いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

新しい街でもぶどう記録;第366週

2021年11月13日 18時06分33秒 | 武相境

▲ 今週のみけちゃん

▼ 新しい街でもぶどう記録;第366週

■ 今週のよその猫


神奈川県小田原市

■ 今週の草木花実

■ 今週の庭

小田原、古希庵。山縣有朋がつくって今に残る庭のひとつ。あとは、椿山荘、無鄰菴(京都・無鄰菴再訪 2021年春)。

■ 今週の「自由」を遮るもの「わすれられないたいけん いばらき


JR上野駅、猪熊弦一郎の壁画『自由』を遮る茨城県の広告「わすれられないたいけん いばらき

■ 今週の変


茨城県、石岡市

■ 今週の富士山

多摩モノレールより。立川付近。

■ 今週の神社

阿豆佐味天神社・立川水天宮。 猫返し神社。

愛猫の無事や健康を祈りに多くの方がいらっしゃいます。境内社の蚕影神社(こかげじんじゃ)がその社で、蚕の天敵がねずみ、猫を守り神にしています。「絵馬」に願いを書いたら、無事に帰ってきたという報告も寄せられています。
また、境内には「ただいま猫」の石像があります。やさしく撫でて下さい。阿豆佐味天神社・立川水天宮

■ 今週の石; 仙台石


阿豆佐味天神社・立川水天宮。殉国慰霊碑は仙台石でできていた。仙台石って知らなかった。

仙台石: 稲井石とは、「仙台石」とも呼ばれ、全国にその名を馳せてきた名石「稲井石」。 その歴史は古く、文永五年(西暦1268年)に建てられた宮城県河北町の板碑に使われているのが確認されています。 石質はくろくどっしりと重厚感があり、美しい石目が特徴で、文字を刻むと鮮明な白が浮かび上がることから、明治以降各地の記念碑、墓碑に数多く利用されてきました。ソース

■ 今週のフェンスの向こうのアメリカ

在日米軍、相模原補給廠。 JR横浜線車中より。

■  今週のレコンキスタ史跡探訪: 旧米空軍大和空軍基地跡 (東大和市)

大和空軍施設(やまとくうぐんしせつ)は、かつて東京都東大和市及び立川市に所在していた米軍基地である[1]。大和基地とも呼ばれる。面積343,537平方メートル(約34ヘクタール)のうち、東大和市所在分は約31ヘクタールで立川市所在分は約3ヘクタールだった。
基地建設

2020年現在の東大和市桜ケ丘2丁目から3丁目辺りは第二次世界大戦中には日立航空機の立川工場があり、工場ではエンジンや機体を製造していたが、米軍の3度(1945年2月17日、4月19日、4月24日)にわたる空襲により、工場は壊滅する。

第二次世界大戦後、工場跡地は日興工業や西武鉄道の所有となっていたが、1950年(昭和25年)6月の朝鮮戦争によって新規に基地を建設する計画が持ち上がり、1952年(昭和27年)9月に西武鉄道の所有地が米軍兵舎用地として利用される通告が外務省及び東京都からなされる。大和村(現:東大和市)の人々は「在日合衆国軍兵舎接地反対期成同盟」を組織し村民大会を開催するなど、反対運動を展開した[3]が、1953年(昭和28年)2月27日には土地収用が認定され、同年7月15日に土地収用がなされる。wiki

 

玉川上水駅前にある当時の現物プレート。この看板が基地の門に掲げられていたとのこと。英文の下に日本文がある。日本文は下記に画像と文章を示す。

旧日立航空機立川工場変電所

この変電所は、航空機のエンジンを生産する軍需工場へ送電する変電施設として1938年(昭和13年)に東京瓦斯電気工業株式会社変電所として作られた。翌年には日立製作所と合併、日立航空機株式会社立川工場<立川発動機製作所>の変電所に改称する。戦局の激化に伴い1945年(昭和20年)2月17日、F6Fヘルキャット戦闘機、4月19日、P-51ムスタング戦闘機らによる機銃掃射、4月24日にはB-29 101機の編隊による空襲により被災。隣接する工場は大破したが変電所は大きな被害は免れた。wiki

大和空軍基地」昭和三十一年二月二十四日 正式開設

 我々は世界の平和が総ての自由愛好国家の間に於ける親睦友好関係に対する努力を通して得られることを心に銘記して居ります。
  日本とアメリカ合衆国両国民の間に育てられた固い絆は平和のための永久の防波堤となるでありましょう。
  我々は大和空軍基地将兵が当基地と大和町民とによって現在享有されている尊敬友情を更に助長するよう総ゆる面に於いて身を処して行くことを願うものであります。

■ 今週のレコンキスタ史跡再訪

立川の昭和記念公園。

▼ 今週知った立川l基地の歴史; タイ国空軍が駐留していた。

朝鮮国連軍というのがあり、日本にいる。その朝鮮国連軍の一国としてタイの空軍が1969年まで立川基地に駐屯していたとのこと。

朝鮮国連軍は,1950年6月25日の朝鮮戦争の勃発に伴い,同月27日の国連安保理決議第83号及び7月7日の同決議第84号に基づき,「武力攻撃を撃退し,かつ,この地域における国際の平和と安全を回復する」ことを目的として7月に創設された。また,同月,朝鮮国連軍司令部が東京に設立された。

横田飛行場に所在する朝鮮国連軍後方司令部には,ウィリアムス司令官(豪空軍大佐)他3名が常駐しているほか,9か国(オーストラリア,イギリス,カナダ,フランス,イタリア,トルコ,ニュージーランド,フィリピン,タイ)の駐在武官が朝鮮国連軍連絡将校として在京各国大使館に常駐している。外務省、朝鮮国連軍と我が国の関係について

▼ 横田基地の歴史に書いてあった;

一方、国連軍分遣隊として立川基地に駐留していたタイ王国空軍が、1969年12月、立川基地の閉鎖に伴って横田基地に移って来ました。その時初めて国連の旗が横田基地に掲げられました。タイ王国空軍の兵士は去ったものの、国連旗は現在に至り横田に掲げられています。ソース

■ 今週の武蔵野

■ 今週の流れ

■ 今週のゾッキ本

ウヨのおいらは、逆・エコーチャンバー効果として、「リベラル」の本をみた。

~となりを横目でのぞき、自分の道をたしかめる~ ためだ。

・姜尚中の『朝鮮半島と日本の未来』は以前から気になっていた。なぜなら、最近、やっと朝鮮戦争の意味がわかってきたからだ(愚記事:①今年6月で朝鮮戦争勃発70年、②マ元のペット;第1騎兵師団 (1st cavalry division)、朝鮮戦争で苦戦(一部壊滅)し、主なき東京ではなく、札幌へ帰還、1951年の「帷幄上奏」;リッジウエイによる朝鮮戦争説明、あるいは、敗軍の大元帥、戦況を問い質す)。この姜尚中の『朝鮮半島と日本の未来』は最近まで中古価格が下がらなかったが、ついに100円となったのを見つけ、購入。なお、同じ日に、別のブックオフでは500円台だったのをみた。

読むと、北朝鮮の「責任」をかなり相対化しているといわざるを得ない。北朝鮮は絶対悪か?という問いを立てて、そうではないだろうと誘導する。だからといって、他の諸国と同じくらいの責任(端的にいって悪)ではないだろう。金日生が中ソを抱き込んで戦争を起こしたのだから。姜尚中はそのことについて全く言及しない。

さらに、この本の一番の特徴は、中共(中華人民共和国、あるいは、党)についてほとんど言及していないこと。南北朝鮮の今後のことは米中の合意なしにはどうにもならないに違いない。米中とも朝鮮半島に多大な自国兵士の血を吸わせている。中共は金日生の冒険主義の失敗の尻ぬぐいのため17万人(中共の発表)が死んだ。本当はもっと多いとされている。これだけ犠牲を払っているのだから、朝鮮半島での潜在的覇権を中共が手放すとは思えない。

姜尚中の『朝鮮半島と日本の未来』は、南北朝鮮の今後における中共の役割、出方など全然言及していない。

よくもわるくも日本の役割は限られているのであり、日韓関係の改善のために、仮に韓国の要求を日本が全部受け入れても、南北朝鮮の統一に寄与できることは限られている。

・西崎文子って名前も知らなかった(ググったら、サンモニ文化人らしく、苦笑した)。樋口陽一は知っていて、全く説得されないのだけど、この本は読んでなかったので、買った。パラ見すると、玉蟲左太夫が出ていた。江藤淳も出て来て、憲法の専門家が議論しつくしたことをセンセーショナルに議論する(という大江健三郎の表現)といっている。そして、共通の理解の基盤がない人とはどうしようもないみたい物言い。なお、西崎文子も樋口陽一は仙台出身と知った。おそらく二人とも学者の子供だ。そして、革命国家米仏を「精神的祖国」?としてがんばっているらしいという偏見をおいらはもった。

~またひとつずるくなった~ ~当分、てれ笑いがつづく~ ???



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