人になりそう。昨年までは家族も一部手伝ってくれたが今年はみんなやりたくないと言う。農業を営む従兄弟はあんな儲からないものはないのでやめたと今は別の農作物を作っている。家族も毎年やってきてもう飽きているようだ。
昔はどこの家庭でも食事時を始め飲み物と言えばお茶を飲んだものだが、今はコーヒーや紅茶やペットボトルのお茶やドリンク類と何でもすぐに手に入る時代になった。従って中小の茶農家は効率の悪いお茶など作らなくなっている。年に一度しか採れない茶葉のために生産することができるのは大規模な農家や企業しかないのであろう。あとは敷地の囲い代わりに植えている零細規模な家の自家消費用ぐらい。自分の所も元々そうであったから続けていたのだろうけど。それも人手の高齢化に伴い消えていきそうなのが現状なのかもしれない。
自分は退職に伴い農業を片手間に始めているが、農作業を通して感じていることがいくつかある。その中で特に感じていることは一次産業を若い人達が経験として知っておくべきだと思っている。今の日本は裕福すぎて何でも工場で出来た物が簡単に手に入る時代となっている。それはそれで良いことだが、結局機械やコンピュータがなければ何も作ることが出来ない人ばかりになっている。そんな人ばかりの社会は大規模な災害や異常事態に対処出来ない無能社会になってしまうような気がしてならない。コンピュータを何十年も扱ってきた自分が言うのもおかしな話だが、衣食住の生活の基本となる技術を経験しておくことも現代人の基本的素養のような気がしてならない。そしてそんな場が少しだけでも自分が提供できたらと思っている。
もっとも自分もこの先どのくらい続けられるのかはなはだ疑問ではあるが。でも企業とは異なるそんな繋がりのあるグループがたくさん出来たら面白いなと思う。