ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2022.6.25 21年ぶりに叔母宅へ・・・忘れ物大王は今日も又

2022-06-25 23:47:41 | 
 昨夜の夕食、夫はすすきのまで繰り出したい様子だったが、早朝からの移動が堪えて、それに付き合う元気がなく、少し歩いたところにある、出来たばかりのビルのレストラン街で勘弁してもらった。
私は野菜がたっぷりのスープカレーを、夫はビール片手にエビ天おろし蕎麦をチョイス。それぞれ美味しく、好きなものが選べて満足してホテルに戻った。
 入浴したらもう眠くて眠くて・・・。夫の鼾も知らずにころんと眠った。

 そして今朝、6時前にすんなり目が覚めた。7時間近く眠った計算になる。カーテンから朝日が漏れている。昨日到着した時には18度しかなかった気温が、今日は30度、真夏日になるという。窓の外は快晴。青空が広がっている。やはり晴れ女なのである。
 そのまま小一時間グズグズベッドで過ごしてから、浴槽足湯を済ませる。朝ドラの復習を見て(昨日見損なったので最後の部分は目新しかった)から階下のレストランへ。

 朝食は和食膳かブッフェが選べるというので、今日は和洋中折衷のブッフェに。訊けば朝食の美味しいレストラン全国ベスト3に入っているとのこと。とにかく品数が半端なく多い。サラダ、冷菜、温菜が処狭しと整然と並んでいる。ドレッシングやトッピングも何種類あったか数えられないくらい。
 オムレツやパンケーキのオーダーもあり、目移りして大変。パンの種類も豊富でジャムや蜂蜜などのペースト類も数え切れないほどの沢山の瓶が並んでいる。これはとても1日では制覇出来そうにない。ちょっとずつ色々取って席に戻る。
 コロナ対策も、小さいアクリル板ではなく、それぞれ半個室のようにボードが立っている。朝食時間終了時間まで、ゆっくりお茶を頂いて、部屋に戻る。

 今日は叔母(義母の妹)宅を訪問する。駅前バスターミナルから叔母の住む街までの高速バスが出発するのは約1時間後。そもそも今回北海道を訪れたのは、夫が「お世話になった叔母さん宅を訪れるのが、次は葬儀というのではあんまりだ」ということだった。
 言ってみれば今生の別れの旅のつもりで、2人で思い切って出てきたのだ。これまでずっと気になりつつも私が治療を続けながらフルタイムで働いたことで、なかなか訪れる機会がなかった。

 前回訪れたのは、息子が保育園児の時だったから21年前の夏になる。その時は、義母とともに登別の叔父宅と今日訪れた叔母宅にそれぞれ2泊ずつお世話になり、最後に札幌のホテルに宿泊したのだった。
 叔母宅の隣にはSLが設置された大きな公園があり、当時から鉄男だった息子は、それは喜んで、運転席に座ったきり、動かなかった。園内にはオオムラサキの館もあり、昆虫好きでもあった息子にはとても去りがたい場所だったのだと思う。

 今年生きていれば101歳になる義母は9人兄弟で、若草物語よろしく、一番上の義母は3人の妹とは特に懇意にしていた。一番下の弟が、21年前にお世話になった叔父で、健在な唯一人の男子である。長兄、次兄は戦争で亡くなり、小さな時に亡くなった兄弟もいたという。
 その3人の妹のうち、一番下の妹は、字は違うけれど私と同じ名前だった。その叔母が昨春亡くなったと聞き、本当に驚き、訪れるならば、やはり急がなければと思った。
 義母のすぐ下の妹は昭和2年生まれ。亡き父より1つ上で、今は札幌の施設に入っている。出来れば訪れたかったのだけれど、今は目も耳も殆ど見えず、聞こえずとのことで、訪問を諦めた。

 今日訪れたのは3番目の妹で、昭和5年生まれ。秋には92歳になる。母より3つ年上で、数年前に大腿骨骨折をしながら、しっかり復活し、杖をついてはいるけれど、26年前に未亡人になりつつもヘルパーさん等の助けもなく、一人で頑張っている。今なお若いお弟子さんを抱え、茶道講師をしている現役だ。
 義母は、亡くなる前の10年間、毎年、暑さ厳しい義妹宅を離れ、6月から9月までの4ヶ月間を叔母宅で過ごさせてもらい、その後、我が家に寄って1ヶ月ほど過ごすのが常だった。
 姉妹揃って未亡人。「時々4人で集まって楽しく過ごしている。今日はあそこに行った。昨日はどこそこに出かけた」と嬉しそうに電話で話す義母の声が今も耳に残っている。

 今日はバス停まで迎えに来てくれた。とてもふくよかな人だったのだけれど、あまりに痩せて小さくなっていて一瞬息をのんだ。訊けば30年近くかけて15キロほど体重が落ち、若い時と同じくらいになったとのこと。病気をして痩せたわけではないと知り、ほっとした。

 昼食にはお寿司をご馳走してくれて、食後はタクシーで叔母宅に向かった。
 家には紫陽花や萩、芍薬などの花が飾られ、本当に綺麗にきちんと生活していることが伺え、頭が下がった。
 言葉の端々から、365日孤食と向き合い、死に向かって準備を整えつつ、日々を丁寧に暮らしていることを知った。その一言、一言があまりに重く、盆暮れの挨拶をしたり、電話で話すことがあっても、こんなに長く無沙汰をしたことが悔やまれるとともに胸が苦しくなった。
 今生の別れで訪れたつもりだったけれど、気づけば夫と「又、来ます」と挨拶をしていた。

 夕張メロンに舌鼓を打ち、紫陽花のお干菓子を頂き、紫陽花のお茶碗にお抹茶を点てて頂き、あまりの美味しさに夫とともに2服も頂く。
 話は尽きず、瞬く間に夕方。最終バスに乗る時間になる。泊っていってくれればよかったのに、と名残惜しくも何度も手を振りながら叔母宅を後にした。

 駅まで歩く道々、夫が突然「!?」という仕草。一瞬何が起こったか分からない。なんと、この旅のために新しく買ったジャケットを叔母宅に置いてきたという。
 なんということ。忘れ物大王といったら・・・。そしてそれに気づかず、フォローできずに涙の別れをしてきた私といったら・・・。夫が慌てて電話をかけ、取りに戻るのでと言うと、叔母は「私がタクシーに乗って届ける」と。

 私達はそのまま歩いて駅に向かったところ、叔母が一足早くジャケットを持って駅に到着していた。本当に申し訳ありません・・・。
 またしても記念写真を撮り、タクシーで折り返す叔母を見送る。

 最終バスまで20分ほど。JRの駅では少し前に1日5本の電車が発車したばかり。お手洗いを済ませ、母にDuo通話。なんと実家は35度の暑さで冷房をつけっぱなしとのこと。とにかく水分をたっぷり摂るように、と念を押す。その時、こちらは21度の涼しさ。都内ではどこも猛暑日とのことで、タイミング良くかわせたことを知る。

 バスは定刻通り発車。文字通り私達夫婦2人の貸し切りだ。一番前の席に陣取り、北の大地らしい緑の風景を見ながら1時間ほど揺られる。途中の停留所で1人だけお客さんが乗ったけれど、やはり途中で降りて、結局終点のターミナルまで乗ったのは私達2人だった。申し訳ないくらいだ。

 一度ホテルに戻って荷物を置き、予めネットでチケットを買っていた、駅の傍に建つ38階の展望台へ向かう。丁度薄暮の頃で、カップルで窓際は一杯。カフェはなかなか席が空かずだったけれど、なんとか確保し、夫はワインとオードブル、私はサンドイッチやケーキセットをつまみながら、札幌の夜景という非日常の雰囲気の中で、普段はなかなか聞けない話を色々夫から聞き出す。

 そこから今日こそ!とすすきのまでテクテク歩いて、ラーメン横丁で本日の締め。とても一人前は頂けそうにないし、残すのは申し訳ないので、ハーフが頂けるお店に決める。結果、静かで綺麗なお店だったし、美味しかったので良かった。帰りはタクシーでホテルまで戻ってきた。

 ということで、お腹一杯で既に夫はベッドでウトウト。
 こうしてブログを書いているからいつも寝不足になるのだけれど、やはり書いておかなければ、ということで今日も今日とて・・・の旅2日目の夜が更けていく。
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2022.6.24 大荒れの北の大地へ・・・32年ぶりに旧友と再会

2022-06-24 19:17:03 | 
 昨夜は今朝に備えて早々に就寝。夜中一度お手洗いに目が覚めるが、残り2時間もしっかり寝直すことが出来た。
 コロナ禍で最寄り駅発のリムジンバスが間引き運転されていて、丁度良い時間に空港に到着する便がない。といって丁度良い時間に発車するライナーもないし、その後、空港まで満員電車に揺られていくのは体力的に勘弁してほしい。
 ということで、朝6時発のバスを予約することになった。久しぶりに4時半過ぎという超早起きである。
 夫はそれより早く目覚めてしまったようで、私が起きていくと、既にPCに向かっていた。

 花の水切りやらゴミ捨てやらの雑用を済ませる。新聞を読む元気もなく、胃痛に備えて青いヨーグルトだけ頂き、身支度をして家を出る。既に大きな荷物はキャリーケースで送っているので手提げとバッグだけで身軽に出発した。 
 ところが、普段通り抜け出来るビルがまだ閉まっているというトラップを踏み、あわや出発ギリギリの乗り込みになった。
 リムジンバスに乗るのは3年前の夏、中欧の旅以来のこと。飛行機に乗るのも同じく3年ぶりである。コロナ前までは車内で朝ご飯を摂るのもOKだったけれど、さすがに今はマスク着用、会話は控えめに、飲食はご遠慮ください、の三拍子である。

 バスは満員。シートベルトをして身動きはとれないし、椅子のカーブがあわなくて腰は痛い。隣の女性たち、後ろの年配ご夫婦のうちの男性のお喋りが止まらない。夫が苦言を呈しても、である。
 お口チャックが出来ない大人達に閉口しながら、iPadを聴き耐えること2時間余り。途中はずっと渋滞で一時はどうなることかと思ったけれど、拷問のような2時間半だった。

 空港に到着すると、札幌行の便は全て天候チェック中だ。強風と雨が酷いようだ。チェックインを済ませ、ひとまずラウンジへ。出発までまだ2時間ある。
 ラウンジもコロナ禍ですっかり様変わりしている。食器は紙コップ等全て使い捨て。早朝の朝食サービスもなく、持ち込み飲食もお断りとのこと。では、とメニューにあったお寿司をお願いすると、納品前とのこと。嗚呼。

 本日のお伴は林真理子さんの「夜明けのM」(文春文庫)。
 週刊文春で今も連載が続き、ギネス記録更新中のエッセイ「夜更けのなわとび」初出2019年1月から2020年1月分、2020年3月単行本の文庫化である。久しぶりの真理子節、ニヤニヤしながら読み進む。
 天皇陛下即位の礼への参列が今回のハイライト。そしてラストに収録された柴門ふみさんとの特別対談も興味深く読んだ。

 小一時間潰し、持参したバナナだけ階下の椅子に座ってお腹に入れる。搭乗口に進み、様子を見るが、看板には「強風のため、安全に着陸出来ない場合は羽田に引き返す可能性のある条件付き運航」とある。仕方なくもう一つのラウンジで時間潰し。
 今回初めてウクライナカラーの航空会社にお世話になるというのに、最初から波瀾万丈なスタートである。
 搭乗時間も遅れ気味で、最後の乗客が揃ってようやく離陸したのは予定時刻より15分ほど遅れていたか。富士山も見えて順調に飛び始めたが、北上するにつれて雲が厚くなる。
 飲み物サービスを終え、お手洗いを済ませ、さて、着陸態勢に入ってからは揺れること、揺れること。チビちゃんたちもかなり乗っていて、ご機嫌悪く愚図り出す。

 さて、1度目の着陸トライでは、「強風アラートが鳴ったため、着陸を断念します。」となってしまった。機長からのアナウンスで「管制と協議の上、あと1回着陸トライして再度警報制止があれば、規定通り羽田に戻ります。」とのこと。とほほ。
 今日中の代替便に乗れなかったら、今日は羽田で足止めか・・・等と考え出すと切りがないので、ひたすら着陸を祈る。
 果たして2回目のトライでなんとか着陸が叶った。機内では拍手が起こる。良かった、良かった。結局40分ほどの遅れ。

 預けた荷物もないので、お手洗いを済ませ、すいすいとJRの快速エアポート号に乗り換える。
 今日は結婚式以来の、大学時代の友人と再会を約束している。彼女と連絡を取りつつ、小一時間で札幌駅に到着。車内では雨風が酷かったが、私はなにしろ晴れ女を自負している。駅を降りると、ちょうど雨が止んでおり(風はそれなりにあった。)、傘を差さずにホテルに入ることが叶った。

 チェックインの時間まで30分ほどあったけれど、すぐに14階の部屋に案内された。荷物を下ろし、友人がロビーのソファに座ったという連絡を得て、ロビーへと降りる。わかるかな、とちょっと心配しつつ、ノープロブレム。コロナ禍だけれど、ちょっとハグしてしまう。
 夫に2人のツーショットの写真を撮って貰い、夫にも挨拶をしてもらってから、2人で遅いランチに出かける。

 夫とも「行こうか」と言っていた北海道で有名かつ人気の高いお菓子屋さんの喫茶室へ。
 まずはお薦めの魚介おこわ定食を頂く。朝からろくに食べていないので、もうお腹ぺこぺこである。どこから話していいものやらと、食事にお喋りに忙しい。
 まだ全然食べ足りない感じで、食後はここでしか頂けないアイスクリームのサンドイッチとダージリンティーを追加。今や三人の母である彼女の、次の用事の時間ぎりぎりまでお喋りに花が咲いた。
 訊けば、私達が乗った前の便は2時間遅れ、次の便も遅れたとのことだった。そう考えると40分弱の遅れで済んだ私達はラッキーだったわけだ。

 彼女と別れてホテルに戻ることを夫に連絡するもLINEが全然既読にならない。結局、彼女はロビーまで来てくれて、夫と連絡が着くまで・・・と再びお喋りが始まりそう。電話を何度鳴らしても出ない夫はおそらく昼寝をしているのでは、とフロントに「部屋の鍵を預かっていますか?」と訊く。「鍵はないのでお部屋におられるかと・・・」とのこと。
 ここで彼女と別れ、部屋のピンポンを鳴らすこと数回。
 夫は1時間ほど前にお昼と買い物を済ませて、案の定お昼寝をしていた模様。

 ということで、朝から長い一日であった。母にはDuo通話で無事到着を伝える。
 さて、これから夕食に繰り出し、今日は早いところ休む予定である。
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2022.6.23 私が生きる意味を再確認する

2022-06-23 20:49:41 | 日記
 木曜日。夫はイレギュラーで出勤日。原則3日連続して勤務することはないので、結構しんどそうである。
 昨夜は夕食がボリューミー過ぎて、食後夫がアイスコーヒーを作ってくれたけれど、お菓子を摘まむ元気はなし。夫は別腹のようだったけれど。
 入浴後はわりとすんなり眠れ、夜中起きることもなく。アラームが鳴る前に目が覚めたものの、鳴るまでグズグズしてからリビングへ。そしてまずは朝の8分瞑想ヨーガ。

 朝食後は自転車で出発する夫を窓から見送り、いつものようにネットで新聞を読んでいたところ、ああ、これだ!と膝を打つ記事を見つけた。以下、転載させて頂く。

※  ※  ※(転載開始)

がん闘病10年で見つけた生きる意味 「私は未来の患者を助けてる」(2022年6月23日 朝日新聞)
「私の視点」 薬剤師 山田久美子さん
 「患者にとって生きる意味」はどこにあるのか。それは未来の患者や医療者のため、よりよき医療のために自らが貢献している、という手応えを得られることにあるのではないのか。この事実に、たどり着いたのが今年5月のことだった。
 2012年晩秋、私は突然、形質細胞性白血病との宣告を受けた。
 血液のがんである多発性骨髄腫の悪性進行した病態である。治療しなければ5、6カ月で死に至ると宣告され、また、治療してもこの病気に治癒はないとも言われた。
 直ちに治療を決断し、自家造血幹細胞移植など厳しい治療に入った。抗がん剤やステロイド薬によるうつ症状で、自殺念慮も何回か経験した。その後の厳しくも適切な治療のおかげで、約9年生きることができ、深い寛解を得ていた。
 しかしながら昨年10月、激しい頭痛と失語、見当識障害などの症状が突然表れ、検査の結果、転移性脳腫瘍(しゅよう)、つまり病気が脳で再燃(多発性骨髄腫においては再発というより再燃という)したことが判明した。
 またも、さらに厳しい抗がん剤治療が始まった。そのおかげで、現在は病勢もなんとか抑え、抗がん剤の副作用に悩まされながらもやり過ごし、生活を楽しむことさえできている。この先はまだ全くわからない。
 最初の発病から約10年間一人で、がん患者として今を生きている意味を考え続けた。苦しいベッドの上で、あるいは体調のいいときは家族の食事を作りながら。そして5月のある日、ふと冒頭の「患者の生きる意味」に行き当たったのである。
 がん患者だけがつらいわけではない。どんな疾病の患者も罹患(りかん)したことで悔しいし、苦しい。暗に差別されるなどの苦痛も経験する。
 そんな中で「患者が生きる」意味を、患者自身が具体的に納得するのは難しい。がんの闘病記は精神的に励ましてくれるが、生きる意味という問題には答えてはくれない。
 だが今は、こう考えられる。
 患者は生き続けながら診察や治療を受け、自身の生化学的データや日頃の症状を医療者に提供し、相談しながら治療を選ぶことで、将来のよりよい医療を共につくっていく作業に参加し、また、将来生まれる患者の役に立っている、と。
 患者が「生きていく」日々を積み重ねることが、どんなにこれまでの医学を発展させてきただろうか。
 生きることだけで能動的に医療に貢献しているのだと「生きる意味」を自分で捉えられたとき、それは生の圧倒的な力になる。そのことを患者だけでなく、医療者、介護者などみんなに知ってほしいと今は思う。

(転載終了)※  ※  ※

 そうだったのだ、と改めて思う。
 私が2008年早々、乳がんが多発転移して以降、一度たりとも寛解することなく、休むことなく14年半以上化学療法を続けながらも今、生きていること、それは自分だけのためでも、家族だけのためでもなかった。後に続く同病の患者の方たち、将来の医学の発展に少しでも役に立っているのだ。生きること、日々を積み重ねることだけで能動的に医療に貢献している、それこそが患者が生きていく意味、これは生の圧倒的な力になる・・・、そうなのだ。一言一言が、胸に刺さる。

 今や、かつて自分で考えていたよりもとんでもなく長い闘病期間になり、こうして生きているのが恥ずかしいくらい・・・と思うことも度々あったけれど、そうではない。
 治療後、副作用で体調の悪い時はあるけれど、復調すれば、好きな読書もヨガも出来るし、旅行にも行ける。働いていた時分より丁寧に家事も出来る。37年勤め上げることが出来たので、今は納得して無職になった。専業主婦ではあるけれど、達成感のない日々だ・・・なんて自己卑下することはなかった。こうして“生きている”だけで丸儲け、“生きている”だけで、どなたかのお役に立てているのだった。

 さあ、これからも、日々こうしてなんてことない毎日(それこそが実は尊い)をブログに綴りながら、一日でも長く、これからに続く方たちのお役に立たせて頂こうと改めて思う。

 今日は昼前から月に1度のお楽しみ、Wさんサロンのマッサージに出かけた。ここのところの体調報告をしつつ、喋りたいだけ喋ったらあとはウトウト。お誕生日のプレゼントでアロマフットマッサージをして頂く。「肩も背中も随分凝っていましたよ~」と言われる。
 うーん、仕事をしているわけでもないのに、と思うが動かなすぎなのだろうか。施術後は肩こりに良いというハーブティを頂いた。

 その後、新しく出来たレストランで久しぶりにゆっくりおひとり様ランチを摂り、書店で明日からの旅のお供の文庫を調達し、最寄り駅に戻ってからはY先生のビギナーヨガに参加した。
 20名ほどの参加者でいい感じ。先週は副作用が抜けきれず、バランスポーズではヨロヨロしたけれど、今日は立木のポーズもしっかりキープ出来た。
 帰宅後は夕食を整え、夫の帰りを待った。

 明日からは、ほぼ20年ぶりに、観光でなく、数人の方たちに逢うことを目的に、夫と北の大地に向かう。
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2022.6.22 今日も雨・・・何事も塩梅が難しい

2022-06-22 21:04:56 | 日記
 水曜日。夫は出勤日。
 昨夜は、ブログをアップした後、夫がお土産に買ってきてくれた好物の桃(初物)とサクランボ(本当は昨日宅配で届く筈だったのが、欠品との連絡を受けてがっかりしていた。)を頂く。まだ走りだから甘さはそれほどではなく、上品な感じ。それでもみずみずしさはたっぷりで、ああ、夏がやってくるなぁと季節の移り変わりを感じる。
 来月は息子が帰省した時、カーシェアリングで桃狩りに連れて行ってくれることになっていて、夫ともども今から楽しみにしている。

 依然として蒸し暑い。喉も乾いており、果物の後には夫が淹れてくれたアイスコーヒーを久しぶりに頂いた。夫は寝る前に珈琲を飲んでも全くノープロブレムの人だが、私はいきなり眠れなくなる。それでも昨夜は割とすんなり眠ることが出来、夜中にお手洗いに起きることもなく、無事朝を迎えた。

 朝食前には朝の8分間の瞑想ヨーガ。今日も曇天、今にも降り出しそうな朝だ。
 朝食を摂り、夫を見送り、新聞を読んで、ネット記事をざっと見渡し、メールチェックする。参院選の公示日ということで、何やら窓の外は喧しい。

 午前中、荷物の集荷をお願いしていたので、引き渡しが終わるまでは出かけられない。13時迄には、ということだったけれど、10時半前に来てくれたので助かった。
 キャリーケースカバーを持っていないので、事業所に取りに帰ると14時以降の再集荷になるという。カバーなしだとケースにつく傷の保証はできない云々とのことだったけれど、明後日到着していないと困るので、そのまま持って行ってもらった。壊れ物も入っているので丁寧に扱って頂ければ・・・とお願いして。

 その後、夕飯の下ごしらえを済ませる。
 昼過ぎ、呼び鈴が鳴り、生協のお届けだと思って出たところ、新聞の契約延長勧誘だった。夫は殆ど紙の新聞を読まなくなったし(贔屓のチームが勝っている時のスポーツ欄はチェックしているようだが)、スポーツ面を楽しみにしていた息子もいなくなって久しいし、朝夕とも目を通すのは私だけ。
 毎回勧誘のアルバイト男子が情けなそうな感じで来るので、ついつい人助けだと思ってサインしてきたが、まあ、ネットで読むことも出来るから、どうしたものか思案中ということで、とりあえずペンディングにした。

 続いてようやく生協のお届け。収納を済ませて、お昼のレンチンランチを摂ってから、F先生のビューティヨガのクラスに向かった。外はいつのまにか小雨が降り出していた。
 今日の参加者も20人ちょっとで、いい感じの入り方だ。楽な姿勢で座り、呼吸観察からスタートして、身体を解しながらストレッチ、バランスポーズもあり、最後には汗だくになった。このところかなり湿度が高く、身体に水分が溜まりがちだけれど、すっかりデトックス出来た感じだ。シャワーでさっぱりして外に出ると、雨は小止みになっていた。

 帰路は夫に頼まれた日用品等を買いにドラッグスストア経由で。隣にあった観葉植物のお店が閉店になっており、片付けの最中だった。殆ど商品が動いていなかったので、よく保った方だと思う。その前は食料品店、その前はレストラン。コロナ禍の厳しさもあるだろうけれど、なかなか定着しない。

 帰宅後は、キットも使って夕食の支度。作りながら、ちょっと量が多いかな~と思ったけれど、出かけるのに残しておくのも・・・と全部作ってしまった。
 案の定、夫はテーブルに並べた一汁三菜を見渡しながら「これは多い」とため息の連続で、持て余している感じありあり。せっかく頑張って作ったのだから、とブーイングするも、なるほど確かに多かったな、と反省。
 専業主婦もなかなか塩梅が難しい。明日の夜は冷蔵庫一掃しつつもボリュームは抑えていかなくては。

 毎日のお約束、母とのDuo通話も無事終わり、月末の通院付き添いの打ち合わせ。
カレンダーを見れば、水無月6月も余すところ8日になった。退職して“毎日が日曜日”の生活も80日余りが過ぎ、本当に毎日こんな生活をしていていいのかしら・・・。貧乏性なせいか、ちょっと後ろめたさもあるが、2022年、早くも折り返し!である。
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2022.6.21 夏至の日のこと

2022-06-21 21:27:09 | 日記
 火曜日。夫は出勤。
 昨夜は前夜の寝不足が祟って眠気が酷く、早々に入浴して日付が変わる前にコロンと眠りに落ち、夜中、一度も目覚めないままいつものようにスマホアラームが鳴った。のろのろ起きてリビングへ移動。まずは瞑想ヨーガを済ませてから朝食である。
 朝ドラを視て、新聞に目を通し、ネット各紙をざっと読むのも毎朝のこと。

 お天気はぱっとしない。沢山眠った筈なのに、まだなんとなくだるくて眠い。昨日は13,000歩以上歩いていたから、まだそれなりに疲れが残っているようだ。

 週末から所用のため数日間家を空けるので、それに先立って新聞を止めたり、お花のお届けをお休みしたり、宅配便の手配をしたり・・・。AIの通話対応がどうもいまひとつで、結局またオペレーターに変わってもらう。単純な「はい」か「いいえ」ならいいのだけれど、その都度の質問にはまだ対応が難しい様子。

 旅支度をし、録画したドラマの最終回等を視ているうちにお昼になってしまった。トホホ、なんということか、平日の午前中、こんなダメダメ生活である。
 お昼を簡単に済ませ、午後からT先生のやさしいフローヨガのクラスに向かった。今日は国際ヨガデ−でもある。マットが6枚増えて果たして今日はどれだけの参加者数か・・・とちょっと心配だったけれど、17名の参加者で両脇に人もおらず、鏡もよく見えて余裕だった。
 かつてのスタジオと違って女性専用とはいえ、スタジオ内の人口密度は低い方が快適だ。

 じっくり身体を解しながら、普段使わない筋肉もしっかり使って、大量の汗をかけた。最後のシャヴァーサナも心地よく、シャワーを浴びたらさっぱり。一日家で静かに過ごしているからといって疲れが取れるわけではなく、こうして適度に身体を動かすことが必要だと思う。午前中のだるさが嘘のようにシャッキリした。

 ふと外を見ると、雨が降り出していた。日傘が雨傘に早変わりしてそのまま帰途に就いた。帰宅すると、先週末ペンディングになっていたがん検診が受診OKという返事が留守電に入っていたので、折り返し不在を詫び、お礼を言う。

 その後はリクエストの時間通りに宅配の食材が届いた。収納を終えた後は、洗濯物が結構溜まっていたことに気づき、遅ればせながら洗濯機を廻した。薄物は部屋干しに、厚いタオル等は乾燥機に。

 キットを使って夕飯の支度をし、夫が帰宅したタイミングで食事を提供。
 食後はお約束通り母にDuo通話。送ってあげた雑誌についてトンチンカンな質問をするので、笑ってしまった。

 明日宅配に出すキャリーケースを、夫と2人でパッキングし終わったところだ。
 ということで今年の夏至の日、一年で一番日が長い日の筈だったけれど、残念ながら太陽の姿は拝めずに終わった。
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