ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2012.2.24 寒さ、一休み

2012-02-24 21:24:08 | 日記
 今日は予報通り朝から気温が高く、日中とても暖かくなった。
 お昼休みに散歩かたがた大学外に出てみたが、少し歩くとダウンコートを着たままでは汗ばむほどだった。

 このところ陽射しは間違いなく春らしく明るくなってきている。日も長くなっている。勤務を終えて家路につく時に、空にまだ明るさが残っている、というのが本当に嬉しい。
 明日はまたお天気が悪いというけれど、ようやく三寒四温の季節になってきたのだろうか。

 さて、体調。基本的にはとても元気だが、胸の鈍痛、圧痛は相変わらず。目の周りと鼻の周りの爛れも良くならず、というところ。そしてなんとなくだるくて眠い。やはり白血球払底状態なのだろうか。

 受験生にとっても春はもうすぐだ。
 都立高の入試も昨日終了したし、勤務する大学では明日・明後日が前期日程の二次試験である。学内では、そこかしこに黄色い立ち入り禁止のテープが貼られ、立て看板が立ち、準備万端。静かに明日の本番を待っている。
 おかげさまで私は、今回は出勤当番にあたっていない。有難く休ませてもらい、無理せずにゆったりと休薬週の土日を過ごしたい、と思う。

 
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2012.2.23 先週通院日に読んだ2冊

2012-02-23 21:59:04 | 読書
 すっかり後追いになってしまったが、先週の通院日に読んだ2冊のご紹介である。

 1冊目は、新潮社ミステリーセラー編集部編「Mystery Seller」(新潮文庫)。
 「面白いお話、売ります」の「Story Seller」、「もうひとつの世界、売ります。」の「Fantasy Seller」に続く「とっておきの謎、売ります。」の「Mystery Seller」だ。
 「読み応えは長篇並、読みやすさは短篇並、すべてのミステリファンに捧ぐ。文庫市場もっとも華麗なアンソロジー」という帯のとおり、日本ミステリー界を牽引する我孫子武丸、有栖川有栖、北川歩実、島田荘司、竹本健治、長江俊和、真野雄嵩、米澤穂信さんらの豪華8編。
 このシリーズは初めて出会う作家の作品が多く、私にとっては新規開拓分野のガイドブックとしても頼もしい存在だ。
 印象的だったのは、冒頭に登場した島田さんの「進々堂世界一周 戻り橋と悲願花」。赤い曼珠沙華の花をモチーフとした、戦争に運命を弄ばれた韓国の姉弟のお話。米澤穂信さんの、最後に背筋が凍った美しい姉妹のお話「柘榴」。北川歩実さんがお得意とされる、先進医療を題材にした多重どんでん返しの「確かなつながり」。長江俊和さんの、これまたどんでん返しにぞっとした「杜の囚人」の4篇。
  
 2冊目は、幸田真音さんの「舶来屋」(新潮文庫)。
 帯には「銀座にブランドブームを仕掛けたビジネスマン。それは『文化』を売る商人だった。エルメス、グッチ、セリーヌを日本に紹介した男の痛快で心にしみる一代記。」とある。裏表紙には「闇市から出発し、数々の一流品を日本に紹介した銀座の高級ブティック「サン モトヤマ」。その創業者・茂登山長市郎は、戦時中に天津で出会った西洋の逸品の買い付けに奔走する。パリやフィレンツェの老舗で何度門前払いされても挫けず、そして出会った幸運。日本人の逞しさ、美しい物への愛、商人の矜持を鮮やかに描いた、痛快で心にしみる一代記。」とあるが、本当にこれで言い尽くされている。
 ブランドには殆どご縁がなかった私でさえ、採用後数年間は銀座に徒歩圏の職場に勤めていたこともあり、「サン モトヤマ」は知っている(もちろん当時20代だった私には、とてもではないが敷居が高くて踏み込むことは出来なかった。)。
 その創業者がこんなチャーミングな方だったとは!と、読み始めるや否や惹きこまれ、頁を繰る手が止まらなくなった。若い男女二人が茂里谷氏(茂登山氏の作中名)から話を聞く仕立てになっているところが良い。
 ラストも、若い人たちが日本の伝統を大切にしつつ、必ずやこれから明るい未来を切り拓いていってくれるのではないか、という確かな予感がして、元気を頂いた。
 何より惹き込まれたのは幸田さんの筆致が素晴らしかった所以だろうと思う。

 今日は朝から雨模様。そのせいなのか気圧のせいなのか頭痛はしたものの、それ以外はいたって元気である。
 いつもの木曜日とは比べ物にならないほど快調。今日のランチは、普段は火曜日にしか行けないレストランで、野菜たっぷりのビュッフェを堪能できた。食事をきちんと摂るからしっかりお通じもある。やはり食欲不振→便秘→ますます食欲不振、という悪循環である。この好調も来週の水曜日朝まで、ということだが、あと数日を大切に過ごしたいと思う。

 今日は、家族揃って夕方、美容院に行った。普段は土日に通っているが、今回は予定が立たず、それぞれ仕事帰り、学校帰りの夜の時間になってしまった。ヘッドスパと延長マッサージのオプションもつけて、すっかりリフレッシュした後、外食を楽しんできた。

 今週もあと1日。来週末からは早くも3月が始まる。
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2012.2.22 ストレス一日決算主義! 講習会参加

2012-02-22 20:36:29 | 日記
 私が通院している横浜労災病院の“勤労者メンタルヘルスセンター長”でいらっしゃる山本晴義先生による「ストレス一日決算主義~正しいストレスとの付き合い方~」と題する、ストレス対策講習会に参加してきた。

 「先生は職場のメンタルヘルス対策の第一人者で、年間200回以上の講習会をこなす人気の高い講師です。診察以外にも自ら24時間対応のメール相談をされるなど、日々職場のメンタルヘルス改善のために尽力されています。講習会では、先生が提唱されている“ストレス一日決算主義”に基づいて、ご自身の経験を踏まえ、正しいストレスとの付き合い方についてお話し頂く予定です。日頃、自らのストレス対処を怠りがちな管理監督者の皆様を含め、どうぞお気軽にご参加ください。」というチラシを見て、迷わず申し込んだ。

 午後3時間、ユーモアと熱い想いに溢れたライブ講義で実に沢山の元気を頂いた。
 冒頭、500名もの聴衆に対して「御自分を健康だと思う方は?」と挙手をさせた。ちらほらと手が上がった。ところが、70代、80代を対象に同じ質問をすると全員が手を挙げるという。皆、持病を抱えているというのに。つまり「病気をしていても元気にしていれば、健康です。今日の講演が終わった3時間後に元気になっていればOK。毎日働けることの幸せを感じて!」という言葉にいきなり圧倒される。

 働いていると、どうしても週単位の生活になる。ウィークデーの疲れを週末に取ろうとして寝だめをすると、早寝早起きのリズムを壊す。結局はブルーマンデーを引き起こすことになる。健康的なライフスタイルを送るためには、これを“一日決算主義”の生活に変えること、スティーブ・ジョブズの言葉ではないけれど、今日が良い一日だと思える一日を毎日送ることが必要だ、と。古くはヒポクラテスの「運動」「労働」「睡眠」「休養」「食事」の5要素をきちんと取れることが、元気に働けるポイントになるという。これに「会話」ないしは「対話」が加わればなお良い。

 実際にうつ症状が出てからでは運動は出来なくなるから、元気に働くための運動習慣はうつ病の予防にもなるわけだ。一日15分は一日24時間に換算すれば96分の1。これは暇がなくて出来ない、とは言えないのではないか、と。
 先生は沢山のストレス解消法をお持ちだが、40歳で運動を始め、44歳で初マラソンに挑戦。昨年、一昨年は東京マラソンにも参加されたという。もともと運動は不得意だったが、今は運動をするというよりも、仲間と会いに行くということで元気がアップされているとおっしゃっていた。

 周囲と良い関係が保て、周囲の人たちの役に立っていること、仕事など日々の活動に生きがいを感じ、自分の存在意義を感じることが社会的な健康であるのだ、としみじみ思う。
 振り返って我が身を思えば、不況で失業者が300万人を超える現在、こうして病気を抱えながらも働かせて頂くことの出来ること、仕事がある幸せを思い、改めて感謝の気持ちで一杯になった。

 先生は「“忙しい”という言葉は“心”を“亡”くすと書くので好きではない。けれどもちろん決して暇であるわけではない(勤労者心のメール相談は24時間以内に必ず返信をされているという。年間7~8000メール。驚くべきことだ。)。こうして話をする機会を得られた事に感謝して、毎日言いたいことを言いながら皆さんを元気にすることが出来ればこんなに幸せなことはない。」と講演を締めくくられた。
 「辛」という字の「一(マイナス)」を「+(プラス)」にするだけで「幸」という字になる。そして「幸」という字は裏返しても「幸」で、逆さにしても「幸」だ。メンタルヘルスとはこれからのこと。他人と過去は換えられないが、自分と未来は換えられる、という言葉が印象に残った。

 帰宅後、講演の御礼メールを差し上げたところ、本当に僅か10時間後にお返事を頂いた。
 お忙しい方ほど時間の使い方がお上手でおられる。凄いパワーに脱帽。これからエンドレスの治療を続けていく上で、たとえもし心が折れそうになることがあっても、心療内科に山本先生がおられる!と思うととても心強く明るい気持ちになった。まだまだ自分は神様に見捨てられていない、と思う。
 参加して本当に良かった。

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2012.2.21 死を考えることは・・・

2012-02-21 21:57:53 | 日記
 先日、読売新聞の記事で気になるものを見つけた。
 山田詠美さんが新作について語ったインタビューで「死ぬことについて考えるのって、私はすごく品のいいことだと思うし、人間はいつ死ぬか分からないということを自覚している人って、品がよくなってくると思うの」というくだり。
 死ぬことについて考えることは決して品のないことではない、確かにそうだ。

 人は生まれてきたら必ず死ぬ。そして哀しいかな、死に方はなかなか自分では決められない。
 よく死ぬことはよく生きること、だからこそ、日々を大切にして最後まできちんと生きて、きちんと死にたいと思い、日々悪戦苦闘しているわけだ。

 もちろん再発するまでは、そうそう死について身近に感じることはなかった。
 けれど、死はタブーではないし、死を考えることにより、自分の来し方行く末を考えることは決して悪いことではないと思えるようになった。

 以前はこの人とお逢いするのは今日が最後だ、などとは思わなかった。次回もある、ということが前提で。
 けれど、歳を重ね、震災のような突然の有無を言わさぬ死を想うと、次回逢えることは決して約束されたことではない、と思わざるを得なくなった。
 だからこそ、というわけではないが、もし、この人とお逢いするのが最後だとしたら、その人が最後に逢った自分を嫌な奴、変な奴、嫌いな奴として思い出してはほしくない。
 されば、なるべくいいイメージを残したい。だから、誰にでも出来るだけ親切に優しくありたい、と思うようになった。

 山田さんが「死を想うことは決して下品なことでなく、逆に品のあることだ」というのは、そういう意味で言われたことではないかもしれないけれど、私はそんな風に思う。
 せっかく思い出してもらえるなら、たとえ自己満足と笑われようとも、他人様から「いい人だったね。」と言ってもらえる方が良いではないか。

 昨日あたりから時間が来ればお腹が空くし、何を食べても食事が美味しく感じられる。気が付けば、ついつい沢山の夕食を用意してしまい、夫と息子から「多すぎる!」と言われてしまった。
 週末までは、駅に着いた時に「ケーキ買って帰ったら食べられる?」と電話をかけてくる夫に、無愛想に「無理!」と答えていたのが我ながら嘘のような変貌ぶり。
 また、3週間に一度の躁状態の到来である。適当にブレーキをかけながら、次回の治療に備えて心穏やかに前向きに過ごしたいと思う。

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2012.2.20 読書中のエチケット

2012-02-20 21:33:06 | 日記
 先日、読売新聞で書評委員をしている小泉今日子さんが、本とは貴女にとってどんなものですか、という質問に対して「いながらにして色々な所に行けて・・・」というごく普通の回答に加えて、「疲れている時の小道具。なぜなら、読書をしている人にわざわざ話しかける人はいないから。」という答えをされていたのが、とても腑に落ちて、膝を打った。
 確かに、彼女ほどの有名人だと、不特定多数の人たちから不躾に声をかけられたりしても不愉快な態度は取れず、嫌な思いをされることがそれは多いのだろうな、ととてもお気の毒に思った。

 そして、いつだったか都心の地下鉄に乗った時、眼の前の席に角田光代さんが座っておられたことを思い出した。思わず「本、拝読しています。」とお声をかけたい衝動にかられた。車内は空いていたし、お隣の席も空いていたからすっと立ち上がって、失礼承知でお声をかけることも出来た。隣に座っていた夫に耳打ちしたら、「行って来れば?」と言われたけれど、ふと小泉さんの言葉を思い出して思いとどまった。そう、読書中でいらしたのだ。
 私たちより1つか2つ手前の駅で降りられたので静かに見送った。

 私も、読書中、面白くてその世界に入り込んでいれば「声をかけないでください!」と思う方なので、本読みのエチケットだな・・・と思ったのだ。

 だが、そんな私なりの常識が通じないことが、私にも起きた。
 ある場所で本を読んでいた。とても面白い本だったので、決して「疲れた時の小道具」ではなく、間違いなく読書を楽しんでいたのだ。

 突然、横に座られて話しかけられた。以前、一度お目にかかったことのあった方だが、別にそれ以上のお付き合いがあるわけではない。一度読む目を止めて、「こんにちは。どうぞお元気で。失礼します。」と言えば、私としては問題なく会話が終了する予定だった。
 だから、そう言って会釈した後、また本に眼を落したのだが、一方的にその方は話し続けた。ひたすら。その方より年下とはいえ、私も一応大人だから、どんなに迷惑でも不愉快でも、面と向かって怒るわけにもいかない。
 「でも私、今、ご覧のとおり読書中なんです・・・。」という雰囲気を精いっぱい演出し、本を閉じずにそのまま何度も本に目を落とそうとしたが、どうしても赦してくれなかった。
 しかも内容といえば、私が信頼している方の悪口を延々と。そんなこと、誰が聞きたいだろうか。その方がどう思おうが自由だが、それを私にまくしたてることの意味が私にはどうしても理解出来なかった。

 もしかすると本を読むことはお好きではないかもしれない方に、こんなことをエチケットとして望む方が無理なのかもしれないが、とても疲労困憊した出来事だった。

 本当に世の中にはいろいろな方がおられるものだ。

 さて、体調だが、今週末は無理せず、予定されていた会合も欠席させて頂いた。昨夜も早目にベッドに入り、久しぶりに朝5時過ぎまでノンストップで眠ることが出来た。だが、朝起きると何やら胸部傷口周辺がズキンズキンと傷む。こういう痛みは久しぶり。寒いからなのかどうか。だるさも残っており、体が重い。休薬週だから間違いなく白血球は底まで下がっているはず。3週間に1度の躁状態になって無理をするな、というサインだろう。粛々と受け止めたい。各クールの2回目が終わると、いつも粘膜系のダメージが悪化する。目の周り、鼻の周りの爛れも酷いし、沁みるのでお化粧も出来ず、冴えない。それでも食欲だけは旺盛だし、食べ物の味も分かるのがせめても・・・である。

 夜、義妹から電話があった。義妹は先週半ばからインフルエンザ感染で高熱を発し、5日間仕事を休んで家で寝ているそうだ。日中はやっと熱が下がってきたが、夜になるとまた8度まで上がってしまうという。酷いガラガラ声で辛そうだった。先週初め病院に行って感染したと思われる、とのこと。 義弟も週末から8度5分の発熱だが、注射を打ってマスクして仕事には行っている・・・とのこと、大丈夫だろうか。
 そんなわけで義妹は病院に通うことが出来ず、甥っ子一家も義妹夫婦に近づけず、義弟が一人で病院に行ってくれているらしい。病院の面会は今週様子を見て再開するらしい。義母は元気らしくきちんと入浴も出来ているというので、良かったのだが・・・。
 私の体調を考えて、今週末、私はお見舞いに来ない方がいいのではないか、ということだった。
 その気遣いに恐縮しつつ、夫と息子がうつってきても・・・これまた悩ましいことである。

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