水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

「こう・82」

2009-11-20 23:05:04 | Weblog



功の項(こうのこう)

故御師匠様は言った。
勝手に治すんじゃない。
見守るのは大切だ。
だが、頼まれないのに手をだすな。

最初は解らなかった。
苦しんでいれば、手をだすだろう。
そう、浅く思っていた。
病を治すのに遠慮はいらない。
そう、狭く思っていた。

今は理解できる。
生きている事を尊重する。
お互いのルールだ。
その人の歩き方を尊重する。
それが、当たり前という事なのだ。

         
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「こう・81」

2009-11-19 23:53:33 | Weblog



功の項(こうのこう)

氣を公に尽くす為に使う。
とはいえ、ルールがある。
勝手に、侵入しない。
正義や良事を押し付けない。

どんな生物もモノも独自に存在する。
価値観は違うのだ。
生き方、生きる速度も違うのだ。
気づき方、気づく時間、体験も違うのだ。
自分の判断を押し付けない。

具体的には、依頼があってから。
相手が望んだら。
それが、お互い地球上にいるルールだ。
どんな理由があれ、戦争はルール違反なのだよ。

         
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「こう・80」

2009-11-18 22:21:18 | Weblog



功の項(こうのこう)

公に尽くす。
とはいえ、身体は一つ。
能力は僅か。
縁のある対象は少ない。

公に尽くす。
それは、縁のある対象だけでいい。
それしか出来ない。
縁の無い相手にすると、無理が出る。

ただし・・・
全ての内の一部なのだ。
狭い対象が全てではない。
この意識の違いは大きい。
氣は、意識の広さ深さ柔らかさで変わる。

         
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「こう・79」

2009-11-17 22:33:32 | Weblog



功の項(こうのこう)

治療が目的じゃない。
生き方を変えるキッカケとしていただく。
それでいい。
人間相手に限れば、それでいい。

最初から人間相手しか対象としてない。
ワシは節操無しだから、人間以外も相手にする。
それでも、かなり狭かった。
全て、を対象にはしてなかった。

もちろん、ワシは神様じゃない。
当然、ワシは万能でもない。
かなり狭く、小さな心の持ち主だ。
勝手で、歪な意識を持っている。

         
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「こう・78」

2009-11-16 23:12:40 | Weblog



功の項(こうのこう)

そして思う。
「功」が公の為にあるなら・・・
氣功は全てに使う為にある。
全ての幸に貢献する為にある。

多分、故御師匠様はそうしていた。
人の病気治しじゃないぞ。
そう言っていた。
ワシは狭い意味にとっていた。

病をキッカケとして生き方を変える。
話だけじゃ意識は変わらない。
病が変化する事を実感するから、話を聞く。
その為の氣功療法だ。
そう、狭くとらえていた。

         
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「こう・77」

2009-11-15 19:39:38 | Weblog



功の項(こうのこう)

ワシは「氣」を扱う。
だが、ワシの技じゃない。
ワシの力でもない。
ワシは仲介者なのだ。

だから正確には氣功が出来るわけじゃない。
(まぁ、それが出来るという表現なら、それでもいいけど)
「ある種の氣」を扱えるだけだ。
でも、そんな説明してもメンドウだ。
だから氣功師としている。

氣の技と力を使う、という表現。
いつも、違和感がある。
他のフンドシで相撲をとる。
そんな感じだ。
他(宇宙だか何だかわからない)が使わしてくれるのだ。
許可があるようだから、一応プロとしている。

         
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「こう・76」

2009-11-14 23:10:04 | Weblog



功の項(こうのこう)

生きていれば、全てが成功者だ。
今、この地球にいられる貴重な生命体だ。
成功者以外は存在しない。
そんな当たり前が判らない世の中。
近代以降の自称先進国の常識は少し変だぞ。

特別な功績。
高い地位。
高額なお金。
そんな、つまらんモノで有頂天になるなよなぁ。

欲はいい。
誰でももっている。
個人的な趣味もいい。
だが、「だから成功者」はないだろう。
評価するほど、人間、小さくなるんだ。

         
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「こう・75」

2009-11-13 23:04:11 | Weblog



功の項(こうのこう)

本当の公なら、どんなに貢献しても手柄にならない。
貢献するのが、生きとし生けるモノの当たり前だからだ。
お互い様で生きていられるのだ。
技と力を使うのは、普通の出来事だ。

その本来の「功」の意味。
幸の一面を表している。
ちょっと綺麗事のようだが・・・
公に貢献するのは当たり前だ。
公は自分の生きる世界だもの。

国の指導者達が言う「公」はアヤシイ。
公を地球全体、あるいは宇宙全体としてない。
功は公の為に使うものだ。
成功者、などと狭い姑息な言い方には注意しようぜ。

         
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「こう・74」

2009-11-12 22:48:25 | Weblog



功の項(こうのこう)

通常は工に公の意味はない。
だが、功の工は公の意味になる。
(こうのこうはこうのいみになる)
だから「いさお」であり、手柄になる。

ここでの公は、特定の国などを指す。
すると、公が狭い意味になってしまう。
公の意味。
「分け隔たりの無い」事だ。

特定の国にすると、他国との隔たりがある。
人間社会に限定すると、他の生物と隔たりがある。
分け隔たりの無い世界。
そこなら、力を尽くしても手柄にはならない。
元々、手柄など意識しない世界だ。

         
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「こう・73」

2009-11-11 23:00:31 | Weblog



功の項(こうのこう)

功の前に公(工)の説明だ。
その前に工の説明だ。
あぁ、メンドウになってきたなぁ・・・
まぁ、いいか、適当にするから・・・

工は優れた技。
その技と力が合わさって「功」となる。
だが、それは表面の表現だ。
工が公を意味すると知ると、目的がわかる。

功は「いさお」と読む。
手柄、功績、勲という意味だ。
公に力を注いだ結果だ。
工(技)と力の合作での結果だ。

         
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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