おはようございます。関西経済連合会の森詳介会長は政府に「定期検査で停止中の原発の運転再開を急いでもらいたい」と、緊急提言する方針です。森会長は、関西電力の会長です。就任したばかりの関経連会長という地位を自社のためにフル活用するわけです。
生き生き箕面通信916(110611)をお届けします。
・「原発事故の責任は追及しない」と、原発事故検証委員長
「3・11」から本日で3か月。復旧・復興の先頭に立つべき菅首相は、辞任を表明した後に続投へ意欲を見せる「保身だけがすべて」といった風情です。復旧・復興への道筋も、地元の人々の忍耐強さをいいことに、いまだにゆるゆるです。それで平然としているといっても過言ではありません。
本日の朝日、読売新聞とも、そんなリーダーに対して「一言物申す」という記事はどこにも見当たりません。結果的にメディアの不毛、ジャーナリズムの機能不全をさらしています。
政府の原発事故調査・検証委員会が立ちあがりましたが、委員長の畑村洋太郎・東大名誉教授はまず「事故の責任追及はしない」と明言しました。菅首相は安心して、「私も被告」と、またまたパフォーマンスのあいさつ。その「被告」さんは、「首相を続けさせていただきたい」と国会で答弁しました。どこまで国民を愚弄するつもりなのか。菅首相のうすら笑い顔をみていると、執ように立ちあがってくるゾンビを見るようで気持ちが悪くなります。
これだけの事故を起こしておきながら、誰も責任を取らない。わずかに東電の社長が変わったくらい。原子力発電をしゃにむに推進してきた経産省(通産省)、原子力委員会、東大原子力工学科の御用学者の誰一人責任を取りません。それどころか、いまも枢要の地位で「折りあらば原発をよみがえらせよう」と狙っています。
日本は、中曽根康弘・元総理大臣をはじめ歴代の首相をふくめ、国策として推進してきた原子力発電政策そのものを検証しなければならない時機にきています。今回の事故検証とは別に、戦後を通じての原子力問題を検証するという問題があります。
しかし日本は、大きな問題について「検証する能力」を持ち合わせていないかのようです。先の大戦についても、いまだにさしたる「検証」成果がありません。どこもきちんと検証をやっていないのです。「なぜ戦争へ突入したのか」ということすら、「軍部の責任」程度ですまし、国民の責任、メディアの責任にまで総合的にまとめた検証はありません。歴史的遺産といえるほどの検証結果がない。だから、繰り返すのです。
原発事故も必ず繰り返すと断言できます。なぜなら、これからも地震も津波もあり、火山の噴火があるかもしれず、原発テロですら絶対にないとは言えないのです。そのときはまた「想定外」と言い訳することがいまから分かっています。
どんなに「安全性」を高めたとしても、そこにある高濃度の放射性物質の存在そのものが消えることはなく、放射線を出し続けます。「電力不足」といった当面の問題とは比較にならない、人類の存在にかかわる問題を秘めているといえます。
原発事故から3か月が経ちました。検証委員会は決して「責任を無罪にする場」であってはならないはずです。ボク自身は、日本が脱原発によって世界の「文化」をリードする立場に立つことができる機会としてとらえたいと思います。
生き生き箕面通信916(110611)をお届けします。
・「原発事故の責任は追及しない」と、原発事故検証委員長
「3・11」から本日で3か月。復旧・復興の先頭に立つべき菅首相は、辞任を表明した後に続投へ意欲を見せる「保身だけがすべて」といった風情です。復旧・復興への道筋も、地元の人々の忍耐強さをいいことに、いまだにゆるゆるです。それで平然としているといっても過言ではありません。
本日の朝日、読売新聞とも、そんなリーダーに対して「一言物申す」という記事はどこにも見当たりません。結果的にメディアの不毛、ジャーナリズムの機能不全をさらしています。
政府の原発事故調査・検証委員会が立ちあがりましたが、委員長の畑村洋太郎・東大名誉教授はまず「事故の責任追及はしない」と明言しました。菅首相は安心して、「私も被告」と、またまたパフォーマンスのあいさつ。その「被告」さんは、「首相を続けさせていただきたい」と国会で答弁しました。どこまで国民を愚弄するつもりなのか。菅首相のうすら笑い顔をみていると、執ように立ちあがってくるゾンビを見るようで気持ちが悪くなります。
これだけの事故を起こしておきながら、誰も責任を取らない。わずかに東電の社長が変わったくらい。原子力発電をしゃにむに推進してきた経産省(通産省)、原子力委員会、東大原子力工学科の御用学者の誰一人責任を取りません。それどころか、いまも枢要の地位で「折りあらば原発をよみがえらせよう」と狙っています。
日本は、中曽根康弘・元総理大臣をはじめ歴代の首相をふくめ、国策として推進してきた原子力発電政策そのものを検証しなければならない時機にきています。今回の事故検証とは別に、戦後を通じての原子力問題を検証するという問題があります。
しかし日本は、大きな問題について「検証する能力」を持ち合わせていないかのようです。先の大戦についても、いまだにさしたる「検証」成果がありません。どこもきちんと検証をやっていないのです。「なぜ戦争へ突入したのか」ということすら、「軍部の責任」程度ですまし、国民の責任、メディアの責任にまで総合的にまとめた検証はありません。歴史的遺産といえるほどの検証結果がない。だから、繰り返すのです。
原発事故も必ず繰り返すと断言できます。なぜなら、これからも地震も津波もあり、火山の噴火があるかもしれず、原発テロですら絶対にないとは言えないのです。そのときはまた「想定外」と言い訳することがいまから分かっています。
どんなに「安全性」を高めたとしても、そこにある高濃度の放射性物質の存在そのものが消えることはなく、放射線を出し続けます。「電力不足」といった当面の問題とは比較にならない、人類の存在にかかわる問題を秘めているといえます。
原発事故から3か月が経ちました。検証委員会は決して「責任を無罪にする場」であってはならないはずです。ボク自身は、日本が脱原発によって世界の「文化」をリードする立場に立つことができる機会としてとらえたいと思います。