いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

新しい街でもぶどう記録;第1週目

2014年11月01日 16時58分00秒 | 草花野菜

筑波山麓では4LDKの一戸建てを賃借りしていた。当地では2LDKの集合住宅の賃貸しだ。家賃は当地の2LDKの方が高い。

幸い1階の部屋を借りるので、ベランダの外に多少の鉢はおけそうである。

■ 今週の看猫

新居での引っ越し直後の猫たち。押入れの隅でびびっている。

●今週のサフダルジャンク (サフダルジャング)

ネットのニュースでみた。 Google: 平井堅 インド人に紛れて踊る。

そのmusic videoの一場面らしい画像を見て、この建物が何であるのかわかった。 愚記事; SafdarjungTomb、 サフダルジャンク廟   だ。

デリーにある。お墓である。廟だ。

この建物は一見典型的インド風建築に見える。タージマハルには及ばないまでも。でも実際は相当品が下るムガール建築なのだ。

  サフダル・ジャングといえば、デリー市民ならその地名を知らぬ者はない。ニューデリー中心部から南へ向かう大通りの西側に、赤い航空標識を掲げている巨大な墓廟があることも、誰でも知っている。だが、その墓がこの地名の起源で、十二代ムハンマド・シャーに仕えた武将のものだと心得ている者は少ないだろう。皇帝の死後もサフダル・ジャングは、次の十三代アフマド・シャー(在位一七四八-五四)の宰相として権勢を振るった。公園のように広い墓域内へ足を踏み入れると、外の騒音が嘘のように静寂が支配する。だが、門をくぐる少数の観光客も、墓建築へまでは近寄ろうともしない。タージ・マハルに似たこの壮大な建造物は、実はお粗末な出來なのである。
     荒 松雄、『多重都市デリー』 1993年

 なお、上記十二代皇帝(在位:1719年 - 1748年)の時代の1739年にデリーは「ペルシャ」に襲われ、街中の財貨が強奪された。

愚記事; ① 襲われるデリー、 ②  続、襲われるデリー 

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