水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

「好転・28」

2006-05-11 21:30:39 | Weblog

「好転」だと思えなくてもいい。
思えなくても「好転」なのだ。
アホな人間が全てを解るはずがない。
アホなワシが全てを解るはずがない。
それでも「好転」には違いない。
グレちゃんが創ったこの世だもの。

「神を信じる」とはそういう事だ。
最近、ワシは神が信じられるようになった。
同時に宗教組織は欺瞞だと確信している。
どんな組織であってもニセモノだ。
ワシが知らない組織もニセモノだ。
例外は無い。
それは人間が作っているからだ。

神をダシにしてメシを喰う。
それが宗教組織だと思っている。
どんな立派な言葉を並べてもちょっと違う・・・
神は立派な言葉は言わない。
立派な言葉を飾るのは人間だ。
組織は人間の欲で作られる。

(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「好転・27」

2006-05-10 20:26:13 | Weblog

イイ事だけ起こる。
出かけに転んで足を折る事もある。
病になる事もある。
突然倒産になる。
でも・・・イイ事だけ起こる。
好転の姿がここにある。

グレちゃん(創造主)はヒネクレている。
あるいは・・・超優しい。
どちらも同じ意味だ。
「好転」は「難」という扉から入る。
観てしまえば、優しい仕組みだと気づく。
素直とヒネクレは同じだと気づく。

ラッキーの連続。
あらゆる出来事がイイ事だと気づく事だ。
全てが必然かどうか知らないが、
全てはイイ事に決っている。
姿が見えないだけだ。
ワシも狭い心と狭い目の持ち主だ。
だが、見えなくても「好転」だと知っている。

(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
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「好転・26」

2006-05-09 23:25:51 | Weblog

誰でも「難」というヤツはある。
誰でも「難」が起こるように出来ているのだ。
自他の原因に係わらず「難」はある。
自然災害も国家災害も個人害もある。
原因は大した意味が無いのだ。
原因(過去)より、これから(未来)をどうするかだ。

ワシは女と金とヒマと才能に大量に襲われている・・・。
もうゲップが出る、ちゅうのに・・・。
無いのはガマンできるが、ありすぎるのはメンドウだ。
誰か、金だけでも貰ってくれんかなぁ・・・。
ワシがモテる(女難)のも金持ち(金難)なのも生まれつきだ。
(妄想にも大量に襲われている・・・)
つまり個人の責任や原因でない「難」も沢山あるのだ。

「難」はコントロールできない。
だが好転現象は誰でも作れる。
個人がコントロールできるのだ。
しかも、決して難しくない。
「好転」は「難」ではないのだ。
(この表現の深みを汲み取ってくれぇ)


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「好転・25」

2006-05-08 18:51:53 | Weblog

趣味の問題。
問題なら解いてみよう。
解くとは、解放する事だ。
なのに問題を増やして、縛られて、どうするんだ?
解くのは簡単。
手放せばいい。
捨てちゃえばいい。

手放し、捨てても好みはある。
何となく好き、というやつだ。
ワシは「幸運」が何となく好きだ。
幸運にしがみつかなくてもいい。
幸運にとらわれているわけじゃない。
でも・・・幸運は好きだなぁ・・・。
幸運(ツキ)の女神様は好きだなぁ・・・。

好きだから続く。
「ありがとう」の言葉。
こうなれば楽なものだ。
何も考えなくていい。
考える事は自然じゃないのだ。
幸運は自然にやって来るモノだ。
難が有る時の「ありがとう」で幸運は来る。


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「好転・24」

2006-05-07 20:42:13 | Weblog


同じ言葉は継続すると変化を呼ぶ。
内容に沿った変化を呼ぶ。
「継続は力」というより「変化しやすい」だけだ。
どんな変化かは、言葉によるのだ。
継続が大切なのじゃないぜ。

大切なのは「質」であり外観ではない。
もちろん外観は趣味だから、好きにしていい。
質を求める、求めないのも趣味だ。
趣味は自分の好みであり、他にアピールするものじゃない。

アピールするのも趣味なら、好きにしていいけど・・・。
趣味は自分の好みだから、アピールしても強要しないでね。
「愛人を持とう!」
「世界の警察、ビバ!アメリカ!」
「継続は力なり、継続が大切だぁ!」
たいした違いは無ぇ・・・。
趣味は他から見れば、下らなねぇ・・・。


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「好転・23」

2006-05-06 21:54:19 | Weblog


災難がある時は「ありがとう」だ。
難有るときに「ありがとう」と言える。
「ありがとう」と思えなくていい。
思えないのは当たり前だ。
だが口で「ありがとう」とは言えるのだ。

「私は心に正直でありたい」
それは・・・無理と無知。
心がどんな仕組みか解ってない。
「心と正直」は夫婦になれない・・・。
心は曖昧と矛盾と混沌で創られている。
しかも、常に漂っているのだぜ。

だから「ありがとう」と思えなくていいのだ。
肝心のコツは「言葉にする事」なんだ。
ヤケクソで言おう。
「ありがとう」
否定の言葉は出さない。
「ありがとう」だけ口に出す。
そのうちに、何かが変化する。


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「好転・22」

2006-05-05 21:12:22 | Weblog


故御師匠様の言葉を思い出す。
「ありがとう、は難が有りと書くんだ。
難が有った時は、ありがとうなんだ」
ふ~ん、そうなんだぁ、と上辺で聞いていた。
この言葉の深さに気づくのは、ずっと後だった。

ワシは「有り難い事」が「ありがとう」だと思っていた。
全ての事、この世の出来事は「有り難い事」だ。
悠久のあの世からみれば、この世の出来事など点だ。
人と人が出会う事など、とてもマレで不思議な出来事だ。
人の一生など、とても短い出来事だ。
その中の一つの出来事だから、有り難い(めったにない)。

この解釈は深くて正当だと思う。
だが真正面からの解釈だ。
グレちゃん(創造主)はヒネクレている。
意味は深さだけじゃない。
側面からの見方もあるのだ。


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「好転・21」

2006-05-04 22:19:06 | Weblog


継続で形にする事は、正誤から外れている。
つまり・・・趣味の問題だ。
趣味は他人に強要や煽動するモノじゃない。
精神世界に触れると、趣味が見えなくなるようだ。
正誤や真偽にとらわれすぎだよ。

そういう事を踏まえて叫ぼう。
「め~がみちゃん、愛人になって!」
ワシの世界平和も趣味だ。
誰かの世界制服も趣味だ。

心の底に「平和」が趣味の人達がいる。
多分・・・圧倒的多数だと思っている。
正誤や正義や真偽を持ち出さなければ、
世界はもっと楽に平和になるだろうなぁ。

ワシは幸せになりたい趣味がある。
だから継続したわけでもない。
趣味だから継続しちゃったのだ。
「感謝・合掌・ありがとうございます」
これは個人的な趣味なのだ。



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「好転・20」

2006-05-03 22:09:02 | Weblog


継続は力なり、という。
継続すると「形になりやすい」のは確かだ。
この世(物質界)はそのような仕組みだからだ。
だが力は継続だけではない。

気まぐれだって力だ。
ノーテンキだって力だ。
ナマケモノだって力だ。
スケベだって力だ。
ミミズだってオケラだってアメンボだって・・・。

継続は形になりやすいが、形にして幸せになるかは別だ。
特に自分以外のモノ達が幸せになるか想像してみようぜ。
紹介販売や営業の煽動言葉としてよく使われる。
あれは幹部側が駒を動かす為に使う言葉だ。
受け売り言葉で駒が使うのはなぁ・・・
「思えば叶う!」なんていうのも同じだ。
それほどこの世は単純じゃない。



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「好転・19」

2006-05-02 21:33:46 | Weblog


光側に伝わる言葉・行い・思い。
幾つもあるもんだ。
いつでも、誰でも、どこでも伝わる。
宝は山ほど転がっているもんだ。
だが・・・拾おうとしないだけだ。

あまりに普通の言葉や行い。
誰でも言っている言葉だ。
だが伝わるのは少ない。
反対の言葉も併用するからだ。
それでは、何もならない。

北に歩いたら、すぐ南に歩くんだもんなぁ。
ある程度は歩き続けなければ届かないよなぁ。
当たり前なんだ。
難しくはないけど、コツはある。



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