いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

新しい街でもぶどう記録;第2週目

2014年11月08日 17時09分28秒 | 草花野菜

■ 今週の「物理学」

日亜化学工業社が中村修二博士@ノーベル賞@@ぬっぽん文化勲章の「和解」よびかけに対し出した「お祈りメール」;

弊社歴代社長と弊社に対する深い感謝を公の場で述べておられ、それで十分と存じております。中村教授が貴重な時間を弊社へのあいさつなどに費やすことなく、賞・章に恥じないよう研究に打ち込まれ、物理学に大きく貢献する成果を生みだされるよう、お祈りしております。

それにしても、ものすごい慇懃無礼でびっくり。これまでのいきさつで生じた憤りが、「敵」のノーベル賞と文化勲章で密封されて、行き場を失うが、それでも表出するという現象なのだ。何より、「今後恥ずかしくないように!」研究せよと警告している点に着目だ。

そして、「物理学」。

 (おいらの属性を考察すると「二流(ホントは三流)の帝国臣民」だなぁ~と思う。

どんな「帝国」かというと、例えば、『物理帝国主義』()だったり『英語帝国主義』だったり、そして、何より、おいらが生まれる20年以上まえに瓦解した『大日本帝国』()(②日帝侵略庶民のおいら)だったりする。すなわち、本来はとっくに破滅していいのだが、俗物なので「二流(ホントは三流)の帝国臣民」として労働力商品を切り売りして賃金労働者としてこの現生で生きながらえているのだ。はたまた、資本制以外の渡世でも『英語帝国主義』の「二流(ホントは三流)の帝国臣民」としてちゃっかり生きているのだ(証左愚記事;毛唐さん饗応役に出仕) 

 そして、『物理帝国主義』の「二流(ホントは三流)の帝国臣民」として労働力商品を切り売りできる職業のひとつであり、おいらが担っているのが、結晶成長職人である。)

 結晶とは原子や分子が3次元的に規則的に結合し、3次元的に構造を構成する固体物質のことである。この結晶はぬんげんさまに有用は性能を発揮する。なので、ぬんげんさまはこの有用な結晶を作る。結晶に特有な「物性」をexploit(利用=搾取)するためである。「物性」ってどんだけ偉いか知らないが、あの東大さまには「物性」研究所なる組織があるにので、おそらく、ずんるい(人類)にとって何か有益なんだろう。

 さて、坊主か?職人か?

坊主か?職人か?というキャッチコピーを作ったのは佐藤文隆であるが、まったく世俗受けしていない。坊主か?職人か?でググると事実上おいらの愚記事だけが出る。

 今年のノーベル物理学賞のお三方は坊主か?職人か?の成分分析をすると、かなり「職人」であろう。すくなくともGaN結晶作成成功時点での中村修二さんはほとんど「職人」に違いない。

 ここで、別においらはノーベル物理学賞のお三方を貶めているわけではない。坊主には結晶の合成は困難なのだ。そして、21世紀に入りノーベル賞の評価基準は20世紀のそれと大きく変わりった。実際に人類社会の変動(改善)に貢献した業績に賞を与えるのだ。実施者が「職人」だってかまわない。

 今回のノーベル物理学賞のお三方のうち、天野教授と中村教授は、それぞれ別個に、「(ノーベル賞がもらえるとしても)物理学賞とは思わなかった(ノーベル賞がもらえるとしたら化学賞であろうと)」とコメントしたと報道されている(ニュースソースなし)。気持ちはわかる。この発言の背景は、正直にもこのお二方が自分が物理学がわかっているとは思っていないと自ら認めていることだ。そうなのだ。「物理学」と言えば、どうしても、理論物理、それも素粒子物理、そしてもっと 「雲を掴むような話」 「宇宙を掴むような話」を人工言語(高度抽象数学)で語る学問である。例えば、具体的には、2008年のノーベル物理学賞、南部、小林、益川的世界だ。これは理論物理の例だ。一方、実験物理だって、試行錯誤、行きあたりばっりやっているのではなく、事前に「過剰」に理論的考察を行っている。だから、巨額の費用を使った科学の結果は「理論負荷」的要素が巨大なのだ。もっとも、生じる意外な結果はコンセントの接触問題だったりする。しかし、それも理論的にそのような結果があるはずもないという動機に基づく実験系の再点検でわかったのだ。むしろ、巨額費用を使った、理論通りの実験結果こそが、検証されないのである。バンザイ!万歳!の祝賀モードで。

 一方、GaNという結晶を世界に普及させたのは「坊主」的・理論物理的人類頭脳の勝利!といったもではなく、「職人」の業績である。結構、思いつき、試行錯誤、行きあたりばったりやっているのだ。

 なぜなら、結晶成長の理論は現実のずんるいが行っている結晶成長を理論づけられているわけでもなく、ましてや、結晶成長の理論を以って、GaNはじめ人類が作成しなければいけない結晶の成長を実現するための具体的知的詳細を与えているわけでもなく、指針させ与えているのかが不明である。だから、思いつき、試行錯誤、行きあたりばったりしかやりようがないのだ。

 でも、実際、その結晶成長の理論などに「無縁」の中村修二職人@当時マスター出の賃金労働者は現実にGaN結晶をつくりあげ、実用化へのコロンブスの卵として示したのだ。

 のちにノーベル物理学賞を捕ることになるマスター出の在野の職人は知らなかったであろう、次のこと;

結晶成長の物理を概観することで、非線形非平衡統計物理の具体的内容と、それが生まれ発展する自然な舞台を理解することができる
(『結晶成長のダイナミクスとパターン成長』、上羽牧夫)

とは...。

 なお、結晶成長という学術分野は、その結晶を実際に構成する多様な元素の違い=すなわち化学的要素にもかかわらず、物理学に属する。その理由は、上記のように結晶成長という現象は非線形非平衡統計物理の顕われであるからである。

  結晶職人は、ただただ、毎日を、・役に立つこと ・お金になること  (関連愚記事;  ・役に立つこと ・お金になること ・職にありつけること ) 、のためにいきているのだ。酔狂な職人は『結晶成長のダイナミクスとパターン成長』を手にとるかもしれないが、それはあたかも、よく生きるためにプラトンの著作を手に取るようであり、実際には具体的に即効的効用は期待できないのだ。

 そして、今日のまとめ; 一発当てた結晶職人への(自ら後ろ足で砂をけって出た)故郷(ふるさと)からの返事が、放蕩息子帰るに及ばず、職人を辞めたらきちんと坊主になれ!という「お祈り」だったのだ。