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ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2014.4.23 そしてたぁさんは天使になった

2014-04-23 20:20:40 | 日記
 昨日の通夜、今日の葬儀に参列することは叶わなかった。
 通常通り出勤はしているけれど、二日間、何か上の空で、ふと気付けば、たぁさんのはにかんだような優しい笑顔、ひとつひとつ大切に選ぶように発する言葉、可愛らしい声やお茶目な仕草等、いろいろな思い出が溢れてきて、ぼーっとしたかと思うと涙が滲んでくる。

 大変な状況の中でご主人やご長男が更新される記事、そしてこのブログにコメントを寄せてくださるchiekoさんから頂くメール、沢山のたぁさんサポーターの方々のコメントを拝見するにつけ、いたたまれなくなる。
 たぁさんが天に召されたということは紛れもない事実である。そのこと自体はもうどうしようもないことなのだけれど、やはりまだ感情的に受け止めることが難しい私がいる。

 素晴らしい生き様を見せてくださりながら、たぁさんは、天使になった。
 心身の痛みや苦しみ、辛い治療からようやく解放されて、今、空の向こうから、遺されたご家族や私たちのことを大きな愛で見守ってくださっている。

 同じ病と向かい合いながら、ともに励まし合いながら過ごしてきた日々。
 先日お見舞いに伺った時にご主人ともお話をしたのだけれど、ブログというものの凄さを改めて想う。お互いにこうした発信をしていなければ、こんな交流は決して生まれる筈もなかったのだから・・・。
 その時、ブログを始めた者の責任―沢山の方たちが応援してくださっている中、きちんと報告をしなければならない―について、ご主人が語っておられた。
 本当にそうだ、と頷く。私もいつかこのブログを書き続けることが出来なくなる日が来るだろう。その時、きちんと報告させて頂くことを夫に託しておきたい、と思う。 

 翻って、これまでにこのブログを通じて知り合った方、交流をさせて頂いている方が何人もおられる。
 一方、私が存じ上げなくても、ほぼ毎日のようにしつこく更新を続けている私の状況をブログから預かり知ってくださる方たちも、決して少なくない。知人のように感じてくださる方もいらっしゃるかもしれない。
 そう、リアルにお目にかかったことがなくネット上、あるいはメールやLINEでやりとりを重ねるだけでも、その方に対する思い入れは十分ある。ひよこさんしかり、ながながさんしかり。
 けれど、いざ、リアルな交流を重ねて、悲しいことに見送らなければならない立場になると、そのダメージの大きさにたじろぎ、立ちすくむ。sakuraさん、アッピアさんもそうだった。
 そのことが辛過ぎるというのであれば、リアルな交流を始めるという一歩を踏み出さなければ良いのだろう。自分の中でその辛さがコントロール出来ない、消化する自信がないと思うのであれば、敢えて火中の栗を拾うことはないだろう。 
 けれど、それが分かっていても、なお魂が先に動く。この人とは巡り逢うべくして逢ったのだ、と心が叫ぶのならなおさらだ。

 たぁさんが旅立たれたことは、これからもじわじわとボディーブローのごとく効いてくるのだと思う。
 彼女の分まで細く長くしぶとく、「ロッキングチェアさんったら、まだ来ないの?」と笑われるほど生きなくては!・・・などと明るく言い放つことは、情けないけれどまだ当分の間、出来そうにない。
 悲しみの中で彼女との時間を反芻しながら、大切に静かに思い出す時間が必要だと感じている。

 天使になったたぁさん、そんなだらしない姉をどうぞ許してくださいね。
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2014.4.21 イースターの夜に・・・もう「既読」にはならない

2014-04-21 19:57:59 | 日記
 今朝早く、たぁさんが旅立たれたという連絡を頂いた。

 遠からずそういう連絡があるということを、頭では分かっていたつもりだった。
 けれど、体と心がその事実をなかなか受け付けてくれない。

 僅か1週間前に3時間もの長い時間、語り合うことが出来たのだ。
 お暇する時には、玄関迄ご自身の足で歩いてきてくださり、ハグをして「またきっとお会いしましょう。」と手を振ってきたのだ。
 本当に神様がくださった奇跡のような時間だったのだ・・・と今、唇を噛む。
 呆然としている。

 私より6歳年下で、同じ6月生まれの一人っ子。読書好きで想像力、ユーモアともにとても豊かなチャーミングな方。かつて西日本新聞に連載されていたエッセイ等を拝見するにつけ、その筆力には目を見張るものがあった。
 同じ2005年に初発。再発したのも同じ2008年だが、私の方が少し早かった。不思議なほどいろいろな共通点があった。

 ブログにコメントを頂くようになり、ある方を仲介にアドレスの交換をすることが出来、彼女から初めてメールが届いたのは去年の5月のこと。リアルな交流を始めてからまだ1年も経っていない。が、その間にどれほど沢山のやりとりさせて頂いたことか。
 脳転移が判明した後、果敢にガンマナイフ治療を受け、複数の病巣を見事に消失させた。
 ブログ上の臨場感溢れる報告レポートには、一体どれだけ沢山の方たちを力づけられたかしれない。

 そんな彼女との、メールだけのやりとりに飽き足らなくなった頃のこと。
 11月、たぁさんに逢うことを切望しながら叶うことなく旅立たれたアッピアさんの写真を持って、翌12月、思い切って彼女の住む街へ、飛んだ。
 その時はご自身で運転し、最寄駅迄お迎えに来てくださり、ともにランチを愉しみ、その後はクリスマスコンサート会場へ移動、さらにまたお茶をし、日の長い土地でも辺りが真っ暗になる頃、駅迄送って頂いた。
 キツい治療中の身であるから、決して無理はしないで、もし1時間でもお茶をすることが出来れば嬉しいので、と申し出ていたにもかかわらず、半日以上フルにお付き合い頂いたのだった。
 感じていたとおりの凛とした素敵な女性。初めて逢ったとは思えないほど話が弾んだ。初対面ではとても話せまいというような、お互いの家の事情などもすんなりと打ち明けあった。そして「ブログを通じ憧れていた。こうしてお会い出来るなんて夢のようだ。もしよければ自分のことを妹だと思ってほしい。」とまで言って頂いた。闘病しながら3人のお子様を育てておられるしっかり者の彼女に、こんな頼りない姉で良かったのかどうか。
 以来、兄弟姉妹のいない私にとって彼女は大切な妹になった。

 予約しているホテルはツインだし、もし許すことなら一緒に泊まって頂いてお喋り出来たら・・・、とまで思うほど。とても時間が足りなかった。そして「必ずまた会いましょう。」と約束した。「今度は私がそちらに行けるように頑張ります。」とおっしゃって。

 その時から、彼女との連絡は専らLINEになった。お好きだという編み物で素敵なマフラーを2種類も編んで送ってくださった。私の大好きな色―お嬢さんが私の写真を見て選んでくださったという―だった。この冬、どれだけ毎日活躍したかしれない。どれほど根を詰められて編んでくださったのか・・・と思うと、やるせない。

 今年になり、もはや治療薬が尽きたと聞いた。
 待望の新薬T-DM1の薬価が決まらず、11月の予定だった販売が4月にずれ込むということだった。そのT-DM1の治験に参加される直前に2回目のガンマナイフ治療を終え、2月末に入院された。しかし、1回目のT-DM1投与後に胆嚢炎、脊髄転移が判明し、引き続き放射線治療をされ、一旦は、生死を彷徨うほどの容態であったが、なんとかこれを乗り越えられた。けれど、体力的に2回目のT-DM1投与が叶わない状態である、とのことだった。

 4月1日のこと。そう、桜満開の息子の大学入学式だった。お花見も叶わず入院が長引いている彼女に、少しでも春を感じて頂きたいとLINEで桜の写真をお送りした時、「突然ですが、今日退院します。」とお返事があった。
 が、その退院の意味することを理解した時に、絶句した。
 それ以降、どうか12日にそちらに伺うまで待っていてください、と祈り続ける毎日だった。
 そして、彼女は私との約束をきちんと果たしてくださった。

 彼女は、見事なほど正確にご自分のことをわかっておられた。常に冷静に自らの病状を分析し、決して人任せにすることなく、ご家族と過ごす時間を大切にしながら、果敢に辛い治療を続けてこられた。
 合言葉は「細く長くしぶとく!」―何度そう言い合ったことかわからない。
 こうして言葉にすると薄っぺらくなってしまうのだけれど、本当に、本当に良く頑張られた、お疲れ様でした、と思う。
 まだ小学生、中学生、高校生の3人のお子様たちとご病気のお母様を遺して逝かなければならなかった彼女の無念を思うと、言葉が、ない。
 唯一の救いは、最期の日々を病院で複数の管に繋がれることなく、ご自宅で、最愛のご家族に見守られて穏やかに旅立たれたということか。案じていた痛みは、お目にかかった時には、コントロールされているので大丈夫、とのことだった。
 もちろん、その陰にはご家族の方々、訪問看護師の方々のご準備の大変さも並大抵ではなかったのだろうと察せられる。

 彼女から最後にLINEの連絡があったのは、12日にお会いした折に撮らせて頂いたお子様たちや猫ちゃんの写真をお送りしました、と連絡した火曜日、その御礼だった。
 「家族皆に逢って頂けて嬉しかった。これからもどうぞよろしくお願いいたします。長男と○○さん(我が息子)がお友達になってくれればよいのですが・・・」と。
 東京からの郵便が届くには、大抵は中1日かかるようだった。木曜日に到着したのではないかと思うのだが、いつもなら到着すればすぐに御礼の連絡が入るのに、連絡が来ることはなかった。

 それでも木曜日の朝までは、私が入れたLINEは「既読」になっていた。お送りした写真は見て頂けたのだろうか。速達にするのだった・・・と悔やまれる。
 お目にかかった時、「急にこんな身体になってしまって、なかなか返事が出来なくて、本当に申し訳なくて・・・」とおっしゃる彼女に「返事など心配しないで。迷惑でなければラインの連絡を続けます。既読になれば、それで十分なのだから」と別れてきたのだ。
 そして、いつものように金曜日の朝、LINEで朝の挨拶をしようとした途端、「LINEに問題が発生しました。終了します。」と表示が出るや否や、画面が暗転し強制終了になってしまった。何度繰り返しても同じだった。

 言い知れぬ嫌な予感がした。彼女に何があったのだろうか。いや、私があまりにしつこく連絡しすぎて、体調が優れない彼女が電源を切ったのだろうか、とも考えた。
 詳しくは判らないが、どうも今までのやりとりが膨大になりすぎて、容量オーバーしたようだ。悔しいことにバックアップをとっていなかったので、彼女とのやりとりをもう一度見ることすら、出来ない。

 そして土曜日の夜、息子さんによる、状況が良くないとの更新があった。
 彼女がコメントに返事をすることが出来ないことをとても気にしているのをまるで肩代わりするように、刻々と増え続ける全てのコメントにその都度、丁寧に返事を続ける息子さんの心中を慮るに、胸が張り裂けそうな昨日の日曜日であった。

 そして今朝早く、昨夜の訃報を知らせるご主人の更新が続いた。
 繰り返し読みながら、まだどうしていいのかわからない。
 飛んで行けないのが口惜しいばかりである。

 12月にお目にかかった時、「私が死んでも、誰も私のことなんかブログに書いてくれないでしょうね。もしそうなったら、どうか書いてくださいね。」などと言っていたたぁさん。とんでもない。どれだけ沢山の方たちが貴女を想っていることか。

 私が貴女のことをこういう形で書かなければならなくなったことは本当に辛いけれど、どれほど貴女が素敵な方だったのか、一人でも多くの方に知ってほしい、と切に思います。

 たぁさん、今頃、天国でアッピアさんとお会いになって弾丸トークをされていることでしょうね。
 本当に、本当に長い間良く頑張られました。
 貴女の分まで細く長くしぶとく、頑張りすぎずに頑張っていきます。

 沢山の勇気と希望をどうもありがとうございました。
 どうぞ安らかに。いずれ必ずまたお目にかかれますからね。

 合掌。

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2014.4.20 右親指も爪囲炎、籠城蟄居

2014-04-20 20:57:55 | 日記
 今日はプチ虹のサロンの月例会だった。昨夜、Sさんから「風邪をひいてしまって、残念ですが皆さんにうつしても申し訳ないし、大事を取って欠席させてください。」との連絡が入った。
 それでは3人で、と思ったのだが、私も相変わらず風邪が抜けず、さらには一昨日あたりから右の親指が左と同じ症状になってきている。爪囲炎だ。
 カバさん靴を履いて足を引きずって行けば、参加出来ないこともなかった。が、来週はフルで5日働かなければならない。そして、昨夜からとても心配なことがあり、心穏やかではいられず、笑顔で歓談する自信もなかった。
 幹事の分際で申し訳なかったのだが、今日は申し訳ないけれど欠席させて頂きたい、と朝一番でLINE連絡をした。何とも申し訳ないことだった。
 足はと言えば、まだ膿がたまって黄色く変色してはいないが、真っ赤に腫れて熱をもっていて、ちょっと触ると痛む。ああ、前回と全く同じだ。とりあえず急に酷くならないのは、左親指のかれこれ1か月以上続いている化膿の悪化を防ぐために、抗生剤フロモックスは飲み続けているからだろうか。
 それにしても、両足がこの状態で靴を履いて外出し、歩くのはしんどい。これまでは左足の親指だけだったので、庇いながらびっこをひいて歩けたけれど、両方の親指となったら一体どうバランスを取って歩けばいいのだろう、とちょっと凹む。今日一日は、靴を履かずにガーゼでケアして緩い靴下にスリッパでガードしていたので、それほど痛みが酷くなかったように思う。やはり靴を履くのが良くないのだろう。かといって・・・。

 昨日は、私にしてはかなり遅い日付超えの就寝になってしまった。そのため、今朝は目覚ましをかけたものの、またウトウトしてしまい、なかなか起きられず。待ちくたびれた夫が朝食の支度をしてくれた。
 先月以来、4週連続の土日宿泊を続けたために、自宅にいる休日は5週間ぶりのこと。当然ながら家の中はゴミや埃で荒れまくっている。
 家の中が荒れると、情けないほど気持ちも荒んでくる。1週間は7日しかないし、働いていれば休みは土日しかないのだから、頼りの土日に予定を入れて出かけ続けていれば、掃除なんぞはやっている暇がない。そんなのはごく分かり切ったことなのだが、それでもなお予定を入れている私の自業自得以外の何物でもない。どうにも気に病みながら毎週出ずっぱりだったため、家の中の惨状を目の当たりにするにつけ、仕事を休んで引き籠って片付けをしたい、とまで思っていた。
 黙々と片付けを続け、気付けば合間に昼食を挟み、あっという間に夜になってしまった。今日出来たことは洗濯、食事の支度と片付け、掃除だけ。けれど、昨夜から気になることがあり、とにかく、何か身体を動かしていないと考え込んで滅入ってしまいそう。

 頑張った甲斐があって、物置よろしくどうしようもなかった和室を、かなり部屋の体に回復させることが出来てほっとした。

 体は一つしかない。そして全てのことをきちんと出来るわけがない。これからは、自分のキャパと身の程をわきまえて、土日しかない休みの両方に予定を入れるのは止めよう、と何回目かの誓いを立てている懲りない私である。
 
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2014.4.18 何が正しいか、本当はよくわからないけれど

2014-04-18 20:42:19 | 日記
 愛読している読売新聞の医療サイトyomiDr.で今年1月から連載されている帝京大医学部准教授の新見正則先生のコラムに、なるほどな、と思ったので、長文だが、以下転載させて頂く。
 先生は昨年9月、マウスにオペラ「椿姫」を聴かせると移植した心臓が長持ちする研究でイグ・ノーベル賞を受賞されるという異色の経歴を持つ方だ。

※    ※    ※(転載開始)

イグ・ノーベル・ドクター新見正則の日常
 人は自分の立ち位置でものを言う(2014年4月11日)

 今日は人間ドックの臨床研究のはなしです。ひとはそれぞれの立ち位置でものを言います。手術が好きな人は、手術を正当化するような論文にひかれます。抗がん剤を研究している人は、抗がん剤が有効であるという研究に興味を持ちます。
 がんは早期に見つければ、早期発見の努力を徹底すれば、治療が早くはじめられるので、長寿につながりそうです。僕も昔は当たり前のようにそう思っていました。

マンモグラフィーは意味がない?
 今日はひとつの臨床研究を紹介します。これがすべて正しいわけではありません。ただ、こんなしっかりした研究があり、僕がその結果も参考にしたいだけです。雑誌はイギリス医師会雑誌(British Medical Journal)に今年載ったものです。タイトルはTwenty five Year follow-up for breast cancer incidence and mortality of the Canadian National Breast Screening Study: randomized screening trialですので、ネットサーフィンすればすぐにわかります。タイトルの英文は「カナダで乳がん検診の結果を25年間にわたって追跡した臨床研究で、無作為試験」というような意味です。無作為とはくじ引きで分ける方法です。カナダの40歳から59歳の9万に近い女性をマンモグラフィーというお乳のレントゲン検査と触診を毎年行う群(マンモグラフィー群)と、マンモグラフィーは行わずに触診だけを行う群(触診のみ群)に分けました。
 その結果、マンモグラフィー群では4万4925人中666人に、触診のみ群では4万4910人中524人に乳がんが見つかりました。そして亡くなった患者さんは、マンモグラフィー群で180人、触診のみ群で171人でした。つまりほぼ同数ですね。詳細は原文を見ればわかりますが、結論はマンモグラフィーの検診はこの臨床研究からは意味がないということになります。

がん早期発見は患者のためか
 ピンクリボン運動が日本でも盛んです。その中には、乳がんの早期発見のためにマンモグラフィーを勧める論調も多数あります。ぼくは、女性が乳がんに関心を持って、そして自分で触診することはとてもいいことと思います。でもマンモグラフィーを毎年行って、そして早期のがんが見つかって、そして早期に介入してもほとんど意味がないという結論も正しいように思えます。これはそれぞれが信じるかどうかの問題です。僕は、早く見つけても遅く見つかっても生命予後に影響しないのであれば、精神衛生上も、ある程度の大きさになってから見つかって治療した方が本人のために思えます。
 もちろん、マンモグラフィーの有用性を訴える論文もあります。人は、それぞれの立ち位置でものをいいます。マンモグラフィーは検診のひとつです。人間ドックでは医療保険は利きません。「顧客」です。顧客を獲得するために、マンモグラフィーの有用性を強調する論文が引っ張り出されて、マンモグラフィーの有効性が否定される論文は、ちょっと出番が少なくなることは有り得ますね。

何が正しいかはなかなかわからない
 臨床研究にはいろいろなバイアス(偏見や先入観)がかかります。そんなところも感じ取って、臨床研究をフェアな目で見られるように、僕はやっと最近なりました。そんな立ち位置で、患者さんと接していきたいと思っています。医療は進歩しています。どちらが正しいかわからない状態が続いているようにも思えますが、情報は蓄積されていきます。将来的にはもっとシロクロがはっきりします。
 さて、乳がんの領域の臨床研究でだれもが認める素晴らしいものは、手術の方法です。
 僕が研修医の頃、乳がんの治療はお乳を全部取り、そして胸の大きな筋肉である大胸筋も切除するというものでした。手術後には肋骨が皮膚の下に直接触れるので、洗濯板のようになりました。この手術は乳房切断術といって、100年近い歴史があるものです。以前は不治の病であった乳がんですが、この手術をすると5年も10年も長生きする人が現れました。素晴らしい結果です。
 ところが、僕が研修医の頃から、そんな大きな手術は本当に必要かという疑問が生じたのです。そこでくじ引きで、従来通りの大きな手術をする群と、腫瘍だけを取ってお乳を残す群に分けた臨床試験を行ったところ、ふたつの群間に生存率に差がなかったのです。本当にそうなのかという疑問が生じましたが、その後たくさんの臨床研究が追加されほとんどすべてが同じような結果でした。そして、今は昔のような大きな手術をすることは例外的になりました。医療の素晴らしい進歩ですね。
 なにが正しいかは、実はなかなかわからないのです。それまでは、自分が正しいと思うことをやる、正しいと思っていることを患者さんに勧めるしかないのです。しっかりと主治医と相談して決めて下さい。医療はグレーの領域をウロウロしながら、着実に進歩しています。
 人それぞれが、少しでも幸せになれますように。

(転載終了)※   ※   ※

 ひとはそれぞれの立ち位置でものを言う、というのは冷静に考えてみれば至極当然のこと、である。
 だからこうして日々ブログを書いている私も、あくまで自分の立ち位置-フルタイムで就業を続けながら再発進行乳がん治療を6年以上続け、大学生の一人息子を持つ母-で書いているので、“?”と思われる方、“そんなことはないでしょう”と思われる方がいても当然だと思っている。

 マンモグラフィの件(くだり)についても、そうだろうな、と思う。
 どうも“早期発見をして早期治療をすれば治る!”ということが、ピンクリボン運動等では強調され過ぎている気がする。もちろん大半はそうなのだろう。というのも、私の立ち位置から言わせて頂ければ、毎年真面目に検診を受けつつ、1年経たないうちに-つまりその年の検診の前に-自分で見つけ、病院に出向き、「早期だから治ります。大丈夫!」と太鼓判を押されて標準治療を一通り行い、その後3年経たないうちに再発・多発転移した、という病歴を持っているからだ。

 もちろん、自覚症状があるにもかかわらず好き好んでそのまま放置し、進行させて大変な目に逢う必要は全くない。けれど、唯一自分で触れて分かる乳がんについては、必要以上に頻繁に検診を受ける必要はないのだろうな、とも思う。安心料なのかもしれないけれど、検査結果でグレーだったり、要精密検査の通知が届いたりすると、シロクロがはっきりするまでの間、精神衛生上はあまり良いものではないから。

 私が手術を受けた2005年2月には既に温存手術が主流になりつつあった。だからその恩恵も被ることが出来た。あの時、全摘していたら果たしてどうだったのだろう、と思うことが全くなかったと言えば嘘になるけれど、その後のボディイメージを想えば、「温存で大丈夫、全摘の必要はない。」と言われているのに敢えて、「すっぱり切っちゃってください!」とまで踏み切ることはできなかった。

 そう、何が正しいかは、誰もなかなか分かるものではない。全ては結果論である。
 けれど、自分が患者として日々勉強を続けながら正しいと思ったこと、信頼する主治医が正しいと薦めてくれる治療を信じて細く長くしぶとく治療を続けていくことが、私にとって一番現実的かつ心穏やかに過ごすための秘訣なのではないか、と思っている。

 今日は本当に寒かった。冷たく細かい雨が降り続き、昼休みの外気温は9度。4月の真冬日に震え上がってしまった。
 が、心を温かくする嬉しいニュースも。待ちに待った新薬T-DM1が今日、いよいよ販売開始になったとのこと。そう、わからないことは沢山あるけれど、それでも間違いなく医療は日々、確実に進歩しているのだ、と思う。
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2014.4.17 瞑想ワークショップで幸せ気分♪

2014-04-17 21:03:16 | ヨガ
 2月下旬にヨガリトリートの旅に参加してから早くも2カ月が経過しようとしている。
 その間に息子の受験あり、引越しあり、年度末年度始めの仕事あり、で文字通りのヨレヨレ状態。そんな中、先日、カリスマインストラクターのSさんによる“人生を美しくする 瞑想ワークショップ”に参加した。

 仕事を終えてから往復3時間もかけて都心でのイベントに参加するなど、私にとっては暴挙に等しい。が、リトリートの旅参加者に特別のご案内メールもあり、思い切って出かけてみた。かなり無理をしたけれど、やっぱり行って良かったと思える大満足の時間が過ごせた。
 思いもかけず、今通っているスタジオのインストラクターのKさんたちにもばったりお会いして、すっかり盛り上がってしまった。
 恥ずかしながら、田舎者の私は会場のホールに辿り着くのに、モノの見事に迷ってしまい(帰りに、なーんだ、こんなに近かったのか・・・と脱力するくらい簡単な道であることに気づくのだが・・・)、軽食すら摂れずの欠食児童状態だったのだが、その空腹も忘れるほどだった。

 席に座ると、お隣にはリトリートの旅の懇親会で夕食のテーブルをご一緒した方が。案内スタッフにも、前回お世話役をしてくださった方が何人もいらして、あの青い空、青い海、満点の星空を思い出し、とても懐かしく幸せな気持ちになった。ああ、これもまたご縁なのだな、と有難く思う。

 それにしても、数百人は入ろうかという大きなホールで椅子に座ったまま、一体どんな瞑想をするのだろう、とちょっと心配だったが、始まってみればそんな不安は吹き飛んだ。
 歌あり、ダンスあり、ペアワークあり。ステージの上やらホールの中で、ところ狭しと様々な趣向を凝らした催しが繰り広げられ、最後には参加者全員でキールタン(インドのポピュラーな讃美歌のようなもの)を歌い、ともに瞑想し、心が洗われたあっという間の2時間だった。

 最初は疲れ切った状態で参加したのに、最後の瞑想を終えて目を開けると、信じられないくらい気分も頭もすっきり。瞑想のチカラ、偉大なり!と改めて思う。

 キレイのメソッド、学びましょ♪というのがこのワークショップの触れ込みだったが、果たして“美しさ”とは何ぞや、という問いかけから始まった。外見だけではなく“内側からのきれい”を目指す最新トレンドの心の美容健康法なのだという。
 目標を持つと体にどんな影響が出るのか、例えば、ポジティヴ思考であれば、体に力が湧き、逆にネガティヴ思考だと体から力が萎えていくという。これをお隣の方とペアになってお互いに筋力チェックをしてみる。 すると、目標を持って前向きな気持ちに自分を持っていくだけで俄然チカラが湧いてくるのを実体験した。逆に私なんて、何の目標もないし、もうダメだわ、と思ってみてください、と言われ、そうイメージした途端、いきなりチカラが萎えてくるのだからびっくりだ。
 だからこそ、自分が本当にワクワクするような目標を持つことが大切であるという。そして、その目標がブレるというのは、純粋に自分が求める目標ではないし、ブレる目標を掲げる自分というのは純粋な自分ではない、という説明に納得した。
 では、純粋な自分とは何か。普段の自分は、何らかの出来事に対して思考し、行動に移すという一連の流れをごく短い時間で繰り返しているが、それは本当の純粋な自分ではない。出来事を体験し、思考がざわざわと動くということに客観的に気付くことが大切で、いつも変わることのない穏やかな感覚こそ、思考が整理され止まっている状態の純粋な自分である、という。
 観察し、気付き、受入れ、純粋な自分を愉しむ練習こそ、瞑想であるのだ、と。
 こうした思考が体に及ぼす影響について、思いが届く簡単な実験もした。手と手を合わせ、どちらか短い方の中指が伸びますように、と指を触れながら念ずる。そのことにより、次に手を合わせた時、実際に念ずる前に比べて短かった筈の指が最初に比べて明らかに伸びているのだ!これには驚きのあまり声をあげてしまった。と、夫に言うと、それは単なる暗示による錯覚だろう、と一笑に付されてしまったが・・・。

 さらに、ブロックごとに分けられたグループ代表の方がステージに上がってヨガのポーズを取る。それ以外の座席に残った沢山の人たちは、自分のグループの代表に各々の思いを念じ続ける。そうすると、舞台まで沢山の思いが届き、ポーズが深まるというのだ。

 そう、どんなところでも瞑想は出来る。まずは思考を整理すること。自分の思考を観察し、思考が“動く”から“動かない”に移行する“思考が止まる瞬間”を味わう、そしてその瞬間をだんだん長くしていくことが瞑想の目標だ。
 私はまだまだ初心者なので、目を瞑って静かに座っているうちについつい気持ち良くなり、思わずうとうとしてしまうのだけれど、とにかく“幸せ!”を実感出来る瞑想をすることは、必ずや自分がこうありたいと思うような毎日を導いてくれるのだな、と思う。

 翻って私はエンドレスの再発治療中の身だけれど、不思議なことにこれまで自分はなんて不幸なのだろう、と思ったことはない。こんなふうに素直に幸せを感じながら日々を送ることが出来るのだ。希望を持ち続け、決してブレない純粋な自分の気持ちを大切にしたい。

 本当は昨日届く予定だった今月2回目のお花。“入荷が遅れている”という初めての留守電が入っており、帰宅すると、届いていた。赤1本とピンク本と白2本のアルストロメリア、淡いクリームノスプレーカーネーションが3本、かすみ草が2本。花言葉は各々「凛々しさ」、「素朴」「清い心」だという。すっかり春爛漫を感じさせる組み合わせである。

 さて、今晩もインストラクターSさんの“祈り”のCDから流れる聴きなれた声を子守唄(?)に瞑想したまま眠りに落ちてしまうであろう幸せな私である。


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