お早うございます。
生き生き箕面通信2045(140730)をお届けします。
・墓をどうしましょうか
自分の死後、墓をどうするかは、結構悩ましい問題ではないでしょうか。大方の人はご先祖さまからの「代々の墓」がお有りで、「そんなこと考えたこともない」でしょう。
でも、ボクにとっては8月のお盆の時期が近付くと、直面せざるを得ない悩ましい問題なのです。
「先祖の墓」に関心のない若者が増えているのも事実です。「墓参り」は、8月のお盆の恒例行事だからというだけで続けている人も多いようです。
もちろん、今の自分があるのは、ご先祖からの命のリレーの賜物です。どこかで誰かが命のバトンを落としていたら、自分はこの世に生を享(う)けることはなかった。
その意味では奇跡的な命のリレーにある種の畏怖の念というか、自ずからの感謝の念がわき上がってくるものでしょう。
その尊崇の念を示す対象が、墓であり、墓参という大切な慰霊の形となっています。
それでも、他方ではお墓が粗末に扱われるようになってきたようです。
朝日新聞は本日7月30日の朝刊一面トップで、墓の墓場が目立ってきた現象を、「無縁 墓の墓場」という見出しで取り上げました。
墓の不法投棄も目立つようになった。全国あちこちで見られる「雑草に埋もれた墓石」「転げ落ちた墓石」現象。
子どもがいなかったために、先祖の墓の継承者がいないということで、「墓守が消えた」り、妻が夫側の墓に入るのを拒否し墓を見捨てる現象も。
朝日が取りあげた識者の一人は、「継承を前提とする墓のシステムは時代に合わなくなり、対応できない事象が起きている」と、コメントしています。
ボクも、どこかの合葬墓に入れてもらうか、などとも考えたりしています。
尊敬の尊、崇拝の崇。誰だ!安倍に教えたのは?
安倍の身近な人や親戚の人で、戦没者や戦災に遭い殺傷された人がいるのでしょうか?もし、不在なのであれば、「尊崇の念」は空疎なものと言わざるを得ません。偽善です。
たとえば、古賀さんは実父を戦争で亡くされていますね。
< 尊崇の念を示す対象が墓であり、墓参という大切な慰霊の形となっています。
偽善が潜む可能性が有り、曲者だと思います。
尊崇の念 にご注意を。
死んでから供養してもらってもね、生きてるうちに大事にしてほしいもんじゃないか。親は自分の生き方を子供に見せておけば、また見られても恥ずかしくない生き方をしていれば、おのずと尊崇の念はできるもの。葬送と墓にかける金は、ほかに生きた使い道があるのじゃないか?今、計画しているのは「生前葬」、このあと葬式はやんないよ、と。雑事にまどわされないようにとの予防策。
葬送、自分で棺桶は担ぐことはできないので(という本が有りましたね)、難問です。
中村先生と同様、紙の棺桶を利用しょうと考えています。
箕面通信さんは先祖の供養を重視、折り目正しいですね。
歴史上の有名人の墓も、あったほうがいいんでしょうね。
中村先生とは、「大往生したけりゃ医療とかかわるな」を書かれた方ですね。故・武見太郎医師会会長がつくった保健医療制度では検査と投薬がないと儲けがでない仕組みです。放置して自然治癒するようなものでも病院に行くと、検査と投薬だけで、昔の医者みたいに触診はありませんね。本当はそれが一番大事なのに。自分でできる努力をせずに、医者や薬に頼る根性がいかんのですね。冷暖房の快適な環境、これで人間の自然治癒力が阻害されます。
偶然みつけた、105才の超元気な母親を綴ったブログ、紹介しておきますね。
http://longstory.blog.so-net.ne.jp/
日刊ゲンダイ、時折買います。
105才の超元気な母親 サン、きっと睡眠をよく摂ってられるものと推察します。 (当方は眠りが浅くて困ります。悪い奴ほどよく眠る。) 悪い奴は、そのまま起きてこないのが良い。 安倍首相は地球の反対側に、経済人も同行でしょうか。