昨夜の夕食、夫はすすきのまで繰り出したい様子だったが、早朝からの移動が堪えて、それに付き合う元気がなく、少し歩いたところにある、出来たばかりのビルのレストラン街で勘弁してもらった。
私は野菜がたっぷりのスープカレーを、夫はビール片手にエビ天おろし蕎麦をチョイス。それぞれ美味しく、好きなものが選べて満足してホテルに戻った。
入浴したらもう眠くて眠くて・・・。夫の鼾も知らずにころんと眠った。
そして今朝、6時前にすんなり目が覚めた。7時間近く眠った計算になる。カーテンから朝日が漏れている。昨日到着した時には18度しかなかった気温が、今日は30度、真夏日になるという。窓の外は快晴。青空が広がっている。やはり晴れ女なのである。
そのまま小一時間グズグズベッドで過ごしてから、浴槽足湯を済ませる。朝ドラの復習を見て(昨日見損なったので最後の部分は目新しかった)から階下のレストランへ。
朝食は和食膳かブッフェが選べるというので、今日は和洋中折衷のブッフェに。訊けば朝食の美味しいレストラン全国ベスト3に入っているとのこと。とにかく品数が半端なく多い。サラダ、冷菜、温菜が処狭しと整然と並んでいる。ドレッシングやトッピングも何種類あったか数えられないくらい。
オムレツやパンケーキのオーダーもあり、目移りして大変。パンの種類も豊富でジャムや蜂蜜などのペースト類も数え切れないほどの沢山の瓶が並んでいる。これはとても1日では制覇出来そうにない。ちょっとずつ色々取って席に戻る。
コロナ対策も、小さいアクリル板ではなく、それぞれ半個室のようにボードが立っている。朝食時間終了時間まで、ゆっくりお茶を頂いて、部屋に戻る。
今日は叔母(義母の妹)宅を訪問する。駅前バスターミナルから叔母の住む街までの高速バスが出発するのは約1時間後。そもそも今回北海道を訪れたのは、夫が「お世話になった叔母さん宅を訪れるのが、次は葬儀というのではあんまりだ」ということだった。
言ってみれば今生の別れの旅のつもりで、2人で思い切って出てきたのだ。これまでずっと気になりつつも私が治療を続けながらフルタイムで働いたことで、なかなか訪れる機会がなかった。
前回訪れたのは、息子が保育園児の時だったから21年前の夏になる。その時は、義母とともに登別の叔父宅と今日訪れた叔母宅にそれぞれ2泊ずつお世話になり、最後に札幌のホテルに宿泊したのだった。
叔母宅の隣にはSLが設置された大きな公園があり、当時から鉄男だった息子は、それは喜んで、運転席に座ったきり、動かなかった。園内にはオオムラサキの館もあり、昆虫好きでもあった息子にはとても去りがたい場所だったのだと思う。
今年生きていれば101歳になる義母は9人兄弟で、若草物語よろしく、一番上の義母は3人の妹とは特に懇意にしていた。一番下の弟が、21年前にお世話になった叔父で、健在な唯一人の男子である。長兄、次兄は戦争で亡くなり、小さな時に亡くなった兄弟もいたという。
その3人の妹のうち、一番下の妹は、字は違うけれど私と同じ名前だった。その叔母が昨春亡くなったと聞き、本当に驚き、訪れるならば、やはり急がなければと思った。
義母のすぐ下の妹は昭和2年生まれ。亡き父より1つ上で、今は札幌の施設に入っている。出来れば訪れたかったのだけれど、今は目も耳も殆ど見えず、聞こえずとのことで、訪問を諦めた。
今日訪れたのは3番目の妹で、昭和5年生まれ。秋には92歳になる。母より3つ年上で、数年前に大腿骨骨折をしながら、しっかり復活し、杖をついてはいるけれど、26年前に未亡人になりつつもヘルパーさん等の助けもなく、一人で頑張っている。今なお若いお弟子さんを抱え、茶道講師をしている現役だ。
義母は、亡くなる前の10年間、毎年、暑さ厳しい義妹宅を離れ、6月から9月までの4ヶ月間を叔母宅で過ごさせてもらい、その後、我が家に寄って1ヶ月ほど過ごすのが常だった。
姉妹揃って未亡人。「時々4人で集まって楽しく過ごしている。今日はあそこに行った。昨日はどこそこに出かけた」と嬉しそうに電話で話す義母の声が今も耳に残っている。
今日はバス停まで迎えに来てくれた。とてもふくよかな人だったのだけれど、あまりに痩せて小さくなっていて一瞬息をのんだ。訊けば30年近くかけて15キロほど体重が落ち、若い時と同じくらいになったとのこと。病気をして痩せたわけではないと知り、ほっとした。
昼食にはお寿司をご馳走してくれて、食後はタクシーで叔母宅に向かった。
家には紫陽花や萩、芍薬などの花が飾られ、本当に綺麗にきちんと生活していることが伺え、頭が下がった。
言葉の端々から、365日孤食と向き合い、死に向かって準備を整えつつ、日々を丁寧に暮らしていることを知った。その一言、一言があまりに重く、盆暮れの挨拶をしたり、電話で話すことがあっても、こんなに長く無沙汰をしたことが悔やまれるとともに胸が苦しくなった。
今生の別れで訪れたつもりだったけれど、気づけば夫と「又、来ます」と挨拶をしていた。
夕張メロンに舌鼓を打ち、紫陽花のお干菓子を頂き、紫陽花のお茶碗にお抹茶を点てて頂き、あまりの美味しさに夫とともに2服も頂く。
話は尽きず、瞬く間に夕方。最終バスに乗る時間になる。泊っていってくれればよかったのに、と名残惜しくも何度も手を振りながら叔母宅を後にした。
駅まで歩く道々、夫が突然「!?」という仕草。一瞬何が起こったか分からない。なんと、この旅のために新しく買ったジャケットを叔母宅に置いてきたという。
なんということ。忘れ物大王といったら・・・。そしてそれに気づかず、フォローできずに涙の別れをしてきた私といったら・・・。夫が慌てて電話をかけ、取りに戻るのでと言うと、叔母は「私がタクシーに乗って届ける」と。
私達はそのまま歩いて駅に向かったところ、叔母が一足早くジャケットを持って駅に到着していた。本当に申し訳ありません・・・。
またしても記念写真を撮り、タクシーで折り返す叔母を見送る。
最終バスまで20分ほど。JRの駅では少し前に1日5本の電車が発車したばかり。お手洗いを済ませ、母にDuo通話。なんと実家は35度の暑さで冷房をつけっぱなしとのこと。とにかく水分をたっぷり摂るように、と念を押す。その時、こちらは21度の涼しさ。都内ではどこも猛暑日とのことで、タイミング良くかわせたことを知る。
バスは定刻通り発車。文字通り私達夫婦2人の貸し切りだ。一番前の席に陣取り、北の大地らしい緑の風景を見ながら1時間ほど揺られる。途中の停留所で1人だけお客さんが乗ったけれど、やはり途中で降りて、結局終点のターミナルまで乗ったのは私達2人だった。申し訳ないくらいだ。
一度ホテルに戻って荷物を置き、予めネットでチケットを買っていた、駅の傍に建つ38階の展望台へ向かう。丁度薄暮の頃で、カップルで窓際は一杯。カフェはなかなか席が空かずだったけれど、なんとか確保し、夫はワインとオードブル、私はサンドイッチやケーキセットをつまみながら、札幌の夜景という非日常の雰囲気の中で、普段はなかなか聞けない話を色々夫から聞き出す。
そこから今日こそ!とすすきのまでテクテク歩いて、ラーメン横丁で本日の締め。とても一人前は頂けそうにないし、残すのは申し訳ないので、ハーフが頂けるお店に決める。結果、静かで綺麗なお店だったし、美味しかったので良かった。帰りはタクシーでホテルまで戻ってきた。
ということで、お腹一杯で既に夫はベッドでウトウト。
こうしてブログを書いているからいつも寝不足になるのだけれど、やはり書いておかなければ、ということで今日も今日とて・・・の旅2日目の夜が更けていく。
私は野菜がたっぷりのスープカレーを、夫はビール片手にエビ天おろし蕎麦をチョイス。それぞれ美味しく、好きなものが選べて満足してホテルに戻った。
入浴したらもう眠くて眠くて・・・。夫の鼾も知らずにころんと眠った。
そして今朝、6時前にすんなり目が覚めた。7時間近く眠った計算になる。カーテンから朝日が漏れている。昨日到着した時には18度しかなかった気温が、今日は30度、真夏日になるという。窓の外は快晴。青空が広がっている。やはり晴れ女なのである。
そのまま小一時間グズグズベッドで過ごしてから、浴槽足湯を済ませる。朝ドラの復習を見て(昨日見損なったので最後の部分は目新しかった)から階下のレストランへ。
朝食は和食膳かブッフェが選べるというので、今日は和洋中折衷のブッフェに。訊けば朝食の美味しいレストラン全国ベスト3に入っているとのこと。とにかく品数が半端なく多い。サラダ、冷菜、温菜が処狭しと整然と並んでいる。ドレッシングやトッピングも何種類あったか数えられないくらい。
オムレツやパンケーキのオーダーもあり、目移りして大変。パンの種類も豊富でジャムや蜂蜜などのペースト類も数え切れないほどの沢山の瓶が並んでいる。これはとても1日では制覇出来そうにない。ちょっとずつ色々取って席に戻る。
コロナ対策も、小さいアクリル板ではなく、それぞれ半個室のようにボードが立っている。朝食時間終了時間まで、ゆっくりお茶を頂いて、部屋に戻る。
今日は叔母(義母の妹)宅を訪問する。駅前バスターミナルから叔母の住む街までの高速バスが出発するのは約1時間後。そもそも今回北海道を訪れたのは、夫が「お世話になった叔母さん宅を訪れるのが、次は葬儀というのではあんまりだ」ということだった。
言ってみれば今生の別れの旅のつもりで、2人で思い切って出てきたのだ。これまでずっと気になりつつも私が治療を続けながらフルタイムで働いたことで、なかなか訪れる機会がなかった。
前回訪れたのは、息子が保育園児の時だったから21年前の夏になる。その時は、義母とともに登別の叔父宅と今日訪れた叔母宅にそれぞれ2泊ずつお世話になり、最後に札幌のホテルに宿泊したのだった。
叔母宅の隣にはSLが設置された大きな公園があり、当時から鉄男だった息子は、それは喜んで、運転席に座ったきり、動かなかった。園内にはオオムラサキの館もあり、昆虫好きでもあった息子にはとても去りがたい場所だったのだと思う。
今年生きていれば101歳になる義母は9人兄弟で、若草物語よろしく、一番上の義母は3人の妹とは特に懇意にしていた。一番下の弟が、21年前にお世話になった叔父で、健在な唯一人の男子である。長兄、次兄は戦争で亡くなり、小さな時に亡くなった兄弟もいたという。
その3人の妹のうち、一番下の妹は、字は違うけれど私と同じ名前だった。その叔母が昨春亡くなったと聞き、本当に驚き、訪れるならば、やはり急がなければと思った。
義母のすぐ下の妹は昭和2年生まれ。亡き父より1つ上で、今は札幌の施設に入っている。出来れば訪れたかったのだけれど、今は目も耳も殆ど見えず、聞こえずとのことで、訪問を諦めた。
今日訪れたのは3番目の妹で、昭和5年生まれ。秋には92歳になる。母より3つ年上で、数年前に大腿骨骨折をしながら、しっかり復活し、杖をついてはいるけれど、26年前に未亡人になりつつもヘルパーさん等の助けもなく、一人で頑張っている。今なお若いお弟子さんを抱え、茶道講師をしている現役だ。
義母は、亡くなる前の10年間、毎年、暑さ厳しい義妹宅を離れ、6月から9月までの4ヶ月間を叔母宅で過ごさせてもらい、その後、我が家に寄って1ヶ月ほど過ごすのが常だった。
姉妹揃って未亡人。「時々4人で集まって楽しく過ごしている。今日はあそこに行った。昨日はどこそこに出かけた」と嬉しそうに電話で話す義母の声が今も耳に残っている。
今日はバス停まで迎えに来てくれた。とてもふくよかな人だったのだけれど、あまりに痩せて小さくなっていて一瞬息をのんだ。訊けば30年近くかけて15キロほど体重が落ち、若い時と同じくらいになったとのこと。病気をして痩せたわけではないと知り、ほっとした。
昼食にはお寿司をご馳走してくれて、食後はタクシーで叔母宅に向かった。
家には紫陽花や萩、芍薬などの花が飾られ、本当に綺麗にきちんと生活していることが伺え、頭が下がった。
言葉の端々から、365日孤食と向き合い、死に向かって準備を整えつつ、日々を丁寧に暮らしていることを知った。その一言、一言があまりに重く、盆暮れの挨拶をしたり、電話で話すことがあっても、こんなに長く無沙汰をしたことが悔やまれるとともに胸が苦しくなった。
今生の別れで訪れたつもりだったけれど、気づけば夫と「又、来ます」と挨拶をしていた。
夕張メロンに舌鼓を打ち、紫陽花のお干菓子を頂き、紫陽花のお茶碗にお抹茶を点てて頂き、あまりの美味しさに夫とともに2服も頂く。
話は尽きず、瞬く間に夕方。最終バスに乗る時間になる。泊っていってくれればよかったのに、と名残惜しくも何度も手を振りながら叔母宅を後にした。
駅まで歩く道々、夫が突然「!?」という仕草。一瞬何が起こったか分からない。なんと、この旅のために新しく買ったジャケットを叔母宅に置いてきたという。
なんということ。忘れ物大王といったら・・・。そしてそれに気づかず、フォローできずに涙の別れをしてきた私といったら・・・。夫が慌てて電話をかけ、取りに戻るのでと言うと、叔母は「私がタクシーに乗って届ける」と。
私達はそのまま歩いて駅に向かったところ、叔母が一足早くジャケットを持って駅に到着していた。本当に申し訳ありません・・・。
またしても記念写真を撮り、タクシーで折り返す叔母を見送る。
最終バスまで20分ほど。JRの駅では少し前に1日5本の電車が発車したばかり。お手洗いを済ませ、母にDuo通話。なんと実家は35度の暑さで冷房をつけっぱなしとのこと。とにかく水分をたっぷり摂るように、と念を押す。その時、こちらは21度の涼しさ。都内ではどこも猛暑日とのことで、タイミング良くかわせたことを知る。
バスは定刻通り発車。文字通り私達夫婦2人の貸し切りだ。一番前の席に陣取り、北の大地らしい緑の風景を見ながら1時間ほど揺られる。途中の停留所で1人だけお客さんが乗ったけれど、やはり途中で降りて、結局終点のターミナルまで乗ったのは私達2人だった。申し訳ないくらいだ。
一度ホテルに戻って荷物を置き、予めネットでチケットを買っていた、駅の傍に建つ38階の展望台へ向かう。丁度薄暮の頃で、カップルで窓際は一杯。カフェはなかなか席が空かずだったけれど、なんとか確保し、夫はワインとオードブル、私はサンドイッチやケーキセットをつまみながら、札幌の夜景という非日常の雰囲気の中で、普段はなかなか聞けない話を色々夫から聞き出す。
そこから今日こそ!とすすきのまでテクテク歩いて、ラーメン横丁で本日の締め。とても一人前は頂けそうにないし、残すのは申し訳ないので、ハーフが頂けるお店に決める。結果、静かで綺麗なお店だったし、美味しかったので良かった。帰りはタクシーでホテルまで戻ってきた。
ということで、お腹一杯で既に夫はベッドでウトウト。
こうしてブログを書いているからいつも寝不足になるのだけれど、やはり書いておかなければ、ということで今日も今日とて・・・の旅2日目の夜が更けていく。