いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

今日は成田で; かえで?

2013年12月08日 19時09分30秒 | 草花野菜


 ―成田山新勝寺-

成田に行った。新勝寺の銀杏の黄葉の絶頂は過ぎていた。残念。 

今日12月8日は、ブッタさまが悟られた日です。スジャータさんが活躍された日らしいです。

■ 造反戦争としての1941年の対米英宣戦布告


―中国文化大革命中の腕章と昭和16年12月9日の新聞―

12/8の開戦記念日、大詔奉戴日なので、少し思いつき。 1941年12月の大日本帝国の対米英宣戦は東条内閣でなされた。でも、そこに至った原因と大戦争を可能にした政治体制の構築は近衛文麿の数次にわたる内閣でなされた。つまり、日中戦争(当時の呼称は支那事変)にのめりこみ、大政翼賛会をつくり、国家総動員法をつくり、日独伊三国同盟を結び、最後には仏印に進駐した。仏印進駐が対米戦回避の可能性を断ったと判断する歴史家も多い。

その近衛文麿は、1918年に『英米本位の平和主義を排す』という論文を書いた。第一次世界大戦直後の時評である。要旨は、第一次世界大戦で負けた帝政ドイツは遅れてきた強国(帝国主義国という言葉は使っていないが、そういう意味)であり、帝政ドイツは自存自衛のために戦争をしたという面もあるのだ。それをすでに既得権で欧州はじめ世界を支配しはいしている英米が平和主義という物差しでドイツを裁き、豊かな自分たち英米が戦争しなくて済む現状維持勢力である状況を無視して、欺瞞的だ!というものだ。例えば下記のように書いてある;

 欧州戦乱は既成の強国と未生の強国との争いなり、現状維持を便利とする国と現状破壊を便利とする国との争なり。現状維持を便利とする国は平和を叫び、現状破壊を便利とする国は戦争を唱ふ。平和主義なる故に必ずしも正義人道に叶ふに非ず、軍国主義なる故に必ずしも正義人道に反するに非ず。要は只その現状なるものの如何にあり。

つまり、遅れてきた帝国主義国のいきさつに同情し、遅れてきた帝国主義国を受容しなかった英米に憤っているのだ。 なんだ、造反有理の思想ではないか!

近衛が1918年に27歳で『英米本位の平和主義を排す』を書いてから、20年後、1937年に首相になってやったことは、今から見ると27歳の時の『英米本位の平和主義を排す』の思想に則ったものに見える。

ただし、近衛の実生活は親米英的であった。自ら英国、米国に行くし、息子は米国に留学させた。金持ちけんかせず。近衛文麿のおもしろさは、下半身=物質的構成が「俗物=物質的=米英的=快楽主義=暖衣飽食→セックス大好き=京大時代は「妾」をもっていたらしいこと」であり、一方、頭脳=観念が(公爵という皇族以外で最高位にありながら)孤児(生母が産後まもなく死んだ)、幼少期の貧乏(公爵家なのに借金取りが来た)など不遇体験に基づく観念左翼&観念右翼であることだ。なによりのおもしろさは、ヒトラーの仮装をしてしまうところだ(愚記事:近衛文麿 ヒトラー仮装写真 )。

でも、歴史において、日本は世界の現状維持勢力であった米英に戦争を挑んだ。世界の体制への挑戦である。 造反じゃないか!

世界の体制への挑戦というイデオロギーは共産主義、ナチズムから注入された。近衛自身そもそも『英米本位の平和主義を排す』という気質があるので、共産主義やナチズムを学習したに違いない。

『英米本位の平和主義を排す』の文章の魅力は中二病的要素が入った、世界の暴露、暴露された現状や体制への挑戦文であることだ。アジビラ風でもある。conservativeな上品な人にとってには耐えられない幼稚なものだ。暴露することに成功したことに陶酔し建設案を出しているわけではない。建設案がないので、自ずと破壊や反逆しか活路がみあたらない。

■ さて、2013年

今の中国共産党の言い分は『日米本位の平和主義を排す』といったところか?

リークアンユーは[愚記事]、中国は第二次世界大戦を起こした日本やドイツみたいことをすべきではない。静かに世界で大きくなれと言っている。

中国は帝政ドイツの過ちを繰り返してはならないとフィナンシャルタイムズはいったそうだ。

一方、国内問題として、中国は「中産階級の罠」は回避できるとの見通しとの報道(google[中国 中所得国の罠])。

日本もドイツも戦争前夜は中産階級が半端に形成された時期で、戦争を望み、翼賛したのはその中産階級の大衆である。

(なお、新聞というのは中産階級の大衆が戦争の情報を得るため購入することで発行部数が増えた[関連愚記事]。)

それにしても、『英米本位の平和主義を排す』を毛沢東が読んだら、絶対喜んだと思う。反米ということではなくて、造反を唆す中二病的なところ。

▼ 話はすごい飛ぶが、戦争ネタということで、

中国の文化大革命の時期に、日本の映画『山本五十六』、『日本海大海戦』、『ああ、海軍』、『トラ・トラ・トラ』などが日本から中国に輸入され特定の劇場で非公開で上映されていた(唐亜明、『ビートルズを知らなかった紅衛兵』)。大義名分は、日本軍国主義復活批判である。林彪一派はこれらの映画を見ていたと記録がある。中国共産党の特権階級は楽しんでいたのだ。当時の中国の敵は米ソである。反帝反修の時代だ。その時代、ロシアやアメリカの艦隊を次々打ち破るわれらが大日本帝国海軍の栄光の記録を中共幹部は観ていたのだ。無意識にでも大日本帝国の造反にしびれていたに違いない。

さて、20年後国力が伸張するとみなされている中国。衰退が免れないとされる米国。平和の海=the Pacific oceanはどうなるのであろう。

実現性はともかく、考えられるひとつのシナリオが日中連合造反軍がパールハーバーを襲うことである。

当然、そのとき日本は中国に「飲み込まれている」のであるが。ただし、その時の為政者=対中従属派は現在の対米従属派とそのメンタリティは変わらない。ただ、長いものに巻かれただけさ。

そのとき日中で山本五十六が英雄となっていたら、にこにこできる。 なにより、「実現性はともかく、考えられるひとつのシナリオが日中連合造反軍」における将来の「日中連合造反軍」への道の第一歩は、「離米」志向である。今、「離米愛国」なんていって本を出している御仁こそ中南海からの工作員かもしれない。 愛国無罪って言葉もあるしね。