alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

輝く瞬間

2011年08月05日 |  カフェ的な場で考えたこと



 今日は夜、西国分寺のクルミドコーヒーという
カフェで開かれていたイベントに参加させてもらってきて
沢山の方とそのカフェオーナーのKさんのお話をきき


 なんだかちょっと元気になった。



 Kさんは最後にこう言っていた。
「ここに今日来てくださった方たちは
2007年くらいから、僕が生き方を変えた後から
出会った人たちなんですね。生き方を変えるっていうことは
それだけ実りのあることなんです。」

 私にはなんだかそのメッセージがぐっとささって

 それ、私に言ってるのかしら?と思うくらい
力強いパワーをもっていて 私はかなり打たれてしまった。


 生き方を変えるというのは誰でも怖い。
様々な事業を成功させてるKさんですら、カフェを
やりなよと言われたときに「自分にはやれない」と
思ったそうだ。あーなんか 私と似ている?
でも その先の一歩を踏み出してみること
そうすると誰かがついてきてくれるんだそうな


 勇気の中にも いろんな種類があるんだろうけど
今日Kさんのカバン持ちをさせてもらってるという
人に出会って、そういえば私もParis-Bistroの代表の
カバンもちさせてください!って思ったことあったなあ
何でもいいからとにかく行かせてください 一体
何をしてるんですか?って そう思ったのがパリ1回目の
滞在で 前回はかなり色々一緒に取材させてもらえるようになって
気がついたらフランス語版の新着ニュースになっているのは
私もだいたい同伴してた。それってすごいなあと驚いた。


 そうして私は今日本 で 代表がやってたように
カメラとノート片手に誰かの言葉をバババとメモして
なんだか同じようにしている それがなんだか とっても不思議だ。


 私はとっても臆病者だし びくびく悩んでばかりいるけど
今日沢山の人に出会って 自分の予想外の評価をきいて
(今日は本を読んでくれた人に3人も会ってみんなほめてくれた!)
あーそうなんだ あのとき私 輝いていてオーラを発していたのかなとか
それがそのあと 誰かに影響を与えたのかなとか
イベントじゃなくっても 本だって 誰かに影響を与えてて
(私の本がきっかけになって人生の方向転換をしたという人に
2人も出会いました 私も読んでみようかな、、、)
それってけっこうすごいんだなあ


 どうしてここまで弱気な私になっちゃったかなと思うけど
人生の痛い思いをこれでもかというくらいに経験すると
あまりにそれが怖いので 前をむいて 無理矢理にでも
自分をワクワクさせるしかない それが最近よくわかる。
そうしてなんとか ワクワクの時間を毎日持てるようになり
私は自分を立て直してる そうこんな感覚だったかな
なんだかやれそうな気がするぞとか 意外といけるんじゃない?だとか
痛い経験を一杯したら もう痛みも怖くなくなっていくのだろうか

 勇気とかオーラとかパワーとかワクワクだとか
私も持ってたはずだった。 それに驚いていた人たちがいた
それがどこからやってきたのか わたしにはわからないけど
彼らは言った「輝いていた」 忘れていたなあ その響き。
人は輝いてると人をひきつけて 誰かが続いてくるんだそうな
だからやりたいことをやるって大切なんだって。
昔エコリーグで創った本は『輝く瞬間』って本でしたよね
輝きなんて 忘れてたけど それは内側の想いとか
ワクワクなんかからやってくるのだろう
忘れていた色んな感覚 なんとかそれを取り戻し
未来に向かって なんとか私も立ち上がりたい。

少しでもできること

2011年03月14日 |  カフェ的な場で考えたこと

 地震が発生してから何と言葉を発していいのか
ずっとわからなかったけど 少しでも 出来ることを
できる立場でやっていくこと それしかないのかなと
考えていて 私のいる京都というのは
ほとんど揺れも起きてなかったし 今でさえ
横浜のスーパーは入場制限が起きているというのに
こちらでは棚に食品が溢れてる。
街を歩いても何一つ地震を感じさせられるものもなく
キヨスクに貼られる雑誌の内容も 先週の
まだ地震がなかったときのものだから
なんだかとても奇妙な感じ


 こんなとき に何をしたらいいものなのか
例えば行こうとしていたイベントにいくべきなのか
それとも家族といるべきなのか
うちにはテレビがないのだけれど テレビを
みせてもらいに行くべきなのか
それともニュースをみてればいいのか
支援のサイトを調べるのか 私にはわからないけれど

 一人一人が 自分のもってる力を活かして
少しでいいから何かすること
それが大切なんだろうなと今日気がついた。


 今日は前から合う予定だった京都の友人と
カフェで会い そもそもこんな時にカフェ?とか
昨日彼女が開催していたイベントに人は来たのだろうかと
思ったけれど そのイベントは 急遽チャリティになったらしい

 カフェをやってる彼女によれば
そうやって少しでも来た人達の気が晴れて
かつそのお金が何かの役に立ったら
いいんじゃないかと言っていて

 今日私もこんな時なのに子供を預けて
カフェで本を書きながら どうしてカフェに
来るのかって こんな時なのに じゃなくって
本当はこんな時だからこそ 人は不安で仕方ないから
誰かと寄り添っていたくって カフェのように
誰かが同じ空間にいるところ に 来るんじゃないか
そう考えた。


 ポジティブにしててもネガティブになっていても
同じ結果が起きてしまうなら それならネガティブに
ニュースの前でじっと座って動かないより
それでもこんな時だけど 梅は咲いてて
うぐいすは植物園の前で鳴いてて 着物さえ
来ている人たちがいる こんな時なのにと思うけど
もしかして こんな時だからこそ 
ラジオで音楽を流したり 自分たちが
持てる力をちょっと活かして
だれかの気持を楽にすること
そして誰かにネガティブな気持を移すんじゃなくて
誰かもちょっと前を向ける気分にすること
それが大切なのかもしれない。


 日本ではどんどんイベントが中止になっていくけれど
フランスだったらこんなときチャリティイベントがあるらしい
こんな時にそんなことしてられないよ!と思うけど
こんな時だからこそ 自分の持っている要素を
少し活かしてみること それが誰かの役にたつこと
そんなとこもあるのかもしれないと思う。


 私が言えることなんて 私のフランスの友人たちが
本当に日本を心配してくれているということくらいと
きっとカフェみたいに人がいっしょにいれて
ほっとできる場は役に立つということくらいしかないけれど
友達が教えてくれた 素敵なサイトがあるので
それをご紹介します。日本ってすごい国なのかもしれない
そんなことよく言われたけど あんまりよくわかってなかった
日本人の一人として 私も何かがんばりたいです。

http://prayforjapan.jp/tweet.html

 それからご存知かもしれませんが
日本財団の義援金のサイトです。
クレジットカードで一口2000円から支援できるそうです。

「カフェコーヒー」というイベントがあります

2011年03月01日 |  カフェ的な場で考えたこと

 今日は東京のカフェに入っていたら
とある女優さんを発見しました!
東京ってすごい、、、と思った1日でした。

 さて、今度3月6日に京都の
モコモコカフェで、かつて静岡で
auraというカフェをやっていた吉崎さんの
お話を聞く会を開催します。私は聞き手として
彼にいろいろ質問をしたりする役で登場します。
モコモコカフェは座禅の会やヨガなど
いろいろやっててとても素敵な町家カフェです。
よかったらいらしてくださいね!


:::::::::::::::::::

カフェ講座
カフェコーヒー ~吉崎孝介の場合~

ゲストスピーカー 吉崎孝介(BAR探偵店長)
コメンテーター  飯田美樹(café文化研究家)

京都には、カフェがたくさんありますが、
その店にはそれぞれ個性がある。
その個性とは、どんなこだわりでできているのか、
こっそり教えてもらいましょう。
気になる店主のカフェ講座。

この企画、吉崎さんとの出会いから始まりました。
吉崎さんは、元田中にある「BAR探偵」の店長さん。
友人がよく行く店で店長さんがフェアトレードコーヒーの話が出来るとの噂を聞いて
お店を訪れたのがきっかけでした。
フェアトレードコーヒー、それは生産者に適正な価格で取引されるコーヒーのこと(かな)。
知識もなく、とにかくコーヒーについて学びたかったのもあり話を持ちかけたのですが、
お話をしていると、彼自身がとても個性的でおもしろい生き方をしていたので
そちらにどんどん興味が移っていき、企画も吉崎さんのカフェのこだわりへと変更になりました。

普段、何げなく入る店にも店主がいて、話さなくともその店の空気を作っている。
そんな店主は、普段何を思って、何にこだわっているのか教えてもらいたい。
話を聞いて、またその店を訪れるとぐっと見る目が変わるはず。

どうぞ、お気軽にご参加お待ちしております。
コーヒーを飲みながら、サロンのように店主と気軽にお話しいただけるようになっています。
当日は、吉崎さんが「おいしい」と自信のフェアトレードコーヒーを取り寄せていただいています。
そちらもどうぞお楽しみに。

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吉崎孝介
1981年東京生まれ。
大学中退後東京のcafe slowで修行後、静岡でcafe&bar auraを開業。
auraは学生から60代ぐらいまでの常連客が付き面白い人が集まるという噂の店になる。
auraを営業しつつ様々な文化活動を行う。
静岡大学のある授業から生まれた学外ゼミ「天晴れ門前塾」の第三期の講師を務め
「カフェ論」というテーマで静岡市内の4つの大学の学生に向けて半年間授業を行う。
auraは3年半営業し、静岡でまたcafeをやる事を約束しつつauraを一旦閉店、京都に移る。
京都は3年目、現在はフリーカメラマンとBAR探偵の店長を兼業
吉崎孝介 HP
http://kousukeyoshizaki.web.fc2.com/

飯田 美樹
café文化研究家。20世紀前半に様々な文化、芸術的運動が起こっていった
パリのカフェが一体どのような場所だったのかを研究しながら、今の日本にも
もっと心地よい出会いと会話の生まれるカフェが増えるようにと、機会をみては
カフェの力強さについて発言したりしています。
著書に『caféから時代は創られる』(いなほ書房)。
現在はサードプレイスとしてのカフェについての本を書こうとしています。
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テーマ
・なぜカフェにこだわるのか(カフェの歴史など)
・カフェをするためのこだわり
・なぜ人はカフェをやめるのか
・常連のすすめ

場 所:mocomococafe
    京都市中京区間之町通丸太町下ル大津町665
参加費:1500円(コーヒーとお菓子付)
    ※コーヒーは吉崎さんが用意したフェアトレードコーヒーです。
日 時:3月6日(日)16:00~18:00
申込み:お電話もしくはメールアドレスまで。
    (電話)075-634-6796
    (Eメール)mocomococafe@hotmail.co.jp

一期一会の茶会

2011年02月23日 |  カフェ的な場で考えたこと

 今日はもうすぐ1年目になろうとしている
「洛西ほっこりカフェ」があり 今日は気楽なお茶会を
しようというので2週間くらい前から
隙をみては蓮太郎をさそって「お茶会ごっこ」を
開催し(なんと押し入れでも開催した)
一番簡単なお点前の練習を再開していた。


 ところが今日は先生を呼んだのよ、とのことで
あらそうか、お点前はできそうにないか
そういえば炉もでているし これじゃあ私にはわからない
と 着物を来てはきたものの ちょっとがっかりしていたら
みんなが気楽にお茶をのんだ後 代表の人が
「じゃあ私にいれてくれるかな?」と声をかけてくれ
「でも私わかりません、、、」と言ったら先生が
指導をしてくれた。ハイ 柄杓は?いやそうじゃない
この手で茶巾をとって ハイこれは、、、と
うひゃーもう何年もやってないのでごめんなさい!と
思ったけれど ここでひるんでいる場合じゃない。


 だって私 今日ここで この人たちに
お世話になったこの人たちに お茶をいれたかったんだ。


 だから緊張している場合でも 人の目を気にする場合でもなく
心をこめてお茶を点てよう ありがとうの気持をこめて
本当にお世話になりましたという気持をこめて。

 そうやってお茶を点てていたら 次から次へと
知り合いの人がやってきて おしまいの点前を
しようとしてると また誰かきて
ああこの人も知り合いだ と 結局それから最後まで
私がお茶を点ててしまった。


 先生 本当にすみません、、、と思いながらも
でもここは遠慮している場合じゃない と私は思った
だって私はこれを主催してきた一人でもあり この場のおかげで
ここの人たちと地域の家族のような気持になって

 だけど言えない もしかしてもう 最後かもしれない
そう思うから だから精一杯の気持を込めて私は
一人一人にお茶を点ててみた。そうそして

 なんだか今日 お茶というのがわかった気がした。


 ずっと今まで 茶道というのは堅苦しくって
私にはカフェがいい!と思って来たけど
これって全然別ものなんだ。それで私は
どうして茶道をかじったかって カフェの研究もあるけれど
場をつくる人だったから で 自分でもいつか
大切な人たちと 自分らしいお茶会がしたいと
そんなことを 大学を卒業するときハーブティの
お茶会を 振り袖を着ながら日本庭園の横っちょにある
和風建築で開催したとき きっと思っていたのだろう。


 今 私 は まがりなりにも着物が着られるようになり
上手じゃないけど お点前をするということも可能になって
こうしてここでお世話になった人たちに 一杯一杯
想いを込めて お茶を点てている時に
そして彼らがたった1分か2分の間 茶碗と向き合い
緑の液体をじっと目にして それをすすっていく時間
私が点てたお茶だとか その想いとか に
ほんの少しだけ想いをはせて そこには
少し 少しだけかもしれないけれど
無言の だけど 見えない心の交流が
そこには存在するかもしれない。


 私は言葉を発せなかった
それは発したくなかったからで
どうでもいいことしかいいたくなかった
だって言うのが辛いから


 そんな時 だけどありがとうの気持を込めて
誰かにお茶を出せるなら それは誰かと気楽に
コーヒーをのむ そんな空間とは全く違って
なんだか不思議な緊張感と なんだか不思議な集中力と
不思議な力が働いて 本当に一期一会になるのかな


 そんなこと が したかったから
私はお茶を始めたのかな ただもう一度お点前がしたい
そんな想いしかなかったけれど 大切な人たちに
豪勢な料理でも 気楽なコーヒーとケーキでもない
沢山の会話でもない 無言の交信
言葉にはできないけれど 言葉にはならないけれど
大切なことを伝えたい 伝わってほしいと願う
それが一期一会なのかもしれないな


 きっといつか 誰かが思い出すだろう
あそこで私があなたに向けて お茶を点てたということに
そこにどんな意味が込められてたのか
それはわからないけれど
自由で元気なカフェとは違う
言葉にできない 言葉にできない
でもこの行為で感じてほしい
そんな日本的な空間が 日本のお茶会なのかもしれない。

再び喫茶店に想いをはせる

2010年12月01日 |  カフェ的な場で考えたこと

 今日はえんやこらっと1日がかりで京都に帰って
さて明日から何しよう、、、明日は早速一時保育で
またまた勉強しないといけないけれど
どうしようかと思ってた。


 そんなおり、うちの旦那は鬼の居ぬ間に
高いカメラを買ったらしくて
そのカメラだといかに素晴らしい写真がとれるか
嬉しそうに自慢してくる。
「これなら思ったとおりに撮れるんだよ!!」
つ つまり? もしや 本当に?
と思っていたら 本当で
えー なんでいきなりこんな写真撮れてしまうの!?という
美しい写真が並んでて かなり嫉妬したのだけれど
私もちょっとカメラを触ってみると
なーんだ やっぱりカメラがいいんだ
こりゃウソですよ だって目の前で見ているものより
よっぽど美しく撮れてしまう。。。


 「これ、、、貸して!!お願い!!」
「ダメ!絶対嫌!!これだけは絶対貸さない!」と
さんざん言い合いしてたけど
平日の彼が使わない間ならとりあえずよいということになり
それなら早速明日紅葉を撮りに行こう!と思い立つ。
ほほー、市内にいくならじゃあカフェも行こう
一時保育で市内に行く時はだいたい
カフェに2、3軒は行ったりするので
そこで勉強したらいい。


 写真に勉強に喫茶店、、、

 考えるだけでかなり嬉しい。
そして川口葉子さんの『京都カフェ散歩』
京都カフェ散歩―喫茶都市をめぐる (祥伝社黄金文庫 か 17-1)
川口 葉子
祥伝社

(そのへんの京都カフェ本よりもよくできてます!)
をちょっと開いて ふーんそうか
京都のカフェもいいけど喫茶店もな
でもやっぱりカフェドジには行ってみたいし
(一度行ったけどもう6年も前のこと)
あーひさしぶりに六曜社とかいってもいいかも?
それかイノダのカウンターが良いとか言うから
一度は行ってみないとかなあ
でもカウンターじゃまともに勉強できないし、、、


 うーん どこに行こうかなあとか
そんなことを考えてみる
それだけでなんだかとても嬉しい。
実際に は 街中に行くとお金も時間もかかってしまうし
紅葉は微妙かもしれないから
我が家と保育園からそう遠くない 嵐山がいいのかも。
でも嵐山にはたいしたカフェはないんだな、、、


 それでもこうして 
昨日は神保町の「さぼうる」に行っていたのに
明日はイノダ?とか考えられる
そういうことが とても嬉しい。
もう長いこと 京都のカフェや喫茶店は
「通うこと」に重きを置いて
「巡ること」なんてすっかりやめていたけれど
それでもせっかくの機会があるなら
せっかく(一応)京都に住んでいるなら
もう一度巡ってみたいなあ。


 一人で行くのも悪くないけど
誰か話の合う人がいたら 議論をしながら
喫茶店を3軒めぐる そんなこと ができたなら
きっと楽しいだろうになあ
どなたか京都に来ませんか?
一人で行くのがいいお店だって
たくさんあるけど 会話があれば
もっと楽しいそんな店もたくさん
あって たまには誰かと京都のカフェを巡りたい。

喫茶店に想いをはせて

2010年12月01日 |  カフェ的な場で考えたこと
 「今回はなんで帰って来たの?」と
何人かに質問をされ、うまく答えられないままに
東京の秋を過してみたけれど 今ここから
振り返るなら 今回は日本の喫茶店文化を
学びに帰って来たのかなあと思う。


 帰った次の日に出版社の人とお話をして
「日本の喫茶店はどうなんですか?」と質問をされ
「そんな、、、わかりません!」と言いたい気持ちを
ぐっとこらえて「調べてみます!」と即答をして
はてさて どうなるものな、、、と知らない分野に
手を出したけど これがなかなか面白かった。

 たったの1週間ちょっと で
これだけいろんなことがわかって
いろんな世界に想いをはせて
それをまたカタチにしていく
そういう作業がとても楽しい。


 今日は久々に神保町の「さぼうる」にも行き
あーここは 日本でも フランスでもアメリカでもない
独特の空間なんだな こんな空間を 異世界を
独特の 小宇宙をつくること が
日本の喫茶店の醍醐味なのかも
開かれたカフェではなくて
閉ざされた世界にこもる喫茶店。
いい悪いとかではなくて
全然違った文化があって
それぞれの形で発展してて
だけど時折 喫茶店は パリのカフェにも
想いをはせて ちょっとフランス風にしてみたりとか
画集をおいてみたりとか それに憧れた
インテリ達が集ってみたり
そんな憧れの連鎖反応
そういうものが 日本のカフェや喫茶店には
確実に流れてるような気がしてて

 それを自分なりに探って行くこと
それもとっても面白い。


 もしも本ができるなら
この研究がカタチになるなら
私は私にしかできないことを
私だからこそできること を
今やれているような気がする。


 もう捨てちゃおうかと考えていた
日本のカフェや喫茶店に関する書物も
今になって急に注目されはじめ
ちゃんと読むとおもしろくって
そこからまだまだいろんなものが探れそう。

 先日「コーヒー文化学会」というのに行ったら
そのために韓国の大学教授がわざわざ飛行機に
乗ってきていて「一体何が面白いんですか?」と
たずねてみたら 日本のコーヒー文化も
喫茶店文化もかなりのレベルだということで
そういえば 今まではヨーロッパばっかり
見ていたけれど アジアに目を向けてみたなら
そりゃあ日本のコーヒーの質の高さは
アジアで一番なのだろう(世界一という人もいる)


 そうなんだ 私にとっては喫茶店は
当たり前であり そういえばかつて憧れたよなあという
そんな存在だったけど 喫茶店に再び触れてみるのは
何だか甘酸っぱい気分になって かつて憧れた
神保町や早稲田だったり新宿だったり
そういう場所に 誰かが集った
そんなことを再び探り 行けるものなら
行ってみるのは なんだかとても感慨深い。


 たくさんのものに憧れて
たくさんの街に憧れて
ひたすら一人でアンパンかじって
歩いてまわった東京の街。
あのころも今とおんなじように
神保町に行ってみたり
銀杏の枯葉を踏んで歩いては切なくなったり
お金はないけど 喫茶店に憧れていた
まだ遠かった 高校の頃。
それからだいぶ 月日がたって
私はかつて憧れたものに だいぶ
近付いてこようとしてて
かつて憧れた日仏学院。そこでフランス語の本を
何気なさそうに読んでた人も 本当に遠かったけど
だんだんと近付いて来た そんな気がする。


 これからどこに向かって行くのか
まだまだわからないけれど これを機に
いままであんまり触れてこなかった日本の
作家が書いたものたちにちょこちょこ触れて
クスクス笑って読んでいるのは なんだか
けっこう面白い。

日本のカフェ文化

2010年10月11日 |  カフェ的な場で考えたこと



 先日翻訳をしていた際に 相手先に
問い合わせるのを忘れてしまったフレーズがあり
うーん これってどう訳したらいいのかなあ?と
思い立ってフランスの友人に電話してみることにした。


 その言葉というのは 'Art de vivre'というもので
昔自由が丘にまさにその名前のお店が存在していて
そこはとっても異色を放った素敵なお店だったから
だいたいのもつ意味は 理解しているつもりでいたけど
友人に つまりそれってどういうこと?と尋ねてみると
「うーん これは説明するのが難かしい!」とのことだった。
「洗練された暮らし方というか、、いろんなものが
よくセレクトされてて その空間に調和していて、、、」


 何分か会話した後 私はだいぶ理解ができて
それからこう言いたくなった。
「それってさ、日本には存在してないよねえ?」
「いやいやそんなことないよ!日本だって
洗練された暮らしがあると思うよ
だからフランス人は日本に興味を持つんだよ」
「えーそうかなあ 例えば、、、?」
「例えば、、京都とか?」
細かい話の内容までは しっかり覚えてないけれど
そうかな 本当に日本にも art de vivreはあるのだろうか
それが私の中で何週間かひっかかってた。


  art de vivre(アールドヴィーヴル)というものは
私が理解したところでは センスの良い暮らしというか
あー そこにそんなのがあったらまさにいいよね!素敵だねという
そういうことを 自分が自分で生み出していける
そんな力の気がしてて ちなみに私の電子辞書 で
art de vivreを引いてみる と「処世術」と書いてある。
確かにこうも訳せるけどさ それは多分 違うでしょう、、、
(意外と電子辞書にも間違いがあるらしいですよ!)
もっとこう ブドウの木の下でアペリティフを楽しむだとか
自分たちでテーブルを外に出して朝ご飯を外で食べるとか
夕飯の時にろうそくをセッティングするとか
そこで音楽はどうしようとか そういうものじゃないのかな。

 私はフランスに行く度に
ほとんどの人のおうちで そんな素敵な体験をして
(そしてママンの手作りタルトが出てきたり!)
なんて素晴らしい!! と夢見心地になってしまった。
そんなの日本で存在するのか?
普通の人の家に行った時「わーなんて素敵!!」と
思ったことより かなり雑然としてるなこのお家、、とか
シンプルだけど当たり障りがなさすぎだよな、、とか
つい思ってしまうことの方が圧倒的に多かったから
私はつい、「日本にはそれはないのでは?」と思ってしまった。


 だけど「あるよ!」と言われてしまうと
そうかなあという気もしはじめて
お医者さんで『家庭画報』や『婦人画報』をめくってみると
あー確かに 存在するかも!!美しい、、 でも 誰この人は、、、?
一体どんな階級の方なのかしら どこに住んでらっしゃるの?
銀座のカフェですれ違ってた エレガントな人たちのように
今までの人生においてはすれ違うことさえなかった
そんな人たちは こういう世界に生きてるのかもと
ちょっと思った。


 さて その他は?どこかにあるのか?art de vivre、、
と思っていたら 意外にあった!それはなんと
カフェなんですね、、、



 日本のカフェってなんで対話が生まれないんだろう?
なんでこんなに違うんだろう?でもそれはそれで
独特の1つの文化領域に達してて
世界に誇れる文化かも?と思ったりもすることがあり
時にセンスのいいカフェに行っては その空間造りに
驚くことが多々あった。


 あー これか!と 奈良のカフェ でピンときた。

 これが日本の文化なんだわ。
茶道のあとをひく文化。

 そう カフェの主人は 茶道の亭主のようなもの で
粋をこらした自らのセンスを問うてる空間に
人を招きはするけれど そこで偉いのは主人であって
招かれた客はというと 私が望んでいるような種類の
自由はあまりない。そこでは客は小声で話し
静かに本を読んでもいいけど その程度しか許されていない。
私が京都の「ソワレ」で感じた違和感や
(それまで一緒にいた友人と店に入ったとたんに
話したかったことすら話せなくなってしまった)
先日訪れた京都のカフェで感じた違和感
(皆ものすごい小声でしゃべる)
好き勝手になんて振る舞えないけど
客たちはそれをよしとしていて
「何か」をそこで受け入れている。
「何か」をそこで尊重している。
それは主人がそこで示している空間のセンスや
提供されてる空気感。

 ああ 私には真似できないけど
なんて素敵なんだろう。
私も少し とりいれられたら
こんな空間が私の部屋になったなら。
ああそうか この花の使い方は真似できるかも、、、





 そんな感じで おそらくカフェ空間とは
だいぶギャップのある自分の生活空間を
もう少しだけよくできるよう 夢をみさせてくれるような
そうまるで『天然生活』みたいに
自分はあまりに忙しくって 料理する暇もないけど
みているだけで心地いいから いつの日か、を
ちょっと夢見て買っておこうとする 癒し系の雑誌のように
日本のカフェという空間は 「どう?こんなに
なったら素敵でしょう?」という店主独自の世界観を
空間と食べ物と飲み物を用い 五感をつかって
感じられるように つくりあげている空間で。


 それってまさに茶道じゃないか。

 やっぱり現代の茶道がきっとカフェなんだ。
絵巻物が漫画になっていったように
日本のカフェは1つの文化領域になっている。
それはとっても素敵だけれど
そうそこで 人々は日常生活にちょっと足りない
art de vivreを感じてみたりするわけだけど
(ちなみに茶道を習っている人はよく
茶道の空間を「非日常」と表現しますが
日曜日にいく素敵なカフェも同じように
「非日常」を味わいにいく空間なのかもしれません)


 私はそのカフェで痛感しちゃった。
ここでは議論はおこらんわ、、、
だって主従関係があるんだもん。
カフェの店主こそが偉い。
どう?こんなこともできるんですよ?と
圧倒的な力を示されるほど 客達は
受動的にならざるを得ない。
それほど空間の力は強い。
だから誰もその店主を 越えることなんてできないだろう

 だから私は言いたいのだけど
日本のカフェはサロン化している。
そうじゃない 自由な雰囲気のカフェも
少しはあるけれど 方向性は全く違う
だけどカフェに自由がなければ
いったいどこに この日本で
好き勝手なことを話せて
好き勝手に振る舞っていい
自分が思うように何かをしても
誰にも非難されることのない 
そんな場があるというのだろう?
(それはもしかしたら「対話」の場や
OSTなどのワークショップかもしれませんが
あまりに高い料金を払えない人はそんな機会さえもない)

 カフェこそ人を救うのに
カフェこそ潜在力があるというのに
日本のカフェは あまりに店主の格が高くて
あんまり自由が存在しない。

 だからこそ
私にちょっと使命というのがあるのなら
私は私で伝えるべきだ。
カフェの他の姿というのを。
「茶道的カフェ」だけじゃない
もっと客が自由に振る舞い
その個人こそが 何かを生み出していけるような
場としてのカフェを
そんなカフェ が 可能なことを。
やっぱり2冊目の本にむけて
私は力を注いでみよう。

販売促進

2010年09月23日 |  カフェ的な場で考えたこと


 今日は東京滞在で一番ハードだろうと思われた日で
朝は出版社の人とお話しに行き、3時間ほど
集中してお話したあと お腹が減ってふらふらな身体を
ひきずりながらもワールドスペシャリティコーヒー
コンフェランスアンドエキシビジョン
という展示会に行って来た。

 これは3日間連続の、質の高いコーヒーに関するイベントで
ここに行ったら何かがきっと起こるんじゃないかな と
京都にいたときからかなり楽しみだったのだけど

 会場にようやくつくと 私は圧倒されてしまって

 うーん Paris bistro.comの宣伝をしたいとこだけど

 何していいのかわからない、、、、


 あまりに専門的なイベントで お話をしてみたい人は
沢山いるけど そこで自分が何をもっててどう話せるか
そう考えると 今の状況じゃちょっと無理かも
と つい尻込みをしてしまう。





 それでも今日は 一応ここで書籍の販売をしている
旭屋書店というところ で 販売促進させてもらおうと
思って連絡をしてはいたので そこに向かって
お店の方とお話をして それならPOPでも書いてくださいと
紙を渡されイラストを書く。


 こういうことをやったりしながら

 自分で仕事をつくるって やりたいことで
なんとかやっていこうとするって
すっごい大変で めちゃくちゃいろんな才能がいるんだなあと
改めて実感をする。

 たとえ文章を書くのが好きな人にしても
その本が出版されて 誰かが興味をもってくれて
講演なんかに招かれてみたら そこで必要とされるのは
「書く」というのとは全く違った才能で
話のうまさや わかりやすさや まとまってるか
いかにして伝えるか できればちょっと冗談なんかや
アドリブも?そんなこと が できたなら
会場受けはいいのだろうけど それって
一人静かに本を読んで執筆をする 
そんな人とはなかなか相容れないようなものに思えてしまう。


 そして本が出版されても
それが簡単に売れるわけなどなくって
それでもやっぱりもっと読んでもらいたいなら
自分で売り込むしかなくて そこには勇気も必要で
それだけじゃなく 書類だったり 名刺だったり
ちょっとした押しの強さや図太さだったり
自分の作品を「大切な作品」と思えば思うほど に
売り込みなんて しにくいだろう。
だって批判されたり無視をされるのは怖いから。


 ところがそんなこと言ってられない!!
そんな状況じゃないんだよ びくびくしてる場合じゃなくて
傷つくのが怖いとか 言ってられなくなって来た時
人は勇気も出せるよう で 勇気は何度か出してみる と
意外に慣れに変わるらしい(これすごいいい勉強になった!)


 とはいえ販売促進なんて 一体何すりゃいいんだろう?
そう思ってる私を横目に お店の人は慣れていて
私の本を目にしたのなんてはじめてなんだろうけれど
人が集まると声を張り上げ「cafeから時代は創られるの
著者の飯田さんがいらしています~!今なら
サインもしてもらえますよ!!」と宣伝をしてくれる。
どういう顔をしてたらいいのかさっぱりわからないけれど
そしてここで皆が手に取るのは「いかにカプチーノに
絵を描くか」とかで こんな本ではないのだけれど
それでも手にとってくれる人もいて
すかさず声をかけてみる と なんと
その全員が私の本を買ってくれた!!2500円もするというのに!


 というわけで 2時間くらいかかってましたが
おかげさまで今日『cafeから時代は創られる』は3冊この場で
売れました。本当にありがとうございます!
はじめはサインをするというのも 自分の本が
本屋にあるというのも とってもびっくりしていたけれど
慣れというのは面白く 今日は「ハイ!POP?描きます!
サイン?もちろん!お名前も教えてください!
この本は20世紀前半のパリの、、、」とだいぶ慣れてきた。
自分の本が平積みになる?そんなことがありうるかしらと
思っていたけど 今日は全ての本が平積みで
そうやって並べてもらうと なんだかそれにも慣れて来て
「もっとあの本屋さんにも置いてもらおう!」と
ちょっと図太い気持ちになってくる。
(ちなみに青山ブックセンター渋谷店にも
置いていただけそうです!)


 今の私は 本を出版したばっかりで
誰かの反応にひたすらおびえる そんな私とは違うから
もうできる限りのことをして 自分の持っているものを
全て活かして 仕事にしようと思っているから
前の自分とは違うのだろう。さて どこまで勇気が出せるかな?





 来年のパリを夢見て 
できるとこまで できる限りは
自分の力をしっかり出して
未来に向かって走ってみよう。


農楽カフェから何かが変わる?

2010年09月09日 |  カフェ的な場で考えたこと
 昨日は神戸のミドリカフェという素敵なカフェで
開催された「農楽カフェ(のうかカフェ)」で
カフェ文化に関するお話をさせてもらいました。

 昨日はゲストが二人ということで
どんな人とお話なのかと思っていたら
「貸し農園をされてる方なんです。」

 ・・・は? 貸し農園? と
カフェですか、、、?


 まったくもって 私にはその
つながりだとか 関係性がよく
わからなかったけど 一度そこに
お邪魔して 伊藤さんという方とお話をしてみると
はー なるほど!でてくるでてくる共通点!
こんな二人をドッキングさせた
主催者『棚田LOVER'S』の永菅さんの力量に
恐れ入りました。


 ところでこの主催者の彼は相当に
面白いことをやっていて 学生時代から
神戸のキャンドルナイトにかなり積極的に
関わって しっかりとした企画書を持った
彼と出会ったのはだいぶ昔のエコリーグの
ギャザリング。そこで私はカフェをやってて
彼はキャンドルナイトをやっているということで
それならこれからカフェでキャンドルナイトを
してみたら?!そんな話で盛り上がり
急遽やってみることに。


 その時のカフェはとっても幻想的で
素敵な雰囲気で ついにエコリーグの
ギャザリングにも こんな環境が
持ち込まれたか!と驚くような夜でした。

 残念なことに永菅さんは次の日には
帰ってしまい 2回目のキャンドルナイトを
やりたいけれどもキャンドルが十分手元に
ない私 は 結局会場の明かりをつけて
「こんなんじゃないー!!つくりたいのは
こんな雰囲気じゃなかったのにー」と
くやしがっていたのを覚えてます。


 さて あれから何年か経った彼は
自分で棚田を守るためのNPOも立ち上げたらしく
ふだんは有機栽培農家の下でがんばって野菜を
つくって でも傍らでめちゃ企画して
時にインターネットカフェに泊まったりなんかしながら
パソコン片手に勢力的に動いてる。
そして彼が開催している「農楽カフェ」は
もう2年くらいやってるらしく、
その趣旨は農業、農家さんと都会の消費者を
つなげ、一緒に食や農の未来を考えることに
あるんだそうな。すごいです。


 しかもそれを神戸のお洒落なカフェでやっている。


 そして彼はある時私の本を買って読んでくれ
昨年9月に農楽カフェにゲストで呼んでくれ
そこで私は「せっかくだからカフェでの議論を
体験してみましょう!」ということで
ワールドカフェを導入させてもらいました。
そしたらそれが面白くって それ以降
かなり取り入れてくれてるらしい。
頭の柔らかいたぐいまれな力量のある人だと思います。


 
 昨日はまたしても私は「何故カフェから
様々な社会的運動や思想、芸術が生まれていったのか」
という話をさせていただき、それから伊藤さんが貸し農園の
お話をされ、私が貸し農園とカフェとの共通点に
ついて探って 伊藤さんがそれをうけてまた
お話をされて、それからみんなでワールドカフェタイム。


 ちなみに歴史に残ったようなカフェと
伊藤さんの貸し農園には
どんな共通点があるのでしょうか、、、

 ひとつめは そこに通う人同士の対等性

 カフェも貸し農園も、その場を提供する人に
ある一定のお金を払うという点で、そこに
通う人たちは平等、対等な立場になります。
その人が偉い人なのか、学生なのか、
外国人なのかとかはそこでは関係ありません。
その「入場料」や「使用料」を主人に
支払っているという点で対等になる。
まあ映画館もそうですね。
だから(機会さえ設けてもらえば)
お互いがとても話しやすい。
(そこを選んだという時点で意外と
興味や嗜好が似ていたりする)


2つめは 主人がそこに通う人たちを愛していること。

 伊藤さんは世界中からWHOOFという
有機農業の農家にステイさせてもらうかわりに
お手伝いします、とい若者達を受け入れていて
その数なんと80人上だそうな。
彼女は彼らにとても愛情を注いでいるので
「お母さん」と呼ばれるようになるそうです。

 モンパルナスのカフェ、ロトンドの主人も
常連の客達に「パパ」と呼ばれていました
(モディリアーニも!)ここの主人、リビオンは
第一次世界大戦がはじまるときに、沢山の
客達に最後のお酒をおごり、出陣するのを
見送っていたのです。そのため、無事帰還できた
人たちはパリに戻ると真っ先にロトンドに
戻ってきました。おかげで大戦後の
ロトンドは大繁盛、、、
伊藤さんも毎日のように世界中の「子供達」
からメールを受け取っているそうです。

 また、そんな主人がそこに通う人同士を
少し紹介することで、彼らの中で簡単に
つながりがうまれていくのです。


 3つめ 継続して通うこと

 議論は継続してなんぼです!と
私は「対話」の場があるときや
イベントのたびに訴えたりしてるつもりなんですが
1回きりの対話や議論もないよりはあったほうが
断然いいけど、一度だけではなかなか
次の動きになんて結びつくものではありません。

 だけど日本人は時間もないし
継続してそこに通って 気がついたら
誰かいる、みたいな場ってあんまりないよな、、、
と思っていたらあったのです。
貸し農園か!!目からウロコ。。

 そう 農業をしはじめたら
どんなに遠くから通っていても
すくなくとも週に2、3回は
通わなくてはいけません、、、

 というわけで継続した関係性の出会いが
起こりやすいんだそうな

 そう考えると銭湯やスポーツクラブも
こんな場になっているのかも?

 4つめ 多様な価値観がぶつかりあうこと

 モンパルナスのカフェには世界中の
人たちがいて、その言語やら衣服も様々で
まるで世界の人間見本市のようだった
と言われていますが 伊藤さんのところも
22カ国から若者がやってきて
彼らと話をしているうちに 自分が
当たり前と思っていた価値観が
どんどん崩され、価値が相対化されていってしまいます。

 これがカフェの面白さであり
崩れた価値をなんとか立て直そうとして
もがいていって、自分なりの価値を
自分の方法で表現していく それで作品が
できていく、、、だからできるだけ
突拍子もない価値観に身をさらした方が
(精神の均衡にはよくないけれど)
作品の制作には都合がよかったりするんですね。


 というわけで 伊藤さんの貸し農園が
もっとカフェ化したら こりゃかなり
面白い、、、と思いました。
っていうかかなりモンパルナスのカフェみたい?
と思ってこの場はこれから面白くなるだろうな
と思わされました。


 日本人が口をひらいて 真面目な話を
誰かとすること そんな場なんて
ほとんど存在しなかったのに
最近の「対話」ブームで 何かが変わって
実際に話をすると やっぱりいつも 面白い。
日本は変わり始めてるなあ それが
カフェから変わっていったら
普通に存在しているカフェこそが
イベントでもなく 会議室でもなく
500円を払えば長居のできる カフェ が
本当の対話の場になっていったらいいのにな

 今回はとても面白い視点を
得られることができました。
永菅さん それから聴いてくれたみなさんも
本を買ってくださったみなさんも
長々とこれを読んでくださってる方も
本当にありがとうございました!


ちなみに 伊藤さんの貸し農園見学会が12日日曜日に
開催されます。私も参加します(れんたろーも)
10時から4時まででマクロビのごはんつきで
2800円だそうです、ここでもワールドカフェの対話をします。
興味のある方は永菅さんtanadalove@yahoo.jp
にお問合せください。神戸市西区 JR魚住駅です。
とてもかわいらしい農園ですよ!

農楽カフェで9月8日にカフェのお話をします

2010年08月31日 |  カフェ的な場で考えたこと
 ひさしぶり、になりますが
またカフェについてお話をする機会を
いただくことができました。
神戸で2年前から開催されている農楽カフェという
イベントで、貸し農園をされている面白い方と
一緒にお話をします。

 お時間のある方、神戸近郊の方、
カフェまたは農業に興味のある方、
はたまた日本の未来に興味のある方?
ぜひ遊びにきてください。
一緒にお話をする伊藤さんという方は
かなり熱くて面白い方です!!
貸し農園とカフェの共通点は、、、
普通に抱いているイメージからは
想像もつかない面白さがあるところ?かな

 パリのカフェに関してなど、
お話する機会があったらぜひお声をかけてくださいね。

・・・・・
(以下情報、転送・転載大歓迎)

☆9月8日(水)19時~21時@ミドリカフェ☆
■農楽カフェ~人と人がつながる種をまこう~■  
~~農や食、環境をテーマに語り合いませんか?~~

第1回「cafeから時代は創られる~豊かな農園からのライフス
タイルの提案~」

■日時:2010年9月8日(水)19時~21時 (18:30開場)
■場所:ミドリカフェ
TEL: 078-412-7214  HP:http://midoricafe.jp/
〒658.0003 神戸市東灘区本山北町 2.6.24.1F
・阪急神戸線、岡本駅南口より徒歩3分。ハンドインハンド左
折、東へ徒歩7分
・JR神戸線、摂津本山駅北口北へ徒歩1分。西崎眼科を右折、
東へ徒歩7分
■参加費: 1,500円(ワンドリンクつき)
軽食(追加750円)、夕食(追加1200円)でご用意できます。
農楽カフェ4日前(4日[土])までにご連絡ください。
※棚田LOVER’s会員は1,000円(棚田LOVER’s年会費は3,000
円)
■定員:15名(先着順)
■主催:棚田LOVER’s、棚田LOVER’s SEED http://tanadalove.com/
■協力:ミドリカフェ
■チラシ:http://tanadalove.com/pdf/100908_nouka.pdf
■ゲスト・メッセージ・プロフィール・事前の質問事項

■伊藤 麻理子さん(くすのきエコ農園)

大自然に抱かれて、私たちは生きています。農を知ろうするこ
とは、正にその入
り口に立つこと…今ドアを開けるのは、あなたです!?

2008年4月くすのきエコ農園開園(一部は35年前より開園済)
 現在2000坪で約
180区画、メンバー54名。 来年度さらに・・60区画開園予定。
八百屋・食品ミニスー
パー歴30余年で、現在日本書芸院審査員。興朋会:理事。珈扇
書道会:主宰。 市内2
箇所のデイサービスにて、書道ボランティアの活動も行なって
いる。

■飯田美樹(cafe文化研究家)

フランス、パリでは様々な文化、
社会的運動がカフェを舞台に起こってきました。
ではこの先の日本を変えていくには?
カフェという場のもつ力って?農楽カフ
ェで少し感じてみてください。

1980年神奈川県生まれ。高校時代から環境問題にめざめ、
青年環境NGOエコ・リーグを中心とする
様々な環境活動に関わる。
それらの活動を通じて、
社会を変えうる活動を生み出す「場」に
強い興味を持つようになる。
早稲田大学時代にフランスのパリ政治学院に留学し、
カフェに通い始めたことが、カフェ研究のきっかけとなる。
自身の熱い「場」づくりの経験やカフェに通った実体験、
また大学院休学中にカフェを運営した経験等の実体験を、
百年前のパリのカフェ文化を理解するための
視点として用いながら、
カフェという場のもつ力強さについて追求し続けている。
早稲田大学商学部卒業、
京都大学大学院人間・環境学研究科修士課程修了

■事前の質問事項
「カフェや貸し農園には、どんな共通のテーマがあると思いま
すか?」

■お申込・お問合せ
E-mail: tanadalove@yahoo.co.jp 
携帯 090-2359-1831 (永菅)
メールかお電話で、お名前(ふりがな)、ご連絡先(お電話番
号、Eメール、ご住
所)、質問事項の回答を記載の上お申込みください。
先着順で受付、定員に達した時点で受付終了します。

■スタッフも大募集!
17:30に会場に来れる方で、設営・受付・ドリンクオーダーな
どを
お手伝いいただける方は「スタッフ参加希望」と書いてお申込
ください。
今後ともよろしくお願いいたします。

地域社会に生きる

2010年03月19日 |  カフェ的な場で考えたこと
 先日「ママのホッとサロン」という
児童館で月に一回、ママたちが
ちょっと子供と離れてほっとするために
開催されてるイベントに行ったとき、
沢山のママがこう言っていた。

 「少しでも子供と離れてこうして
お茶を飲めるのが幸せです。」
 「こんな時間はなかななくて!!」


 初回のころの私だったら 本当にそうだ!!と
同意してたに違いないけど(もうよく思い出せないけれど)
今の私はそれをきいてて「そうかあ?」と思ってしまった。
そして「そうかあ?」と思えた、そんな自分は
ずいぶんと幸せになったのだと認識できた。


 どうして私が「そうかしら?」と思ったかと
考えてみると それはおそらく 私にとっての
日々のホッとサロンの カフェ欅があるからで
このイベントを主催している人が こちらのカフェも
運営していて 子供のためのカフェではないけど
れんちゃんはもうしっかりとした常連になり
カウンターに座っては たくさんのものを
もらったりして その横で 私はコーヒーや紅茶を飲んで
お姉さんや おばさんや その旦那さんと話したりして
そのうち他のお客さんとも ちょっと交流があったりしてて
そこにはおもちゃもれんちゃんの好きなトラックの本も
おいてあるから 私にとっては 本当に大切な息抜きの場所。


 私はここに出会ったから なんとか引っ越し先の
見知らぬ土地でも楽しくやれるようになり
はじめこのカフェに通ったころは ただの
「れんちゃんのお母さん」でしかなかったけれど
ある時を境に私は私らしい自分として認識をしてもらえ
最近はどうやってより地域を活性で切る場をつくればいいかを
ここの代表の人と話して 奥さんとは子供や高齢者が
もっといやすい場をつくるにはどうしたらいいか
話したりして たまにカウンターでコーヒーをいれてくれてる
店長さんの旦那さんとは イタリアのカフェグレコや
バール文化について話し合う。それがなんだか
とっても楽しい。


 その間れんちゃんはというと
たいていの場合 ウインナーとか卵とか
ゼリーであるとか お菓子をちょっと
わけてもらえて 私のでがらしの
ハーブティやら紅茶をもらって
(わざわざカップにいれてもらえる!)
しばらくカウンターに座っていたあと
椅子を降りたと思ったら おもちゃの
ところにめがけていって そこらへんに
車をばらまきはじめて遊んでる。


 ちょっと微妙な光景だけど お店の人は
みんなやさしく れんちゃんをとても愛してくれて
れんちゃんの「おいしいの時の笑顔」みたさに
店長さんは甘いものをくれたりもして
時には他の人がれんちゃんを外に連れ出してくれ
私は誰かと何かの話をしながら ちょっとゆっくり
お茶ができる。そんな時間がありがたい。
そうしてそれが日常にある 月に一回だけじゃなくって
しかもそれが 私の場合は研究にもつながってるし
地域活性にもつながるのかも そんな気もちょっとしていて
なんだかそれがとても嬉しい。


 そこだけじゃなく 最近は おばあちゃんたちが
通っているヨガの教室にも通い始めて
今日はいつもと違う場所で開催されてる
ある人のお宅でのヨガに参加した。
子連れで申し訳ないな、、、と思っていたけど
おばあちゃんたちはみんな優しく歓迎してくれ
そこにはお孫さん用のおもちゃもあって
(しかもトラックのミニカーが何台も!!
れんちゃんはトラックおたく)
みんながとてもあたたかく見守ってくれ
その後で我が子がお腹が減ってしまって
大泣きをしていたときは すかさず隣にいた
おばさんが「何か食べるものない?この子
お腹減ってるのよ!」と言ってくれて
お家にあった「おっとっと」をいただいて
その瞬間に彼は泣き止み ひたすらそれを
食べていた。そのあともドーナツをいただいたりとか
みんなとっても優しくて 「またぜひ来てね!!」と
言ってくれ 私がちょっと憧れていた
おばあちゃん世代との交流が すこしずつ実現されてる
ような気がして 本当に嬉しくなった。


 地域に人は生きている。 いろんな人が
狭い地域にひしめきあって生きている。
なかなか交わる機会もないけど みんなそれぞれの
長所をもって 特技をもって生きている。
ママサークルも 嫌悪感を感じることもあったけど
慣れてくると みんなのよさやあたたかさが
だんだんわかるようになり ああこういう場所で
特技を発揮してみたり やりたかったことを
やりはじめてく そんな道だってあるんだなあと
気づかされる。


 近くに住んでいる人で
みんなでそこを楽しくしていく
子育てを 地域社会をもっと楽しいものにしていく
それってとっても楽しいし 
地に足がついてる気がするし なにせお金もかからない。
地域社会はなんだか楽しい。
意外にも こんなところに こんなすごい人がいたのか!と
驚く事もまた楽しい。
「専業主婦で子供といるから」何もできない
わけじゃなく そうやって 少しは時間も工面できるから
伸ばせることもあるかもしれない。それは仕事ではないけれど
だけどやりがいがあるかもしれない。
だって誰かが喜んでいる。みんなの笑顔
その中で 私もれんちゃんも笑顔でいられる
そんな社会はあったかい。

 おばあちゃんたち ありがとう!!

京都での濃い一日

2010年03月13日 |  カフェ的な場で考えたこと
 東京に行ったりする度 いいよなー東京は!!!と
うらやましがってしまうけど それですぐ
東京に帰りたい と思っちゃうけど
私一人がワクワクしても 旦那の仕事もあるわけで
彼は彼で 来年くらいからやっとやりたいことが
実現するかもと言い出してるから すぐに
東京に戻ろうというわけにもいかないわけであり
仕方がないので ここ 京都 で
どれくらい楽しく生きられるものかと思ってた。


 今日13日は京都でも面白そうなイベントが
バッテイングしてて 前から行きます!と
行っていたのがあったのだけど 一方で
「ふれあいの居場所普及サミット」というものもあり
そこではまちの縁側クニハウスの丹波さんや
以前に「日本型支援者養成会議」で話にきいた
新潟の「うちの実家」というとりくみを
している人の話がきけるというから
行きたいなあ!と思ってた。


 しかもその日は 私の行きつけの喫茶
けやきのおじさんも行くらしく
「君の分まで二人分聞いてくるよ!」と言ってはいたけど
いやー やっぱり 行ってみたい!ということで
こちらに参加させてもらうことにした。


 それなら一緒に車で行ったらいいわよと
奥さんに勧めてもらって 車に乗るまでの
一時間くらい 今日はカフェのお手伝い。
れんちゃんは早朝から旦那に預かってもらってたので
私ははじめてヨガやそのカフェに一人で行って
驚く事に一人でいると何でもできる!!
てきぱき動ける!なんだかパワーアップした気分♪


 というわけで何故かお店の前でお弁当を売る
担当になり 恥かしながらも大きな声で
「お弁当いかがですかー!」と売っていたら
嬉しい事に完売したのでお役御免。

 「よし!行くよ!」ということで
1時半の開演めがけておじさんは車を飛ばしてくれる。
「私の車はね ジェットコースターみたいって
いわれてるんですよ」と言っていたけど
どーいう意味?と思っていたら
駐車場をでた瞬間から加速がすごくて驚いた。
こ これ 同じ道、、、??!


 ある時は目が点になり ある時はどきどきし
だんだんと慣れていったけど 私が目にした
4回の黄信号は全て「加速で飛ばせ!」で驚いた。
でもそんなジェットコースターもなんだか
慣れると面白くって あー車に乗るのが
好きな人って こーいうことが面白いのかと
なんだか妙に納得がいく。


 そして我々はぴったり時間通りについて
サミットの話を聞いては私はとても感動し
あーやっぱり女の人ってすごい!と思い
主婦にもやっぱり力があるわ!と再び思い
(昨年夏に参加した「全国つどいの広場実践交流会」
でお話されていたWoman of the yearを受賞した
香川で母親支援をしてる方も もとは
旦那の転勤で見知らぬ土地で子育てをした
かなり孤独な専業主婦だったそうです)
やっぱりカフェだ 居場所なんだわと
再確認して きっと自分には何かするべき
大きな役割があるんじゃないかと勝手に認識したりした。


 それから今度はもともと行きたかった方の
イベントのあとの交流会に参加させてもらって
お会いしてみたかった我らがマイケルと
共に仕事をしていたというカレルさんという方に会い
なーんかいろいろ聞いてみたいけど
無理そうかなあ まあいっか、、、と思っていたら
たまたま場が切れたあとに席がとなりになって
目配せをしてるだけじゃしょうがないので
「どうして日本に住んでるんですか?」と
きいてみた ら そこから深い会話がはじまった。


 私の英語はあまりにたどたどしかったから
ここにはうまく書けないけれど カレルさんは
まさに今私が興味を持っている事に対する
答えを話してくれて 彼の口からも私が今朝
書いてしまった「教育は支配なんだ」という言葉も
出てきたし 私たちがとらわれていて
でもそのことに気がついていないマトリックスに
いかに気づくかが大切なんだと言っていた。
カフェや自由 感情を大事にするという事は
「時々 それもあればいい」というものではなくて
「支配」の側に 相対立してこそ
存在するというものでもなくて
今のこの私たちのとらわれている考え方が
なくなって も 人間はきちんと生きていける
自由であっても 大丈夫なのだと言っていた。
(たどたどしかったのでうまく言えないけど
かなりピンとはきたのです)


 そっかー ほんとかなー
そうなったらいいなとおもうけど
ほんとにそんなことできるのかなー

 と 思ってた事を カレルさんは
「できるんだよ!」と言っていて
私はなんだか嬉しくなった。
人が本来生まれ持ってる可能性
それをより発揮していける社会というもの
それがあってもいいじゃないか
歴史上 人々は支配されてきたけれど
私たちが今 支配されてしまってるのは
「誰か」の意図的な支配ではなく
私たちが気づかないでとらわれ続け
再生産してるシステムなのかもしれないな
(それをカレルさんはマトリックスとよんだのだろうか)


 もう少し 英語がうまくなったなら
もうちょっと まともに自分の意見を表明できたなら
もっと彼と話がしたい。日本には可能性があると思って
彼は日本に移り住むことにしたらしい。
そんな彼に日本をはじめて見せたのはあのマイケルなんだって!
そしてマイケルが大好きな私はカレルさんに日本の可能性の
話をちょっと聞いて それだけでワクワクしたりしたわけで
だってマイケルは自伝の序文に日本のよさについても
書いててくれているんだもん


 日本は本当に変わり始めてる
たくさんの素晴らしい動きがおこりはじめてる
今日のサミットでは「みなさんが本来もっている
やさしさをもっと素直にだしてみたらどうでしょう?」という
ことばがあった。本来持ってる優しさや愛情や遊ぶ楽しさ
れんちゃんが私に教えてくれた沢山の 私が忘れてしまってたこと
大切な きらきら光っているものを これ以上
台無しに おしつぶしてしまうのではなく
より魅力を発揮させて 他の人たちも幸せにしていくように
そんな社会になっていける 日本が見本になったらいい。

卒業

2010年03月13日 |  カフェ的な場で考えたこと
 今朝何気なくラジオをつけたら
尾崎の「卒業」が流れてて
あー懐かしいなあ 友達が歌っていたなあ
さてどんな歌だっけ と聴いてみる と
なんだかかなり激しい歌だ。


 これは中学を卒業する歌なのだろうか
高校なのかはわからないけど どうも
中学っぽい気がしてて 昨日は旦那の
中学の卒業式で 校区に住んでる私はいつも
学校帰りにたむろしている彼らを目にして
一人の主婦の視点としては
「そんなとこたむろすんなよー」と
なんとなくやな感じ と 思ってしまう。


 けれども旦那にいわせると 彼は意外と
理解があるのか 「そういう時間も大事なんだ」
ということで 中学生たちは基本的には学校で
授業を受けて そのあとは部活があって
友達としっかり話をする時間なんて休み時間や
放課後の(塾に行くまでの?)ちょっとした
時間しかないらしい。


 そうかー 大事な時間なんだな
そういえばサードプレイスの話でもオルデンバーグは
「アメリカの近代の都市開発者たちはあえて
そういったたまり場になるスペースを消していったけれど
それは間違いだ!!」と言っていた。
なんでたまり場を消したんだろう?と思っていたけど
主婦モードの私のように「なーにあいつら、、
何だか怪しい」と不審な目で
見てしまう人が多かったからなのだろう。


 だけどそんなこと言ってちゃいけない
なにせ私は「カフェ文化研究家」なのだから、、、
とちょっと反省。


 最近は子供の遊び 教育 そしてカフェについて考えていて
先日吉野に言った際に 「大人の遊びや学び」について研究
している先生方に話を聞いてみたのだけれど
そのとき何かがわかった気がした。
先生達は カフェを面白がってくれてはいたけど
教育とカフェって かなり別な存在で
場合によっては 相対立するものかもしれない
だから教育をカフェにしようというのは
間違ってはいないのかもしれないけれど
かなりおかしな考えなんだなあと思った。


 何故なら教育は支配だからだ!基本的には、、、


 先生は「教育工学というのはある到達点に
達するために いかに効率的にそれを実現するかを考える事」と
言っていた(と思う) そして教育とはある国家の思想の
おしつけで(これは私の考えだけど)結局は
国に役立つ人々を育成するために教育が提供さてれるわけで
それは上の人たちがいかに庶民を支配するかという形の
あらわれでもあるわけだ。


 と すると 「なんで学校なんていかなきゃいけないんだ!
なんなんだこの校則は!先生あなたはかよわき大人の代弁者なのか?」
といわれても 尾崎が歌っているように 「支配のルール」に
のっとるための教育ならば 先生達は「イエス」というしか
ないのかも。


 教育 は 変わろうとしているのかなあと思っていたから
面白そうな気がしてたけど 実際のところどうなんだろう?
まだ変わらない 今ある近所の中学校では 家出もあれば
学校への不法侵入事件もあったりするわけで
「なんでそんなことするんだ!」と問われてみたら
尾崎ほど強い思いを持った子なんて もういないのかも
しれないけれど そういう思いもあるわけで
子供が子供心を持って 大切なものを大事にしたくて
そのまま大人になろうとしたら 「支配のルール」に
ぶつかって かれらは怒り なげき わめいているしかないわけで
「反抗」はするけれど 結局怒られ親も呼び出されて
飼いならされていく訳で そう 飼いならされて
やがて沢山のことをけろっと忘れて大人になってく
なんだかそんな気がしませんか?


 それっていったいどうなのかなあ


 そんな時に THEたまり場 の サードプレイスのカフェ
というのは 格好の反抗の場になるわけだ。
そう考えるとカフェと公のルールの場は
かなり対立項な気がするな。


 反抗は悪いことなのか
大人になると 子供のときに
何を思っていたかどんどん忘れていくけれど
子供の心を持ったまま で 大人になるのは
そんなにいけないことなのだろうか
カフェに集った「天才」たちは
結局のところ そんな社会と相容れなくて
子供心を大切にしてた人たちで
「まじめくさった大人」の一人になるくらいなら
精神病にかかった方がましだというくらいの人たちだった


 「そんなのはくそくらえなんだ!」
尾崎もくそくらえといっていて
そういう言葉が懐かしかった。
ベビーカーをひいて団地を通ると
私は社会維持側の主婦の一人になってしまうけど
私のしている研究は 実はもっと激しいような
実はかなり 危険なような
でもそこに 醍醐味が見え隠れしているような
なんだかそんな気がしはじめた。

 もう一度シュールレアリスムを勉強しよう!



場の方程式

2010年02月27日 |  カフェ的な場で考えたこと
 今日はかねてより議論したりもしていた
エコリーグの15周年partyの日で
どうなるかなあと思ってたけど
私自身の結論としては 場というものは
ないよりは 断然あったほうがいい!ということだった。


 今日や今日に至る道のりで いろんな人と話してて
「あの年の8Gが僕の人生を変えたんです」とか
「僕もあのイベントがきっかけで」という言葉を
何度耳にしたことだろう。 今日はかなり前の代の方から
かなりの後輩世代までいて あああのとき一緒に
8Gをやった若手の学生が 今ではこんなに立派になって!
一生懸命活動している そんな姿をみていると
本当に嬉しくなってしまう。あの時があって 誰かが
続いて だからどの瞬間も無駄じゃなくって
それがどこかへと続く道。


 「未来をつくるワークショップ」で「過去に仲間と
未来について語った経験を思い出してください」
というのがあった。私としては ちょっと苦々しい気持ちを
かみしめながらも いつ という正確な一日ではなく
あのころエコリーグを真剣にやっていたころ
「仲間たち」 と 語っていたのを思い出す。
思い出してはいけないような だけどそれが
結局のところ 私にとっては大切で
捨てられない夢ではあるから あのときあそこで
語っていたこと それを思い出さないわけにもいかなかったから
なんだかはがゆい思いでそれを話した。


 エコリーグかあ、、、


 何とも言えない気持ちでこの一週間
今日が来るのを待っていたけど


 やってみたら 意外にもたくさんの人たちがきて
かなりびくびくしていた歌をうたうのも
はじめてみたら 誰かが肩をくみ出して
私はそれでうれしくなった そう あのときも
みんなで涙を流して歌っていたね?
そこで私は真ん中にいたから
今日というこのときくらい 少しくらいは
真ん中で歌わせてもらっていたっていいのかも
そんなことを思いながらも恥かしい気持ちは
一杯だったけど なんだかとっても嬉しくなった。

 場 というのも 想いを誰かに伝える事も
やってみたら よかっただとか よくないだとか
賛否両論あるだろう。批判すべきところも
反省点もあるわけだけど だけどないより
ある方がいい。だって そこで 何かが変わる人も
何かのきっかけとなる人も 反面教師にする人もいて
結局出発点になるわけだから。


 そんな場 で 何かが起こるようにするには
どうすればいいのだろうかと 最近感じた
フラストレーションなんかを私なりに見ていた結果
こんな結論にたどりつく。


 場にフラストレーションがたまるのは

1 時間が短すぎるとき
2 強制的に拘束されていると感じるとき
3 参加費用が高すぎるとき
4 つながりを生み出すしかけが用意されていないとき



1の場合は議論をしようにも深める時間が全くないのが
大きな原因で 待つことによって 立ちあらわれる
そんなものを待つという そういう余裕もない状況

2の場合はやらされてる感が強すぎる場合
「なんでこんなことしなきゃいけないの?」
「企画に参加する意味がわからない」という感情が生じる

3の場合は「なんで こんなに高いわけ!?」という
負の感情を生じさせるのに加えて、高額な程
「与えてもらってしかるべき」というお客様意識が
生まれていってしまう

4の場合は来てはみたけど一人でポツン、、、
結局孤独なままだわ、、という感じなときで


 これを逆手にとってみる と
なるほど!カフェで何かが生まれるわけだと思えてくる。
カフェの場合は

1 カフェに行く事自体が目的化されている場合
カフェについてみると意外と暇なので議論もできるし
何も起こらない間を待って過ごせる余裕もある

2 カフェはとにかく自分がしたければすればいいけど
したくなかったら自分の世界に入っていれば良い

3 カフェは400円くらいで3時間はいられる!
(3時間語るとだいぶ議論が深まる)

4 カフェのマスターが常連さんを紹介してくれる
もしくはアトラクターが誰かを紹介してくれれば
孤独におちいることはない


 ので かなり素晴らしい場の条件をみたしているのでは?

 と 私なりの考えでいけば
何かが生まれる場を人工的につくるには
その場をいかにカフェに近づけていくかなのかもしれません
そしてその秘訣を知るには?
いい参考書があります(笑)
『cafeから時代はつくられる』です!
http://www.amazon.co.jp/新版-Caf´eから時代は創られる-飯田-美樹/dp/4434132024

 とはいうものの、フラストレーションが爆発するとき
逆説的に何かが生まれるというのもまたしかり。
反発分子が一緒になって力強い行動を起こすこともあって
その繰り返しなのかもしれない。
だからどうであれ場というものは
ないよりあった方がいい!!

 それから今回学んだことは あまりに
空白感のありすぎのイベントの場合
「はあ?なにそれ?やる気あんの!?」と
思われてしまい 結局人が集まらないこともある
それがとっても難かしいところではある。
そう考えると2007年の「自主企画メインの
8G」はかなり大胆な試みだったんだなあと
今更ながらに気がつきます。


 今回は西村さん、小林こうえいさんはじめ
沢山の方のご支援、ご協力によって色んな事を学ぶことができました!
場をつくるって大変だけど やっぱり場があるって
とても大事なことだとおもいます。本当におつかれさまでした。
本を買ってくれた皆さんも本当にありがとうございました!
それでは京都に帰ります~

未来をつくるワクワク

2010年02月21日 |  カフェ的な場で考えたこと
 今日は「未来をつくるワークショップ」の2日目で
朝起きて機嫌のよかったれんちゃんにちょっと
パンを食べさせてから ごめんねー!といって
出ていって 帰ってきたら じいじに抱かれた
れんちゃんが まさに眠りについたとこだった。
というわけで子育てをして多分はじめて 
我が子を10分も抱いてなく 一時間も
接してないけど それなりに親子共々楽しい時間を
過ごせたようだ。


 私は朝の9時から東大に行き
期待をしていたカルロスさんという人の
おいしいコーヒーを飲ませてもらって目を覚まし
さーて今日は何が起こるのかなあと
どきどきしながら待っていた。


 今日の朝は はじめにグラフィックファシリテーターの
ゆにさんという方のお話をきき、彼女が描いた
漫画のような一日目の記録を見ながら
昨日は何がおこっていたのかをゆっくりと再確認した。
何が一番心に響きましたかーという質問があり
私は昨日でた「金太郎」の話がなんだかいいなと
思っていたので そこにふせんを貼付けてたら
参加者のうち二人しかあてられなかったというのに
何故か 私はそのうちの一人になって
皆のまえで どうしてそこに貼ったのか と
理由を話すことになる。


 何故かといえば 私は子育てをしているわけで
昨日のグループでの話し合いでは たくさんのとこから
「ありのままの自分」とか「殻をやぶった自分」とか
「赤子のように裸ん坊の自分」のような そんな言葉が
飛び出していて 赤ちゃんや子供の純粋さ
好きな物しか追求しない その姿って
みんな ちょっとうらやましくって 
そうなりたいと そう思ってもいるものなんだと
認識できて 驚いた。


 だけど私は子育てをして 育てるということは
今ある大人達のつくった社会にその赤子を
適用させることであるから どのくらい
それをやったらいいのか迷ってて
子供達をしつけて縛るだけではなくて
大人達こそ 子供から学ぶ事もあるんじゃないかと
考えていると そんな話をさせてもらった。


 それから今度はプロセスワークで
とこさんという方のデモンストレーションと
説明を受け 二人一組でワークをしてみた。
120年後の自分はどこでどう過ごしているのだろうか?
私はあまり時間はなかったけれど
アルプスの少女ハイジのような 山か丘で
木でできた小屋に住んで ゆっくりお茶を
楽しんでいる そんなイメージがわいてきた。


 さてそうこうしているうちにもうお昼になって
待ちにまったOSTで どうしようかな
私もレボキャンの話をするべきだろうか
どうしよう、、、と迷っていたけど
沢山の人が議題を出していたから
私もえいやっと レボキャンに関連しそうな議題を出した。


 さーどーなるかなあ でもとにもかくにも
お腹が減った!というわけで ちょっとこの人
面白そうだと思ってた人が「ご飯を食べながら
みんなでお話しましょう」という議題をだしていたから
それに行ってみることにした。


 そこでみんなで輪になりながら 自己紹介をしていると
ここで議題をだした人が「僕はグループオタクでねえ」と
変なことを言っていて その次の人が「それなら
紹介したいグループがあるんです。小学校時代に
体育が嫌いだった人たちでつくったフットサルの
グループなんです」と それについて説明を
しはじめた。その話はとても面白くて
私はとっても共感し あとでみんなの前で
「私も体育苦手だったんです!」とちょっと
カミングアウト(?)をしてみてしまった。


 するとその後 場がいったん解散の方向に
向かってからも その話に興味ある人たちが居残って
そこからそのまま議論になって 話題はどんどん
移っていった。勝ち負けの話、ルールは楽しむために
ある話、競争と協同の違いの話、協同といっても
何かしないといけないのか?そこに居るだけじゃ
だめなのか?そうしてあるとき話題がうつった。
「僕働くのを強制させられるのがすごく嫌なんだよね!」

 何のために働くのだろう?お金のためか?
お金って何のためにあるのだろうか?交換?
では物々交換では駄目なのか?もし食料や
エネルギーや教育や住居がほぼタダで手にはいったら?
その時何をするのだろうか
明らかに 働き方は変わるだろう、、、


 私たちのあまりにカフェ的なグループは
時に人が入れ替わりながらも議論に
夢中な4人くらいを中心にして 3時間以上
ひたすら議論しまくっていた。
それが私は楽しくて面白くて仕方なかった。
レボキャンでしたい話をすでにしてるじゃないか!
それがすごく嬉しくなった。


 さてそんな話が出そろったあと
サードプレイスと関連した話をしてたら
「東京にそんな場があったらいいね」という話になって
あとから加わった人たちと じゃあ宿泊型のカフェのある
ところだったら、、、 収益はこうやって
なんとかやっていけるかも?じゃあ誰がやるかですよね
みきさんやったら?子供もいるし ふわふわしてないから
信頼されますよ、、、、 え、、、ホント!?


 そーんなー 私京都に住んでいて旦那もいるのよ

 と思ったけれど これはかなり面白そうで
そりゃあそうで 私はまさにこんな場をつくりたいと
早稲田の時から思っていたし 計画書までつくったことが
あるわけで もう忘れていたし東京になんて高くて
住めないと思ってたけど なんだかとても楽しそう!!
こんな風にできるなら 都内にだって住めるのかしら
しかも家賃を少なくできて ラッシュにだってあわないし
みんなで集って 子育てもして なんだか
とても楽しそう!いーなー 実家も近いしなあ
東京はやっぱりワクワクするしなあ


 最後の最後に そんなイメージがふってきて
みきさんは適任だといわれて嬉しくなった
研究者か カフェをするのか 非常に迷うとこだけど
そんなの夢想にすぎないかもしれないけれど
なんだか面白そうだなー
旦那になんて言われるだろうか 
それだけが気がかりで ちょっと怖いから
先にブログに書いておこう。
そんなことができたらいいなあ
京都にいるより東京の方が 私はいきいきできそうで
せっかくだから わくわくできる
そんな未来を描きたい。

フランスに行くなら

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