いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

新しい街でもぶどう記録;第382週

2022年03月05日 17時28分59秒 | 草花野菜

▲ 今週のみけちゃん

▼ 新しい街でもぶどう記録;第382週

■ 今週の武相境斜面

■ 今週の草木花実

■ 今週のメタセコイア(とラクウショウ)

石神井公園(東京都練馬区)

■ 今週の訳あり(東京産)

■ 今週の「変」

石変。前回の石変は茨城県石岡市の石でした。今週は石神井の石です。

■ 今週の見出し

みつめる猫

■ 今週の巾着

もちきんちゃく。

■ 今週の物産


東京都豊島区東池袋1丁目2番2号 東池ビル1・2階

池袋に行った。池袋といえば、宮城県のアンテナショップ。

三角揚げを買う。三角揚げといえば定義山が有名。おいらは行ったことがなかった。さらに、仙台に居た頃は自覚的に三角揚げを買って食べた記憶がない。ただし、近所の豆腐屋さんで、厚揚げを買っていた。

まあ、厚揚げ。

三角揚げ

宮城県民大好き「三角揚げ」は大豆の旨味がギッシリ詰まった一品。
カリッと焼いてお召し上がり下さい。
添付のタレは醤油メーカーと共同開発の三角揚げ専用です!

■ 今週の abbreviation(略語)

■ 今週の購書

福井雄三、『開戦と終戦をアメリカに発した男 戦時外交官 加瀬俊一秘録』(Amazon)によると、加瀬は、ロイド・ジョージ、チャーチル、ヒトラー、スターリンに会ったことがあるとのこと。おまけが、サマーセット・モームである。飛行機で隣であったという。これは、MI6(英国の情報機関)の任務も担っていたモームがわざと加瀬の席の隣を予約して、諜報目的で近づいたとの説が考えられると。

毛沢東に会っていれば満願ドラドラ裏裏だったのに!

■ 今週の古本(通販)


Amazon                                                                  日本の古本屋

借りている本、『鏡の中のアメリカ』(先崎彰容)に、ケヴィン・ドーク (wikipedia)なる日本学研究者である米国人教授についてのくだりで、日本で行われたシンポジウムにおいて永井陽之助の論文「解体するアメリカー危機の生態学」(1971年)などに言及し、米国情勢を論じたとあった。この論文にはピンとこなかってので、検索すると、『柔構造社会と暴力』に収録されているとわかる。この本は持っていない。永井陽之助は中公叢書で4冊出している。そのうち、おいらが持っていないのは、この『柔構造社会と暴力』だけだとわかる。なので、買おうと思った。

中古価格を見ると、高い。

でも、Amazonに、なぜかしら、850円というのがあった。その850円の品は表に表示されていないのだ。最低8,500円の中古品リンクをクリックすると、出た。850円。われらがもったいない本舗だ。今でも、桁をまちがったのではないかと、思っている。

4冊、揃った。でも、『平和の代償』(4冊のうち最初の出発)は旧装丁版ではないのだが。

■ 今週のもったいない本舗

2022年3月のカレンダーの絵図は、団子とお茶で花見。

■ 今週借りた本

◆この本は、日本大学の先崎彰容教授が、2019年8月から1か月と少しの間(?)、学術交流のためアメリカを旅行する記録。先崎彰容教授の専門は近代日本思想史。行程は、東京からサンフランシスコ(以下SF)に行く。サンフランシスコは維新前の幕府が福沢諭吉などの使節と維新後の明治政府の岩倉使節がかつてやって来た街。そこの図書館で文献集めをしたり、旧知に会い、米国事情を取材する。その後、ワシントンDCに移動。DC近郊のジョージタウンのジョウージタウン大学で講義と講演を行う。ホストは、同大教授のケヴィン・マイケル・ドーク。講義は教授が1年生向けに行う「神学」の講義のなかでの日本の神道のカミについて学生に説明する。3回(3週)。講演は、学外でが主催するセミナーで「デモクラシーとは何か」という日本政治の現状についての論。講演4分、質疑1時間。DCではアーリントン墓地、硫黄島像を見る。DCからはシカゴに行き、大陸横断鉄道でSFに戻る。SFでは安宿に泊まって強姦と強盗で出くわす。さらにSFから航空機で帰国。

さらにこの本の特徴は、ひと月の米国旅行記は直接体験ばかりではなく、久米邦武『米欧回覧実記』、江藤淳『アメリカと私』、山崎正和『このアメリア』のアメリカ経験・アメリカ論を論じる。150年にわたる日本人のアメリア「現地」経験の系譜のなかで、今回のひと月の米国旅行記を語るつもりの意図でつくった本。特に、岩倉使節団がアメリカ大陸を鉄道で横断した史実になぞらえ、逆方向ではあるが、シカゴからSFへの鉄道旅行記が含まれている。この本の表紙はグランドキャニオン的荒野に走る鉄道の写真となっている。

◆ ケヴィン・マイケル・ドーク

ジョージタウン大学東アジア言語文化学部教授。『日本浪漫派とナショナリズム』(Amazon)が有名とのこと。高校生の頃から日本留学。先崎は書いている;「ドーク教授は、高校時代に長野県の上田に留学したことがきっかけで日本に興味を持ち」、「日本に留学した際には立教大学に籍を置き 」。つまり、日本に興味があったから日本に留学したのではないとわかる。1960年生まれのドーク教授が高校生の頃といえば、1975-1977年だ。今の人は気づかなかいかもしれないが、この当時(1975-1977年)、日本にいた米国人高校生は現在のそれらより多いかもしれない。なぜなら、当時は今はない米軍家族用の高校がいくつもあったのだ。でも、ドーク教授は長野の上田の留学にしたとある。米軍家族ではなさそうだ。では、なぜ興味のない日本に留学したのか?ドーク教授は大学時代の留学先は立教大学とある。そもそも、ドーク教授はカトリック教徒である。立教大学といえば、ポール・ラッシュ(wikipedia)[GHQで戦犯リスト作成に携わった日米関係の闇を知る男]の大学だ。ただし、立教大学はカトリックではないらしい。

ドーク教授が務めるジョージタウン大学は米国最古のカトリックの大学だそうだ。イエズス会。2020年に新盆を迎えたアレン少尉もこの大学の出身だ。かつては奴隷売買を行っていた。ジョージタウン大学は1789年にイエズス会によって設立されたが、イエズス会は1838年、借金を返済するために奴隷272人を売却した(ソース)。

では、なぜカトリック教徒のドーク教授が立教大学なのか?正確にはわからない。でも、邪推を惹起させることが先崎の本に書いてあった。田中耕太郎ドーク教授は田中耕太郎を研究し、人物を評価しているとのこと。田中耕太郎といえば、砂川事件の裁判について、裁判の処理方針を内密に米国側に説明していた(wikipedia)。つまりは、日米関係=実態は日本が米国の保護国である状態を維持するために、倫理に悖ることを行った最高裁判事である。こういう背景や条件から推定するに、ケヴィン・マイケル・ドークは、カトリックの世界戦略の一端として異教徒理解の責務が課せられた人間として育てられたのではないだろうか?東アジア言語文化学部教授であり、かつ神学をも教えているということも上の説を支持する証左となる。

もちろん、先崎の本には田中耕太郎のこの「曲倫阿米」(倫理を曲げて、アメリカに阿る)の話は出てこない。日米関係150年において、アメリカとは日本人にとって何であるのか?を問うはずの本なのに。この件はアメリカ現地体験ではないので、論外ということか?

先崎はドークの思想を説明する;

篤実なカトリック信者であり、しかもアメリカから宗教が奪われれば奪われるほど、人種や移民問題が顕在化して「分断社会」を生み出してしまうとドーク教授は常々、主張していた。
 個人的な信仰にくわえ、母国アメリカが肌の色から精神的一体生まで全てがバラバラに解体し、荒んで進んでいくことを、彼は深刻に憂慮している。彼が日本ロマン派の研究から出発し民族問題に関心を持ちながら、その後、「近代の超克」座談会に出席していた戦前のキリスト教学者・吉満義彦に興味を持ち、また田中耕太朗を通じカント哲学の普遍主義を賞賛する背景には、なまなましい問題意識が付着していた。普遍的理念への信頼がなければ、今、目の前にあるアメリカ社会は瓦解してしまう。民主主義を信じていたはずの母国はポピュリズムとかし、砂団子がバラけるように国家は解体してしまう。

綺麗に言えば、保守派。リベラル派から見れば「宗教右翼」というところか。

◆ 特に理解できずギョっとしたくだり

 それ(アメリカで希望がもてる例として、ある小さな町に、人びとの温かいつながりがりと活気があることの原因)はアメリカにおける教会の役割の重要性のことだ。ドーク教授の発表内容を見る限り、僕はアメリカを立て直すには、まずもって白人中間層の精神的安定が必要なのだと直感した。移民大国であるアメリカには、アメリカ全体を一挙にまとめあげ、精神的安定を確保する手段は原則的に存在しない。各州の独立性が極めて高いことに象徴されるように、それぞれの州が抱えている移民の比率も違えば、課題も全く異なっている。そのアメリカにあって、まずもって必要なのは宗教の再建なのであって、もちろんここにははヒスパニックもキューバ系移民も含まれることはない。だがそれでも、緊急の止血処置として教会の復活が必要だという声が、彼らの著作からは響いてくるのだ。
 こうしたアメリカ社会論と戦前の思想研究は、ドーク教授の中で深いところでつながっているように思われた。

突然、白人中間層と宗教を指定してのアメリカ再建策の提示だ。一方、先崎は同書で云っている;

 アメリカは独立宣言の国であり、あらゆる人種を受け入れていること、つまり分裂するアイデンティティを唯一のアイデンティティとする国であった。人口性が最も高い国家でありそれは日本の国柄と著しく異なる。 引用p91より 

 一般的にアメリカは移民を前提とした理念国家であるとされる。ここで理念とは独立宣言も含む。つまり、特定の人種が、習慣的にでも支配的であることは、理念上、許されない。それが理念(建前)である。そういう観点から見て、まずもって白人中間層の精神的安定が必要とは驚く。中間層の再建とかいうのはあり得るが、なぜ白人中間層の精神的安定?そして、ヒスパニックやキューバ人の排除が当然視されている。

なお、上記の引用p91のところで、先崎はトランプ大統領について、「白色こそがアメリカの色なのだといい始めるとき、実はアメリカは自己崩壊を始めている」と書いている。そうであるならば、白人中間層の精神的安定が必要とはどういう意味なのか?わからない。

◆ 「貧乏」旅行で見えた底辺アメリカ

この本に正確には書かれていないが、旅費は著者の勤める大学が出したように見える。ホテルの予約は業者に任せたとある。そして、安いホテルに泊まる。(ジョージタウン大学ではそうでまない。これはホスト側が準備したからか?)アメリカで安いとはただ安いだけではなく、安いものを求める人々が集まる場所であることも意味する(アメリカ一般論)。つまり、安い、イコール、危ない人・貧乏な人が多い。先崎は泊まった先での食事で行ったフードコートで、「物乞い」ならぬ「カネ乞い」に遭う。さらには、フードコートで懸命に働く無愛想な「移民」を見る。

これらに先崎は「生」に対する貪欲を見て、感動する。そして、こういう経験を本当にしたいのであれば、現在の自分を一切すてて、いち移民としてアメリカ社会に素手で生きていかなければならない。実際は、そういうことはできないのだから、今自分がフードコートで見たアメリカは、日本で築いた地位と金銭を利用したアメリカ旅行者がただ見ている現象である。これを「鏡の中のアメリカ」と云っている。自分はアメリカに参画するものではなく、認識するだけの者であることらしい。そして、先崎はアメリカ旅行に求めていたものは彼女たちの生への貪欲さなのかもしれないと言っている。

こういうこともあってか、先崎のアメリカ理解はこうでもある;

つまり、「アメリカ人」であることの条件は、故郷喪失を前提しているということである。それは決定的に安定性を欠いている。引越しをすること、放浪すること、束の間であること自体が、アメリカ人の自己同一性なのである。

最期のサンフランシスコでは安宿に泊まり、強姦と強盗を目撃。その安宿がある16番街ミッション駅付近。GoogleMapのペグマンに見てもらった。

◆「普遍」文明に対する日本人の態度は三類型あると先崎はいう。①「普遍」文明に同一化して、正しい普遍文明の立場にあって権勢をふるう。②普遍文明を拒絶する。攘夷派。③普遍文明と日本文明に引き裂かれながら、自己同一性の危機に陥るも、その危機克服の過程で独自の思想を生み出す。久米邦武『米欧回覧実記』を論じるとき、先崎は久米を憧憬し同一視しているようなのだが、使節団の伊藤博文と森有礼に厳しい。伊藤と森は上の第1の類型だと先崎は考えているのだろう。

さて、先崎はアメリカの学生相手の講義で、「では、アメリカ人であるみなさん自身は、こうした普遍的価値に襲われたことがあるだろうか」と問いかけて、意外な反響があったとある。ただし、どんな反響があったのかは書いていない。

◆ 「普遍」的価値=人道・人権に洗われる米国社会;分断の駆動力

前述のように先崎は講義を受けた1年生の学生に「では、アメリカ人であるみなさん自身は、こうした普遍的価値に襲われたことがあるだろうか」と問いかけたと報告しているが、具体的な学生からの応答は書かれていない。先崎が見て調べたアメリカ社会を知りたい読者にとって、一番興味があることなのに。

この本の話から離れるが、米国で分断が進んでいる中で、文化、あるいは政治文化での分断が深刻であると伝えられている。それは米国の歴史を抜本的に見直して再構成しようとする文化運動の発生と推進である。「1619プロジェクト」。このプロジェクトは公教育でも広められはじめており、民主党の政治家も賛同し、副大統領のカマラ・ハリスは公然と「1619プロジェクト」支持を主張している。

この「1619プロジェクト」は、アメリカの建国が1776年であるという従来の歴史認識を批判し、奴隷がアメリカに連れてこられた1619年を建国の年とする歴史理論。その「1619プロジェクト」から見れば、1776年の独立宣言とはワシントンら現在建国の父とよばれる奴隷主たちがその利益存続を図るためイギリスとの関係を絶ったという認識となる。1776年のアメリカは民主制(democracy)の国ではなく、slavocracy [wikipedia](奴隷所有者による支配、奴隷政体)であるのだという主張。従来の1776年の建国で民主制のアメリカが建国という認識は、白人中心の勝手な歴史認識だということだ。

そもそも、(この「1619プロジェクト」では第一義的に言及されていないようだが)米国建国は先住民の(意図的とは断定できないが疫病流布による)大量駆逐、(意図的な)大量虐殺(ジェノサイド)の結果できた国である。

つまりは、アメリカ建国は、ジェノサイドを成功させた奴隷主たちがつくった国ということだ。大量虐殺と奴隷制は、「人道への罪」という普遍的価値に根本的に悖るものである。普遍的というのだから超歴史的に判断すべきと考える人々がいて当然である。すなわち、現在、アメリカはその来歴が「人道への罪」という普遍的価値の観点(をもつ"リベラル派")から糾弾されているのである。

先崎はアメリカの学生相手の講義で、「では、アメリカ人であるみなさん自身は、こうした普遍的価値に襲われたことがあるだろうか」と聞いたというが、これは家が火事で燃えている人に、「何か災いにあったことがありますか?」と聞くようなものではないか。

いや、先崎が対峙した学生さんは、イエズス会の大学の学生さんだ。イエズス会といえば、奴隷貿易にも関与しており、上述の通り、ジョージタウン大学は奴隷売買を行っていた。だから、涼しい顔をしているのかもしれない。そもそも、ケヴィン・マイケル・ドーク教授は「保守派」であり、そういう1619プロジェクト」のようはアメリカ解体を促進する文化運動に対抗することを使命としているにちがいない。そうであるなら、学生さんたちがどういう心持でどう対処していく所存なのか聞いてみたい。そいいうことを先崎が聞き込んで、報告してほしかった。

■ 今週の展覧会::近代日本の美術エリートの従軍・捕囚体験

香月泰男展、練馬区立美術館 (web site 生誕110年 香月泰男展

展示の広告につかわれているのは、作品《渚<ナホトカ>。この絵はシベリアでの抑留における奴隷労働の後、帰国の途中の港町ナホトカでの経験を基にした作品。この作品について作者の香月泰男が自ら説明を残している;

 1947年5月初旬、私達はナホトカの渚に下車、漸くたどり着いたと言えよう。
 ああ、この塩辛い水のつながる向こう岸に日本があるのかと舌でたしかめたものだ。
私達は一晩砂浜で寝た。その時の情景を描いた積りだが、何だか日本の土を踏むことなくシベリアの土になった人達の顔、顔を描いているような気がしてならぬ。
 20年経った今の、単なる私の感傷であろうか。

上の図ではわかりずらいが、細部を見ると↓

香月の代表作《北へ西へ》など"シベリアもの"と呼ばれる一連の作品に認められる「顔」がたくさん描き込まれている。


香月泰男、《北へ西へ》

香月泰男は1911年(明治44年)山口県三隅(現在 長門市)に生まれる。(のち、人生の大半を当地で暮らす)。東京美術学校(今の藝大)西洋画科卒。師は藤島武二。卒業後、美術教師。1943-1947年従軍。満州駐屯、敗戦後シベリアに連行され奴隷労働。周囲に多くの犠牲者を出しながら、帰国。美術教師に復帰。のち、作家に専念。シベリア捕囚体験に基づく「シベリアもの」シリーズを発表。1974年、死亡。

香月泰男、阿部合成(wiki)、山下菊二(wiki)、鶴岡政男(wiki)と洋画家の名を並べる。これらの画家は針生一郎の『わが愛憎の画家たち』に取り上げられている作家たちで、従軍体験が作品創作に影響を及ぼしている。上記の作家を含め多数の画家たちの作品が展示されたのが、宮城県立美術館で2015年に催された『わが愛憎の画家たち; 針生一郎と戦後美術 』。香月泰男の作品は《朕》。


香月泰男、《朕》

香月泰男が自ら説明;

 人間が人間に命令服従を強調して死に追いやることが許されるだろうか。民族のため、国家のため、朕のため、などと美名をでっち上げて・・・・。
 朕という名のもとに、尊い生命に軽重をつけ、兵隊たちの生死を羽毛のごとく軽く扱った軍人勅諭なるものへの私憤を、描かずにはいられなかった。敗戦の年の紀元節の 営庭 は零下30度あまり、小さな雪が結晶のまま、静かに目の前 を光りながら落ちてゆく。
 
兵隊たちは凍傷を恐れて、足踏みをしながら、古風で、もったいぶった言葉の羅列の終わるのを待った。
 
我国ノ軍隊ハ世世。天皇ノ統率シ給イシ所ニアル…朕ハ大元帥ナルソ、サレハ朕ハ………
 
朕の名のため数多くの人間が命を失った。

一方、

なぜソ連は終戦後県我々携帯をシベリアへ連行し労働を強制したのか。労働力不足の補強策ではあったろうが帰ってそれは目に見える、取り返しのつかぬ大きなものを日本人から失ったのだ。あの貧弱な給与で過酷な労働を終戦後の我々に課して、何が農民の労働者の天国創造を目指す国することか、腹のつくたびに(いつもすいていたからいつもということになる)日本の戦争指導者への恨みとソ連への不信感で苛立ち通した」(飢えたシベリア)針生一郎、『わが愛憎の画家たち』から孫引き。

と書いている。ソ連への恨みもあったのだ。

▼ デスマスク風「顔」の由来

香月泰男は1929年に上京し洋画の勉強を東京で始める。1930年代といえばモダニズムの浸透が本格的に進行し、日本の先端的な文化関係者はこぞって欧米の風潮、流行を摂取していた時代。香月は、ゴッホ、ピカソに傾倒した。そして、洋画の技法を身に着け、洋画を描くことでの自己表現が身に付いた。これは、洋画を描くことでしか自己表現をできない人間になったともいえる。

さて、香月が復員して、シベリア・シリーズを描くまで時間がある。その間、香月はヨーロパに行っている。そこで、ロマネスク、ゴシックの美術に触れた。つまり、あのデスクマスク風の「顔」は、ロマネスク的、あるいはゴシック的キリスト像の顔なのだ。香月はその「顔」を描くことができるようになり、シベリア・捕囚シリーズとなったに違いない。

▼2004年の「没後30年の香月泰男展」という解説(安井雄一郎 [1])に網羅的かつ詳細に香月泰男と経歴、作品がある。多くの作品が見ることができる。

[1]  安井雄一郎(やすい ゆういちろう)
1949年、宮崎県に生まれる。九州大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学(美学・美術史)。 78年に山口県立美術館研究員に採用され、現在、山口県立美術館学芸専門監(普及課長兼務)。香月泰男関連では、「香月泰男―その造形と抒情の軌跡」展、「-35度の黙示録 香月泰男〈シベリア・シリーズ〉」全国巡回展、「福島繁太郎と戦後洋画―昭和洋画の一側面」展などの企画展を担当。主な関連論文に「従軍時代の香月泰男の制作」、「描かれた「大陸」モチーフからシベリア・シリーズを考える」ほか。

 

 



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