おはようございます。
生き生き箕面通信1852(140117)をお届けします。
・「日本人である」とは?ーー「阪神大震災の日」に”連帯”を考えます
本日1月17日は阪神・淡路大震災から19年の日です。午前5時46分、地震発生の時刻に合わせて、6400人余の犠牲者らに追悼の祈りがささげられました。
3年前には、東日本大震災。
この二つの大きな災害に直面して、当時の日本人がそれぞれ取った行動に世界が驚きの声を挙げたことは、よく知られています。まず、「略奪が起きなかった」ことが、びっくりされました。
世界の多くの年では、大災害が起きると、食糧や寝具、その他の生活必需品を求めて、手当たり次第に奪い合いが起きるのが当たり前の風景でした。生き延びるために、やむを得ない仕儀とみられていました。
ところが、日本では、食料品などが並んでいるスーパーやコンビニは、ほとんど襲撃されませんでした。
それだけでなく、「お年寄りや体の不自由な人を何んとか救いたいと、多くの人が助け合った」「最後まで避難を呼びかけて、自分は犠牲になった人もいる」という、日本人の行動規範に、大きな共感が寄せられました。
ひとつのおにぎりを、ひとつのパンを分け合って、助けを待った人たちの姿がリポートで伝えられました。
被災地をおおった空気は、「お互いさまだ。助け合うしかないではないか」という、自然にわき上がる気持ちでした。「助け合う」という気持ちに覆われていることが、盗みや略奪に自然のブレーキをかける働きをしたようです。
人々がつながりあう一体感、「連帯」の心が覆っていたのです。改めて言えば、「瑞穂の国」が長い間にはぐくんだ心象風景といえましょうか。
縄文から弥生への時代の転換は、稲作がもたらしたとされます。稲作は、上流からまず一郎べえが水を引き、続いて次郎べえ、三郎べえ……と水を引いて、稲作を営んできました。水を中心とする2000年以上もの営みが、「結」(ゆい)の心をも自然に育ててきたわけです。
その長い歴史に比べれば、昨今、幅を利かせる市場原理主義、儲け主義、オレさえ良ければ主義は、ほんの昨日からのことにすぎません。
犠牲者を追悼する黙とうの短い時間でも、「日本人であるとはどういうことか」に思いを致したい。「お互いさま」を大事にする日本人、「おかげさまで」と感謝の気持ちを大事にする日本人、「結」の心、連帯へつながる心の動き。
しかし、諸外国では権力に対し、歴史的には強い行動が起きています。フランス革命を起こした人民の決起、あるいはロシアやイタリア、ユーゴ、アルバニアなどでのパルチザン(抵抗運動)の動き。それに比べると、いま日本では安倍政権にしっかりと抵抗できているか。
ただ、闘いは続きます。平和を大切にし、民主主義を徹底させ、人権が尊重される社会づくりは、これからです。その闘いは、私たち一人ひとりの参加を抜きには目標を達成できません。今日の黙とうの後、追悼の中から行動を起こしましょう。
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