いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

新しい街でもぶどう記録;第5週目

2014年11月29日 19時37分25秒 | 草花野菜

■ 今週の武相境斜面

■ 今週の看猫

■ 今週の立ち読み

 今週、神保町に行った。内山書店と東方書店も冷やかしに行った。そして、知ったさ、張競さんの『詩文往還』が単行本になっていたって。10月末の刊行だ。立ち読みした。買わなかった(購買力と収納力の2つの課題故)。例の「事実誤認(愚記事;明治大学の張競教授は事実誤認をしていることになる。)」については、 訂正してあった。ただし、訂正の仕方は、「巴金や同行の作家が東京・豊島区高松町の水上勉邸を訪れた。」となっていた(立ち読みの記憶)。同行の作家とは厳文井、馬烽のことらしい(根拠;写真で見る日中文学交流の50年展)。そして、

「同行の作家」という訂正はあたりさわりのないものである。つまり、再びの誤りの可能性を恐れて、あたりさわりのない記述にしたのではないか?

 些細な間違いを見つけては、鬼の首を捕ったように喜んでいる下種なおいらではあるが、実は、この張さんの「その年の5月、巴金や老舎らが東京・豊島区高松町の水上勉邸を訪れた。」と書いてあるのを見て、かなり、ぎょっ!とした。 このときのことを書いた愚記事;老舎は日本に何度来たのだろうか?では、少しびっくりした、と書いてあるが、本当は相当びっくりした。理由は、その時点で老舎や巴金を知って半年あまりのおいらは、少し老舎や巴金の中国における文学史上の意味を知るようになっていた。つまりは、老舎や巴金は中国近現代史における有名作家なのだ。俗物的観点からいうと老舎はノーベル賞候補とされていた。文革勃発で死んだので、老舎の支那文字文化圏から初めてのノーベル文学賞の受賞は流れた、と伝説はいう。つまり、たとえ話でいうと、老舎や巴金のふたりが連れだって外国の若手作家の誰かの家に来るということは、谷崎潤一郎と永井荷風が連れだって外国の街の誰か「駆け出し」の家に来るようなものだ(= そんなことは、ありえないのだ!)。

 一方、水上勉さん。すごいらしい。豪邸に住んでいたらしい。『飢餓海峡』とか書いて儲かったんだ。よかったね。そして、水上勉さん(ちびっ子=短)。すごいらしい。浜美枝さん(1943年生まれで、身長164cm)と愛欲生活(根拠;寝ちゃったの)。すごい!。

これまた、よかったね。

でも、どんなに幸運でも、つまりは、そんなことありえないだろうと俗人が思う有名女優との愛欲に浴したとしても、

   やはり、老舎と巴金が連れだって自宅には来ないのだ。  [ なお、中国近現代文学史研究で老舎と巴金が一緒に写った写真はあるのだろうか?(いや、未だ見つかってないはずだ、そして、そんなものないだろう! @おいら)。 ]

 でも、水上勉さんは老舎にも巴金にもそれぞれ会っているので、やはり、すごいのだが。

 そして、張競さんも、そして単行本『詩文往還』の"あとがき"で"語句を厳密に精査する優秀である”という意味で誉められていた日経新聞の担当記者(単行本『詩文往還』には、実名が書いてある)も、「老舎や巴金のふたりが連れだって水上邸」に行ったという史実報告(のちに削除、訂正される文章)にはなんら抵抗感がなく、華麗にスルーしたのであった。

比較子弟"学"

 『詩文往還』の"あとがき"で、張競教授は芳賀徹に謝辞を述べている。そして、張競さんの東大での指導教官は芳賀徹(wiki)であったと知った。張競さんは東大教養部の比較文学の出であることは、小谷野敦博士の本で知った(愚記事やはり、そうだった。 佐伯さんも今橋さんも、先輩の張競さんも、松居も、華麗な執筆活動を展開していた。 (小谷野敦、 『評論家入門』))。東大教養部の比較文学の「四天王」と呼ばれた教授のどの人の弟子であるかは知らなかった。そもそも、興味がなかった。なんとなく、平川祐弘かなと思っていた。

 そして、注目すべき点は、張競教授は日本経済新聞連載の『詩文往還』について、芳賀徹のコメント(叱咤?激励?)を受けていたと書いてあり、当然、感謝している。教授になっても弟子なのだ。 あ~ぁ、我らがXXX博士と「比較」...

 さらに注目すべき点は、張競さんが留学のため来日した時、最初に会ったのは、菊地昌典なのである。張競さんは上海で菊地昌典と出会い、日本留学に繋げている。ところで、菊地昌典って誰か?というとおいらもよく知らない。文化大革命の時文革を礼賛した「バカ左翼」学者というのが、現在の評価であろうか? wikipedia (菊地昌典)。

 張競さんは最初東大は本郷で学んだが、駒場(比較文学)に転ずる。その移動には菊地昌典の助力があったのだ。さらに、、すごいのは、小谷野敦博士がしばしば言うように東大・比較文学は「右翼」である。芳賀徹、平川祐弘などみんな「右翼」だと。すなわち、小谷野博士の世界観に従うならば、菊地昌典は「右翼」の東大・比較文学に張競さんを「手引き」したことになる。

 そして、何より、張競さんはのちのちまで菊地昌典とも子弟関係を崩さず、追悼文を書いている。その追悼文に上記の張競さんの本郷→駒場転移の事情が書いてあるのだ:銀杏が熟れる頃の思い出 (pdf 重いので注意)。

の ち の ち ま で 、子 弟 関 係 を 崩 さ ず 、追 悼 文 を 書 い て い る ! あ ~ ぁ 、我 ら が X X X 博 士 ! 比 較 子 弟 "学" !

 なお、芳賀徹と菊地昌典が面識があったのか不明。ネットで下記情報があった;

その『学部報』で72年、私の司会で『坂の上の雲』について日本史の鳥海靖、比較文学の芳賀徹、西洋史の木村尚三郎、哲学の井上忠とで座談会をした。この 企画は評判だったが、参加者が司馬史観に好意的だったことが唯物史観の教授には苦々しかったらしい。新左翼の菊地昌典助教授が『東大で「坂の上の雲」礼讃 の座談会とは何事だ』といい、大岡昇平が『あなたが頭にくるのもわかる』などと『月刊エコノミスト』で対談した。・・・」(p88)
引用元: blog 和田浦海岸、記事 紹介は不要、より

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