いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

新しい街でもぶどう記録;第4週目

2014年11月22日 17時48分14秒 | 草花野菜

■ 今週の武相境斜面

■ 今週の看猫


みけちゃん。相変わらずなつかない。今回の環境激変で自分の「猫地図」の再編成に大変なのだろう。
そして、自分の「猫地図」の再編成が必要になったのはこいつのせいだとおいらを睨むのだ。


鳴きながらパトロール(=猫の本義)に勤しむうめちゃん。
自分の「猫地図」の再編成は順調に進行中。

■ 今週の訃報 * 大往生編

高倉健の死の公表に伴い、高倉健の初期の有名作品『昭和残侠伝 唐獅子牡丹』が、1970年あたりの大学紛争の暴徒の元気付けに寄与したことが、高倉追悼の一部となっているらしい。そのことに下記2点がある;

1.「高倉健の死で68年世代とヤクザ映画というクリシェがまたぞろ語られていてウンザリ」というコメント。

2.高倉健さんの死を報じた『報道ステーション』にネット上から「酷すぎる」と批判殺到

多くの視聴者が指摘するように、高倉さんが生前に全共闘世代の活動家たちを礼賛した事実はなく、強いて言えば、高倉さんの主演で大ヒットとなった映画の公開時期と、学生運動が盛んであった時期が近かったという程度という接点に過ぎない。

一方、こういう実感もある;

 私が高校生の1968年、東大闘争の最中の駒場祭のポスターに記された「とめてくれるなおっかさん背中の銀杏が泣いている男東大どこへ行く」が大きな話題となった。私もこれを見て惹かれたことを思い出す。
 大学生になった頃にもまだまだ高倉健のやくざ映画が上映されていた。安い映画館などではタバコの煙のスクリーンの向こうで高倉健が最後に日本刀を振りか ざして登場すると当時の学生言葉の「異議なし」などという掛け声が、中年サラリーマンなどから発せられる雰囲気もあった。
高倉健亡くなる; Fsの独り言・つぶやき 1951年生。

映画館で観客が、「異議なし!」と掛け声を掛けるとは、すごい雰囲気だ。

 「68世代とヤクザ映画という"クリシエ"」をおいらが初めて見聞きしたのは、小池朝雄(wiki)の発言だ。テレビで、「68世代とヤクザ映画という"クリシエ"」を語っていた。すなわち、大学紛争で暴れている学生は任侠映画を見て、暴力活動の元気付けにしていたのだと。この小池朝雄の発言をおいらががきんちょの頃にみた。とても新鮮だった。なぜなら、1980年代に1968年の騒動の暴徒の現象を考えていたおいらは、この暴動現象と「アカ」の理論的な本にいかなる関係があるのだろう?と不思議に思っていたからだ。やっぱ、ヤクザ映画だったんだよ(???)。

 1990年代に入って、おいらが、夢中になったのは、『仁義なき闘い』シリーズだ。レンタルビデオ屋で借りてみていたのだ。ビデオ屋のヤクザ映画(任侠劇)コーナーには、高倉健や藤純子[1]の"プレ(前)『仁義なき闘い』時代"の任侠映画もあったが全くみる気が起きなかった。だって、「勧善懲悪」だろう、という偏見があったからだ。そんな中1本だけみた高倉健の映画は山口組の三代目組長田岡一雄の英雄伝であった。

([1] 、『仁義なき闘い』シリーズに東映「看板」女優の藤純子が出ている。すなわち、桜木健一演ずる「チンピラ」が、任務の敵殺しをできずに、小便を漏らして立ち尽くし、返り討ちに会い、殺されるシーンで、任侠映画を興行している映画館の前で、藤純子の看板と共に倒れ、死んでいくシーンである。不幸のズンドコ場面として映画史で有名である(???!!!)。 のちに、1980年代、テレビ界では自己言及的パロディーが盛んとなるが、このシーンは嚆矢である。)


  不幸のズンドコ場面@「看板」女優の面目躍如

 その頃から気づいていたのだが、『仁義なき闘い』シリーズは「東映実録路線」ものといわれる映画だった。そして、その『仁義なき闘い』には高倉健は関係ない。つまり、高倉健=「勧善懲悪」的、東映・ロマン・任侠映画という偏見ができていた。

 で、今日知ったさ。高倉健が演じた山口組の三代目組長田岡一雄の英雄伝(『山口組三代目wiki)は、東映実録路線の中の1本であり、しかも、『仁義なき闘い』より興行がよかったのだ。 それにしても、映画『山口組三代目』を見て、暴力団員になった人もいるのだろう。映画『山口組三代目』は最も効果的なリクルート宣伝と暴力団賛美のプロパガンダとなったに違いない。その映画では高倉健はスト破りのため港湾労働者を襲撃、死傷させる。その点を高倉健追悼では、もちろん、言及されない。

 なお、もちろん、冗談だが、上記安い映画館などではタバコの煙のスクリーンの向こうで高倉健が最後に日本刀を振りか ざして登場すると当時の学生言葉の「異議なし」などという掛け声が、中年サラリーマンなどから発せられたのが、映画『山口組三代目』(1973年)の田岡一雄が港湾労働者の労組委員長を刺すシーンでなかったことを祈る。

 今週の訃報*若死編

 高倉健が全共闘にシンパシーを寄せていた事実は発見されておらず、全共闘諸君が高倉健を勝手に景気づけにしたというのが歴史なのであろう。一方、全共闘を思いっきり煽動させたのは、例えば [for example] 、羽仁五郎である。羽仁五郎が京都大学で紛争学生に肩車され、「もっとやれ!」と遊んでいたことが米本昌平の本で報告されている(引用しようと思ったが、引っ越しの開封が終っておらず、すぐ見つからない)。

 もちろん羽仁五郎がどういう御仁かをまだ知らいないおいらが小学生の頃、テレビで羽仁未央をみた。1970年代後半? また、テレビだ。とても印象に残った。つまりは、学校に行かずに、父親と世界のあちこちに行き、自由に暮らしていると。今から考えると父親の羽仁進と一緒に出演していたのだろう。(羽仁進は、)「戦後、帝国陸海軍を無くしたように、文部省も無くせばよかったのだ!」と主張していた。そして、彼女がなぜ学校にいかなくてもよいか小学生だったけどおいらは理解できた。すなわち、彼女は「貴族」の子供だったからだ。そのテレビ番組で、羽仁親子は「貴族」臭をふんぷんとさせていた印象がある。そして、おいらは「貴族」の子ではないから、ガッコに行かねばならないのだと諦観した実感を持った。おいらは「貴族」の子ではないから、イモ洗いのような状況で「並んだり、回れ右をしたり、前倣いをしたり」しなければならず、さらには、おいらは「落ち着きがない! ちょろちょろしている!」と教師(当然、日教組)からドつかれていたのだった。国民という鋳型に自らをはめ込む調教に耐えなければならないのはつらいなぁという気分をもっていた。

 のち、羽仁五郎(wiki)-羽仁進-羽仁未央の家の事情がわかり、本当に金持ちの家;文化的貴族;政治的にも旧貴族院=参議院議員だと知った。やっぱり左翼になるにはカネと権力が生まれつきないとダメなんだよなぁと再確認した。 そして、おいらは、ウヨで行こう! 生来の衝動に重ね、と再確認した。

 そんな、羽仁未央が50歳で死んだそうだ。 google

と、そのうち50代になる賃金労働者のおいらが、書いてみた。

(蛇足ながら、羽仁五郎は戦時中の北京にいたのだ。[関連愚記事:日帝支配下の北京にはたくさん日本人がいたはずだろうなと気づいた] 。1945年(昭和20年)3月10日、北京で憲兵に逮捕される。北京にいたから、東京大空襲に遭わなくて済んだのだ。
 なんと、羽仁五郎の義母、(なお、五郎は養子である、つまり羽仁家は 「嫁」 「婿」ぎ先)、羽仁節子は、日帝時代に支那に進出していたのだ → 根拠。 すごいぞ! 自由 )

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