先日、私のブログを読んでくれている従姉からメールをもらった。
従姉の母上(私の伯母)は、数年前からパーキンソン病等を患い、施設に入っている。彼女の了解を得て、以下に書かせて頂く。
「・・・親に心配かけたくない気持ち痛いほど解ります。でも、もっと頼って心配かけちゃってもいいと思う。もちろんすごく心配すると思うけど、親にとってはいくつになっても娘は娘。頼ってくれたり、弱音を吐いてくれたら、逆に嬉しいんじゃないかな。
今、母が誤嚥性肺炎で入院している病院で、66才で交通事故にあって植物状態の息子さんのところに来ている90才近いお母さんが、息子さんの手足をマッサージしながら、『この年になってこんなに息子の体触りまくっておかしいでしょう?』って聞くのだけど、不謹慎だけど何か微笑ましく思えちゃった。心配してくれる親がまだいるんだから、もっともっと甘えちゃっていいと思う。・・・・」 というものだった。
そう、両親には今の病状や治療のことはあまり詳しくは話していないし(話しても多分良くわからないと思うし、泣きたいのはこっちなのに先に泣かれてしまうと、慰めるという事態になり、どうにもしんどいので)、今後も話すつもりもない、というくだりを心配してくれてのこと。
従姉のメールに「・・・うちの母はなんというか能天気で、病気のことを詳しく説明するのもなかなかしんどいものがあり、心配をかけたくないというよりは、面倒だという方が正しいかもしれません。」と応じた。
早速、従姉から「押しつけがましいことを言ってごめんなさい。意思疎通が出来ない母を見ているとセンチメンタルになって・・・」との返事。
私は「とんでもないです。この年になって親が二人とも元気でいることの有難さがまだわかっていないのかもしれません。もう少し甘え上手になれれば良いのでしょうが、困った性分ですね。」と返した。
その後、従姉から「私も4年前、4人親がいた時までは面倒臭い位にしか思っていませんでした。」との返信があり、私は「お言葉重く受け止めます。ありがとうございます。」とお礼を言った。
そう、親孝行したい時には親はなし、ではなく甘えたい時には親はなし、かもしれない。
従姉は4年前の春、父(私の伯父)を突然亡くし、母(私の母と同い年の伯母)は患って施設に入り、殆ど間をおかずに御夫君の父上も亡くしている。それまで、元気な4人の両親の介護が一斉にやってきたらどうしよう、と思っていた状況が、その日を境に急転してしまった。
私は、一人娘で、親に「自分たちは先にいなくなるだろうから、自分のことは自分で出来るように、甘えるな。」と育てられたことで、昔から人に甘えるのがとても苦手である。
先日読んだ河治和香さんの「未亡人読本」(新潮文庫)にもそんなことが書いてあった。家族からは「甘えるな」と言われて育ち、結婚して初めて家族に甘えることを学んだ、というところで、ああ、この人もそうなんだ、ととても親近感を持った。
実際のところ、私もずっと甘えたかったのだけれど、しっかりしなくてはいけない、色々なことを自分で処理出来なければいけない、と思いながら可愛げなく突っ張って生きていた。
だから河治さんと同じように、結婚して初めて肩の力が抜けて、夫に甘える事が出来ている、と思う。
さりとて、相変わらず両親には甘え下手である。
けれど、誰だって全てのことを自分一人だけでなんて、決して解決出来ない。
この頃では、色々な方たちのお力を借りて、お知恵を拝借して、甘え上手になりたいな、と思っている。
従姉の母上(私の伯母)は、数年前からパーキンソン病等を患い、施設に入っている。彼女の了解を得て、以下に書かせて頂く。
「・・・親に心配かけたくない気持ち痛いほど解ります。でも、もっと頼って心配かけちゃってもいいと思う。もちろんすごく心配すると思うけど、親にとってはいくつになっても娘は娘。頼ってくれたり、弱音を吐いてくれたら、逆に嬉しいんじゃないかな。
今、母が誤嚥性肺炎で入院している病院で、66才で交通事故にあって植物状態の息子さんのところに来ている90才近いお母さんが、息子さんの手足をマッサージしながら、『この年になってこんなに息子の体触りまくっておかしいでしょう?』って聞くのだけど、不謹慎だけど何か微笑ましく思えちゃった。心配してくれる親がまだいるんだから、もっともっと甘えちゃっていいと思う。・・・・」 というものだった。
そう、両親には今の病状や治療のことはあまり詳しくは話していないし(話しても多分良くわからないと思うし、泣きたいのはこっちなのに先に泣かれてしまうと、慰めるという事態になり、どうにもしんどいので)、今後も話すつもりもない、というくだりを心配してくれてのこと。
従姉のメールに「・・・うちの母はなんというか能天気で、病気のことを詳しく説明するのもなかなかしんどいものがあり、心配をかけたくないというよりは、面倒だという方が正しいかもしれません。」と応じた。
早速、従姉から「押しつけがましいことを言ってごめんなさい。意思疎通が出来ない母を見ているとセンチメンタルになって・・・」との返事。
私は「とんでもないです。この年になって親が二人とも元気でいることの有難さがまだわかっていないのかもしれません。もう少し甘え上手になれれば良いのでしょうが、困った性分ですね。」と返した。
その後、従姉から「私も4年前、4人親がいた時までは面倒臭い位にしか思っていませんでした。」との返信があり、私は「お言葉重く受け止めます。ありがとうございます。」とお礼を言った。
そう、親孝行したい時には親はなし、ではなく甘えたい時には親はなし、かもしれない。
従姉は4年前の春、父(私の伯父)を突然亡くし、母(私の母と同い年の伯母)は患って施設に入り、殆ど間をおかずに御夫君の父上も亡くしている。それまで、元気な4人の両親の介護が一斉にやってきたらどうしよう、と思っていた状況が、その日を境に急転してしまった。
私は、一人娘で、親に「自分たちは先にいなくなるだろうから、自分のことは自分で出来るように、甘えるな。」と育てられたことで、昔から人に甘えるのがとても苦手である。
先日読んだ河治和香さんの「未亡人読本」(新潮文庫)にもそんなことが書いてあった。家族からは「甘えるな」と言われて育ち、結婚して初めて家族に甘えることを学んだ、というところで、ああ、この人もそうなんだ、ととても親近感を持った。
実際のところ、私もずっと甘えたかったのだけれど、しっかりしなくてはいけない、色々なことを自分で処理出来なければいけない、と思いながら可愛げなく突っ張って生きていた。
だから河治さんと同じように、結婚して初めて肩の力が抜けて、夫に甘える事が出来ている、と思う。
さりとて、相変わらず両親には甘え下手である。
けれど、誰だって全てのことを自分一人だけでなんて、決して解決出来ない。
この頃では、色々な方たちのお力を借りて、お知恵を拝借して、甘え上手になりたいな、と思っている。