おはようございます。
生き生き箕面通信1849(140114)をお届けします。
・「自分で考える力」はどうなのかーー「成人の日」の意義は?
今の若者は、「さとり世代」なのだそうです。「世の中って、こんなものさ。あがいてみても始まらない。なんとか生きていければいいじゃない」と、”悟っている”らしいのです。
安倍政権が、集団的自衛権の行使容認を進め、実質的に改憲する動きを見せても怒らない。デモひとつ、しようとしない。特定秘密保護法成立へ政権党が強行採決しても、例えば東大、早大、明大、法政大などから大きな学生デモが繰り出す現象は見られませんでした。
昨日の「成人の日」にしても、派手な衣装でアピールしたり、ディズニーランドでミッキーと興じたりする「成人」の姿ばかりが報じられました。
正規社員としての就職活動が難しく、将来を考えても見通しが立たない。
すでに成人を経験してきた大人の側にしても、新成人を迎えて「一緒に、平和で元気な日本をつくっていきましょう」という呼びかけは少なかったように思います。
今の若者は、贅沢さえしなければ、非正規でも食べるだけの最低生活なら何んとかなる。だから、何もあくせくすることはない、と半ばあきらめが先に立つのだそうです。その中で、で絵切れば自分の好きなことに時間を使った方がまし、と考える。
団塊世代が定年退職期で、そのジュニアの世代は「親がかり」で、つまり親が築いたストックを食いつぶしすことでなんとかやっていけるのです。
しかし、高度成長期に築いた団塊世代のストックがいつまでもあるわけではありません。そう遠くない将来に食いつぶしてしまいます。その後はどうなるのでしょう。
若者はバラバラにされてしまい、声を挙げる方法が分からなくなっているようです。自分たちの社会をどのようにしていけばいいか、分からない。あるいは、どうこうしようと考えても、どうなるものでもない。
権力を行使する側には、統べやすい国民集団ができたと歓迎する事態です。やりたい放題にできるのです。若者は声も挙げず、立ち上がりもしない。東大生も早大生も、自分の身の周りだけが大切です。
権力者集団には、一見、わが世の春が続くように見えます。しかし、しかし、若者に気力がない社会が長続きするはずはないですよね。
やはり、自分の頭で考えて、自分の足で立つほかないはずだと思うのですが、こう考えるのは余計なおせっかいになるのでしょうか。
そうこうするうちにも、日本丸は静かに沈みつつあるように見えます。