いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

新しい街でもぶどう記録;第381週

2022年02月26日 17時53分33秒 | 草花野菜

▲ 今週のみけちゃん

▼ 新しい街でもぶどう記録;第381週

■ 今週の武相境斜面

今週は晴れの日が続いた。そのせいで、むしろ、朝は放射冷却で冷え込んだ。霜柱も連日できていた。

■ 今週の草木花実

■ 今週の満載

■ 今週の「歴史」

2022年2月24日、ロシア、ウクライナ侵攻を伝える新聞。歴史になるニュースだ。

■ 今週の駆動力としての物語、あるいは、ルサンチマンとか、レコンキスタとか


<騎士道物語を読み耽るドン・キホーテ>(部分)

今回のロシアのウクライナ侵攻の原因について、プーチン大統領の個性が重要であるとの説が出回っている。すなわち、KGB時代に東独でソ連・共産主義の崩壊に立ち合い、ソ連解体後の縮小したロシアの惨状を経験することによりルサンチマンを抱くようになり、ついに、レコンキスタ(失地回復運動)を開始することとなったと。ルサンチマンとかレコンキスタとか中二病的ブログに頻出する語彙で表現されるプーチン大統領の動機とは何か。

ドン・キホーテさんは騎士道物語を読み耽り、ついには、従者・パンサと闘いの冒険に出る。ドン・キホーテさんの武器は高々槍であり、闘う相手は風車である。ところが、プーチン大統領は核戦争も辞せずと言明し、実際の主権国家に攻め込んだ。この開戦に際し、プーチン大統領は演説した。そして、「物語」を述べた。ドン・キホーテさんにとっての騎士道物語に相当する物語がプーチン大統領にあったという話だ。大ロシアにとって、ウクライナは「半国家」だとのこと。

産経新聞 プーチン氏「被害者」演出 親露派国家承認を正当化

プーチン氏は「ロシアは旧ソ連崩壊後もウクライナに貿易などで多大な支援を与えてきた」と主張。しかしウクライナは恩を忘れ、親露派政権を2014年の「クーデター」で崩壊させたとした。米国がクーデターを支援したとも述べた。

プーチン氏は、南部クリミア半島(ロシアが同年に併合)や東部の親露派支配地域の武力奪還をウクライナは目指していると主張。北大西洋条約機構(NATO)は同国を支援し、ロシアを戦争に引き込もうとしているとの認識も示した。

プーチンが元来現実的な人間、すなわち、そんなに極端なイデオロギーに囚われない政治家であったとのこと。しかし、今では、「正教的大ロシア主義物語」(?)に脳が浸透されて、今度の挙に及んだとの説。ニューヨーク・タイムズの記事を奥山真司さんが解説している。プーチン大統領が西洋の現代の思潮、とくに同性愛容認などのリベラリズムに反感をもっているとのこと。立場は、同性愛などを容認しないロシア正教的なものでもあると推定される。具体的には、「正教的大ロシア主義物語」を騙る知識人からプーチン大統領は話を聞いて、影響を受けているとのこと。

■ 今週の爆鳴音、発砲音

部屋に居たら外で爆発音、発砲音がすごい。こっちにも露助さまが、いらっしゃったのか!?とビビる。窓から見ると、季節外れの花火だった。

■ 今週の専門家@世が世なら海軍大将

伊藤俊幸さんという人がいる。wikipedia。現在、金沢工業大学教授、元海上自衛隊の海将。世が世なら海軍大将だ。一般向けのラジオ番組のコメンテーターもやっている。語り口が一般受けするキャラクターで、話すことが説得力があった。

今回のウクライナ危機では、軍事合理的な観点から、ロシアのウクライナ侵攻はないと予想していた。

大丈夫なんだろうか? 日本の自衛隊の軍事合理性認識。

■ 今週のイカ


https://www.skylark.co.jp/bamiyan/menu/bamitei/index.html

現実↓ 上のメニューでは「うれしい!小盛」と称しいっぱい載っているが、実際は本当に小盛だ。

■ 今週の完食

鳥たちが啄み尽くした柑橘の実

■ 今週の「右翼の国粋主義者」

 私は右翼の国粋主義者でも、イングリッシュグリーンのジャガーが一番美しいとずっと表面には出さずに思っていた。 佐野洋子、『死ぬ気まんまん』

佐野洋子、『死ぬ気まんまん』は、2010年に死ぬ前年、前前年に書かれた文章をまとめた本。死後に出版された。死ぬ間際で書いたものなので、これまで率直に書いてなかったことも書いたのだろう。敗戦前に大陸で生まれた兄弟3人が、引揚の受難の中で、幼くして死んでいく様が書いてある。

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■ 今週の幼子

        
むつひとちゃん(14歳)[1]  ひさひとちゃん(15歳)

[1] 聖徳記念絵画館壁画「践祚」(川崎小虎)の部分 (全体図

今日2月26日は2・26事件から86年。昭和維新が成功しなかった条件にひとつがすめろぎさまが「とうがたって」いたからだ。この時、昭和天皇は35歳。分別さかりである。

一方、明治天皇が践祚したのは、15歳。賊臣慶喜を 殄戮せよ=謀反をなした臣下であるヨシノブを、はずかしめて・ころして・ことごとく・ほろぼせと勅令を出したことになっている(愚記事)。薩長クーデター勢力はこのお墨付きを根拠にしている。15歳といえば、今のひさひとちゃんと同い年だ。自分の文章と他人の文章の区別がつかない年ごろだ(?)。あるいは、中二病をこじらせていたら、殄戮せよくらいのことはいうかもしれない。

なお、1980年代中頃の話。幕末に薩長が仙台伊達家に錦旗を送りつけてきた。これを掲げて会津を討て、と。その錦旗が仙台市立歴史博物館の常設展示にあった。説明書きには、「薩長は自らを官軍と称し、幼帝を戴き、うんぬんかんぬん、仙台伊達家に錦旗を送りつけてきた」(おいらの記憶)とあった。

■ 今週のキリ番

 



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