昨日の通夜、今日の葬儀に参列することは叶わなかった。
通常通り出勤はしているけれど、二日間、何か上の空で、ふと気付けば、たぁさんのはにかんだような優しい笑顔、ひとつひとつ大切に選ぶように発する言葉、可愛らしい声やお茶目な仕草等、いろいろな思い出が溢れてきて、ぼーっとしたかと思うと涙が滲んでくる。
大変な状況の中でご主人やご長男が更新される記事、そしてこのブログにコメントを寄せてくださるchiekoさんから頂くメール、沢山のたぁさんサポーターの方々のコメントを拝見するにつけ、いたたまれなくなる。
たぁさんが天に召されたということは紛れもない事実である。そのこと自体はもうどうしようもないことなのだけれど、やはりまだ感情的に受け止めることが難しい私がいる。
素晴らしい生き様を見せてくださりながら、たぁさんは、天使になった。
心身の痛みや苦しみ、辛い治療からようやく解放されて、今、空の向こうから、遺されたご家族や私たちのことを大きな愛で見守ってくださっている。
同じ病と向かい合いながら、ともに励まし合いながら過ごしてきた日々。
先日お見舞いに伺った時にご主人ともお話をしたのだけれど、ブログというものの凄さを改めて想う。お互いにこうした発信をしていなければ、こんな交流は決して生まれる筈もなかったのだから・・・。
その時、ブログを始めた者の責任―沢山の方たちが応援してくださっている中、きちんと報告をしなければならない―について、ご主人が語っておられた。
本当にそうだ、と頷く。私もいつかこのブログを書き続けることが出来なくなる日が来るだろう。その時、きちんと報告させて頂くことを夫に託しておきたい、と思う。
翻って、これまでにこのブログを通じて知り合った方、交流をさせて頂いている方が何人もおられる。
一方、私が存じ上げなくても、ほぼ毎日のようにしつこく更新を続けている私の状況をブログから預かり知ってくださる方たちも、決して少なくない。知人のように感じてくださる方もいらっしゃるかもしれない。
そう、リアルにお目にかかったことがなくネット上、あるいはメールやLINEでやりとりを重ねるだけでも、その方に対する思い入れは十分ある。ひよこさんしかり、ながながさんしかり。
けれど、いざ、リアルな交流を重ねて、悲しいことに見送らなければならない立場になると、そのダメージの大きさにたじろぎ、立ちすくむ。sakuraさん、アッピアさんもそうだった。
そのことが辛過ぎるというのであれば、リアルな交流を始めるという一歩を踏み出さなければ良いのだろう。自分の中でその辛さがコントロール出来ない、消化する自信がないと思うのであれば、敢えて火中の栗を拾うことはないだろう。
けれど、それが分かっていても、なお魂が先に動く。この人とは巡り逢うべくして逢ったのだ、と心が叫ぶのならなおさらだ。
たぁさんが旅立たれたことは、これからもじわじわとボディーブローのごとく効いてくるのだと思う。
彼女の分まで細く長くしぶとく、「ロッキングチェアさんったら、まだ来ないの?」と笑われるほど生きなくては!・・・などと明るく言い放つことは、情けないけれどまだ当分の間、出来そうにない。
悲しみの中で彼女との時間を反芻しながら、大切に静かに思い出す時間が必要だと感じている。
天使になったたぁさん、そんなだらしない姉をどうぞ許してくださいね。
通常通り出勤はしているけれど、二日間、何か上の空で、ふと気付けば、たぁさんのはにかんだような優しい笑顔、ひとつひとつ大切に選ぶように発する言葉、可愛らしい声やお茶目な仕草等、いろいろな思い出が溢れてきて、ぼーっとしたかと思うと涙が滲んでくる。
大変な状況の中でご主人やご長男が更新される記事、そしてこのブログにコメントを寄せてくださるchiekoさんから頂くメール、沢山のたぁさんサポーターの方々のコメントを拝見するにつけ、いたたまれなくなる。
たぁさんが天に召されたということは紛れもない事実である。そのこと自体はもうどうしようもないことなのだけれど、やはりまだ感情的に受け止めることが難しい私がいる。
素晴らしい生き様を見せてくださりながら、たぁさんは、天使になった。
心身の痛みや苦しみ、辛い治療からようやく解放されて、今、空の向こうから、遺されたご家族や私たちのことを大きな愛で見守ってくださっている。
同じ病と向かい合いながら、ともに励まし合いながら過ごしてきた日々。
先日お見舞いに伺った時にご主人ともお話をしたのだけれど、ブログというものの凄さを改めて想う。お互いにこうした発信をしていなければ、こんな交流は決して生まれる筈もなかったのだから・・・。
その時、ブログを始めた者の責任―沢山の方たちが応援してくださっている中、きちんと報告をしなければならない―について、ご主人が語っておられた。
本当にそうだ、と頷く。私もいつかこのブログを書き続けることが出来なくなる日が来るだろう。その時、きちんと報告させて頂くことを夫に託しておきたい、と思う。
翻って、これまでにこのブログを通じて知り合った方、交流をさせて頂いている方が何人もおられる。
一方、私が存じ上げなくても、ほぼ毎日のようにしつこく更新を続けている私の状況をブログから預かり知ってくださる方たちも、決して少なくない。知人のように感じてくださる方もいらっしゃるかもしれない。
そう、リアルにお目にかかったことがなくネット上、あるいはメールやLINEでやりとりを重ねるだけでも、その方に対する思い入れは十分ある。ひよこさんしかり、ながながさんしかり。
けれど、いざ、リアルな交流を重ねて、悲しいことに見送らなければならない立場になると、そのダメージの大きさにたじろぎ、立ちすくむ。sakuraさん、アッピアさんもそうだった。
そのことが辛過ぎるというのであれば、リアルな交流を始めるという一歩を踏み出さなければ良いのだろう。自分の中でその辛さがコントロール出来ない、消化する自信がないと思うのであれば、敢えて火中の栗を拾うことはないだろう。
けれど、それが分かっていても、なお魂が先に動く。この人とは巡り逢うべくして逢ったのだ、と心が叫ぶのならなおさらだ。
たぁさんが旅立たれたことは、これからもじわじわとボディーブローのごとく効いてくるのだと思う。
彼女の分まで細く長くしぶとく、「ロッキングチェアさんったら、まだ来ないの?」と笑われるほど生きなくては!・・・などと明るく言い放つことは、情けないけれどまだ当分の間、出来そうにない。
悲しみの中で彼女との時間を反芻しながら、大切に静かに思い出す時間が必要だと感じている。
天使になったたぁさん、そんなだらしない姉をどうぞ許してくださいね。