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ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2022.6.17 エンハーツ29クール目 さらに減量25回目投与後9日目のこと またひとつ・・・特大花束に仰天

2022-06-17 21:43:46 | 日記
 金曜日。夫は出勤日。
 昨年、到底迎えることが叶わないだろうと思っていた60歳になった、と書き出した6月17日。
 今年、さらにまたひとつ歳を重ねて61歳になった。もはや丸儲けの人生とも言えるのではないだろうか。定年退職してもまだこうして元気に活動しているなんて、想定外のことである。

 元気だった頃、退職したらあれもやってこれもやって、と夢は膨らんでいたけれど、実際はコロナ禍もあり、地味に暮らしている。ありふれた日常こそが愛おしく、幸せに満ちた時間であることを今更ながら痛感する毎日である。
 我儘かもしれないけれど、改めて出来るだけ無理はしないで、好きなものだけに囲まれて暮らしたい、と切に思う。
 
 いつも私は晴れ女、だと書いている。記憶にある限り、この日が一日中雨降りという日はなかったように思う、とも。
 それが実際にきちんとした根拠があるのかと調べたところ、1961年から60年間にわたる6月17日の東京の天気一覧をネットでチェックすることが出来た。便利な世の中になったものだ。
 果たして、朝・昼・午後と雨マークだったのは2日間のみ。1977年と2011年の2回である。高校1年と東日本大震災のあった年のことだ。両日の降水量は22ミリと4ミリ。
 それ以外では1日中晴れが10日、1日中曇りが25日。1か所でも晴れマークがある日は14日、1ミリ以上の雨が降った日が17日である。
 この時期、概ね東京は梅雨の真っ最中ということを考えれば、やはり晴れの率が高いのではないか、と一人で納得している。

 記憶にある限り、一日中雨降りという日はなかったと書いているのはちょっと大げさだけれど、今回チェックした一覧も9時、12時、15時の3時間ごとの天気だから、それ以外の時間に止んでいたとも考えられるだろうか。

 夫を送り出し、メールチェックとネットで各紙を読むのは現在の朝のルーティーンだ。昨日ほど胸や骨の痛みが酷くない。相変わらず胃は重いけれど、あまり食べ過ぎないようにごく普通の朝食を摂った。ひとまずコデインの力は借りずに様子見。今朝の朝食後で吐き気止めのカイトリルはおしまい。
 吐き気もほぼ収まっているから、食前のナウゼリンはなし。臭いエルカルチンも今夜までで終了だ。

 予報では一日曇りだけれど、雨は降らない模様。昨日は予報ほど上がらなかった最高気温も30度に達するという。
 ベランダ一杯に洗濯ものを干してから、ちょっと疲れたので、片付けはペンディングのまま、久々に読書タイム。やっと活字を読む元気が出てきた。中山千里さんの「死にゆくものの祈り」(新潮文庫)。
 帯には「死刑執行直前からの大どんでん返し!絞首台へ向かう友の魂を救えるかー。究極のタイムリミット・サスペンス」とある。

 うーん、さすがに面白い。あっという間にお昼近くになる。うーん、このまま読み切ってしまいたいという衝動に駆られたけれど、ぐっと堪えて簡単ランチを済ませてE先生のやさしいデトックスヨガのクラスに出かけた。そうでないとまた一日引き籠って足が萎えそうなので。

 なんとなく朝からお腹が痛い。下痢はしていないけれど、残便感を引きずっている。スタジオに入ってから途中退室したら再入場が出来ないルールなので、ちょっとドキドキするも無事45分のクラスを終えることが出来た。
 折よく腸のマッサージから始まり、ゆる~く身体を解す。ピークポーズはウオーリアⅡと三角のポーズで、しっかり充実感もあり、シャヴァーサナで脱力出来た。

 シャワーを浴びてさっぱりしてから夫のサプリを買いにドラッグストアへ。その帰り、喉の渇きを癒しにちょっとカフェで一服。腹痛が続き、お手洗いをちょっと占領する羽目に。外は急に晴れてきて、青空になった。やっぱり6月17日はおひさま優勢の日だ。お誕生日特典を使い、夫のお土産も。
 帰路、アウトレットモールに寄って、ここでもお誕生日クーポンを使い、大いに迷ってブラウスをゲットしてから帰宅した。

 帰宅後は洗濯物を取り入れて畳み、夕食の支度。昨年の記録を見ると、夫が休務日で、私は出勤、夜のヨガのクラスに出て、普通どおりの夕食を摂ったようだ。
 しかし、今年は専業主婦である。ちょっと頑張って洋食の3品を作り、夫とテーブルを囲んだ。

 その夫のこと。なんととてつもなく大きな花束を持って帰ってきた。「お誕生日おめでとう」と。え?そうなの?
 退職時、〇万円で薔薇の花束を用意するつもりが、事前の下手なリサーチで私にその企画がバレ、既に沢山の花束を頂いていて、活ける花瓶もないし、またの機会でいいから、と頓挫したのだった。
 そのリベンジで、では誕生日に花束を、とは聞いていたけれど、来週は出かけるから毎日水切りも出来ないし、これから暑くなると切り花は保たないから勿体ないので、少し涼しくなったらでいいからね、と話しをつけた筈だったのだけれど・・・虚を突かれたサプライズである。

 記憶にある限り、今まで頂いた中でおそらく一番大きな花束ではないか。紫を基調としてカラー、蘭、トルコキキョウ等、シックでゴージャスな花束である。一目見て、夫が退職の時に頂いてきた都心の洒落た花屋さんのモノだと分かった。午後からの開店で、帰りにピックアップ出来るように頼んでくれたらしい。

 夕食は夫から「そんじょそこらのレストランより美味しかった」と及第点を頂き、自分自身でも満足した。専業主婦もたまにやるなら悪くないものである(単純)。
 そして、大きくてどっしり重い花束をお腹に抱え、母にDuo通話で見せびらかして自慢した。母からもお祝いの言葉が出たけれど、夫曰く「おばあちゃん、羨ましそうだったね」とのこと。
 写真を撮って、LINEで息子にも報告した。ありがとう、61歳の夜である。

 お読み頂いている皆様へ

 ということで、自分でもこれからも歳を重ねるのはちょっと恥ずかしいのでは、死ぬ死ぬ詐欺と言われてもいいかもしれない61歳になりました。

 3度目の成人式を超え、あとどのくらい何気ない日々を綴っていけるのかは神のみぞ知る、ではありますが、これからも細く長くしぶとく、頑張り過ぎずに頑張ってまいります。引き続きどうぞよろしくお願いいたします。
 LINEやFacebook等で沢山の誕生日のメッセージも頂戴いたしました。この場をお借りしてお礼を申し上げます。どうもありがとうございました。
 
コメント
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