「ワークショップで未来って創れるんですか?」
この企画をしている人に 私がしてみた質問は
このイベントに 参加してみた今日になっても
まだまだ答えはわからない。
「そもそも未来ってどうやって創るんですか?」
と私はまた 彼に質問を投げかけた。
そしたらそれがそのまま大きな問いとして残ったようで
「未来をつくるワークショップ」の今年のテーマは
「未来をつくるって何?」ということになったらしい。
さて ワークショップで未来はいったいつくれるの か?
今日はまだ一日目 で 明日は明日で京都のけんしゅう君が
OSTをがんばるらしく 妊娠中に京都で受けたOSTのイベントは
とっても素敵なものだったから 明日は明日で
きっと違う雰囲気になるのだろうなと思うけど
個人的には どうもワークショップに私は懐疑的。
今日は朝から 日本にコーチングというのを持ち込んだ
榎本さんという方のライフヒストリーを聞き
それはとっても面白くって とてもためになるお話だった。
彼の話で個人的に印象に残ったとこは
「気がついたら個人事業主になっていた」という話だったり
(その単語が私にとってあまりにもタイムリーで嬉しくなった)
「内なる声に耳をかたむける」というお話だったり
じゃあどんなのが内なる声なのかとか
彼が自分の事業を辞めて 北欧のエコビレッジで暮らしてみたけど
何も起こる事なく 次第に神様を恨み始めたということだったり
日本にかえってトランジション運動という
新たにエコビレッジをつくるのではなく
既存の街や都市を持続可能にしていくという運動は
とても興味深かった。
この人と少しでいいからお話したい!と思ったものの
榎本さんは忙しく お話が終わると次の予定へと行ってしまった
榎本さんが もっとカフェの魅力を知ったとしたら
どんなことを思うだろうか それに私は興味があった。
それからワールドカフェをして いろんな話を
したのだけれど あまり印象に残ってないなあ
もう何度もワールカフェを体験したけれど
やっぱり尻切れとんぼな感じがしてて
あまりにも時間が短く そこで切るかよ!という
タイミング で 「対話」はブッツリ切られてしまう
それって本当にどうなのかなあとワールドカフェをする度思う。
その後で 今度はAIというのをつかったワークショップで
二人一組でペアになり 計一時間 お互いに
インタビューをするのがあった。私たちは
素敵な会場の二階のデッキで 東大の風景や
樹々を眺めて 時折コーヒーを飲みながら
初対面の相手同士なのに なんだか沢山語ってしまった。
このインタビューはおもしろくって 聞かれる前には
想定もしていなかったようなこと が 口をついてでてくるようで
私も相手になった人 も お互いを深く知れたし
自分のことも思っていたより理解が進んで
なんだかとてもいい時間を過ごせた。
それはよかったんだけど
ワークショップは「はいじゃあこれやってくださーい」
というのが何度も続いて えー そんな
さっきこの人に話した事を いきなり皆の前で
共有すんの!?何それー なんでそんなに
プライバシーを多勢の前で予告もなしに
さらけださなきゃいけないんだろう?と思ってしまう。
その後のワークで それなりに は
面白いつながりだとか 自己肯定や
自分の本来の可能性に気づくことなど
それから自己実現に向かっていって
まわりの人も幸せにする そんなサイクルがみえてきて
そうやって みんなで一緒に頭をつかって考えて
何かが見えてきた瞬間は おもしろいなあと
思うのだけど なんだかなーあ
なんだか なんだな
ワークショップは どうしたって
やらされてる感が否めない。
ワークショップを使った方が
うまくいくこともあるけど
初対面の 見知らぬ人と いきなりワークをすることで
本当の共有認識なんて生まれるのかな?
現実に対する共有認識はあるかもしれない
仕事に毎朝いきたくないとか
でも未来に対して そこで出会ったばかりの人と
いきなり一緒にできるのだろうか?
エコリーグのGatheringで感じてきた問題意識が
ここでも時々私をおそって
なーんだ あそこでやってきたことと
たいして変わっていないのか。
それなら今更の認識だけど
あそこであの値段であの質で
分科会やらワークショップやら自主企画やらを
宿泊型でやっていた それってかなりすごいことなんだ
ようやくそれに ちょっと気づいた。
どうしてなのだか 私の参加態度が悪いのか
(ちゃんと参加してるつもりはあるのだけれど)
私の入ったグループは ワークショップやシェアリングをしても
そこまで盛り上がったこともなく そこから何かが立ちあらわれる!
そんな経験もしたことがない。それよりも
想いの強い誰かがそこにいることで
それに共鳴した人たちがぐーんと引き寄せられて
何かが起こる その方がよっぽど未来をつくっていくのだろうし
(逆にそんな経験は何度もしたことがある)
だからこそ 「企画」でもなく「ワーク」でもなく
本当の想いに基づき自分で計画することが
本当に必要なんだと思う
(たぶん明日のOSTはそんな場づくり)
未来をつくるって何なのだろうと思うけど
エコリーグの自主企画からは沢山の未来が生まれていった。
私のレボキャンもそうだったし たくさんの
イベントが生まれていった。 そんな思いのある人が
仲間を集めていけるような そんな場 が必要なのだれど
大切なのは想いであって 手法なわけではないんだな、、
カフェから時代が創られるのは
カフェには強制力も義務もないからで
本当に一緒にやりたい そう思った人だけが
参加すればいいわけで それだけの強い力が働いている
でもランダムに選ばれた人が一緒にワークをしてっても
(同じ会社で同じ目標とかじゃないなら)
なんだか微妙な気がするなー
夢は誰と描くんだろう?
見知らぬ人と 夢想するより
あの人となら面白そう!と思える人と
Hou can we do it?と考える方が
私にとってはワクワク度はよっぽど高くて
ちょっと無理かも でもあの人となら
あの人がOKと言ってくれるなら
こんなことすらできちゃうような
そうやって夢を描いていくのは
とってもワクワクすることだ。
榎本さんは「僕も今から未来を
つくりに行ってきます」と言って会場を後にした。
私も東京にいるのもいいけど 洛西で
ちゃんと未来をつくるため に
カフェの人たちと何かを練るのも
大事な時間なんだよな、、、
(さすがに東京に来過ぎです!)
誰と?どんな?どこで?未来をつくるのだろう
一年後?私はどこにいるのだろう
フランスに居られたらわくわくしそう!と
言っていたけど そんな風になるだろうか
明日は何が起こるのだろう
もっとワクワクできるといいな。
明日も朝から行ってきます。
この企画をしている人に 私がしてみた質問は
このイベントに 参加してみた今日になっても
まだまだ答えはわからない。
「そもそも未来ってどうやって創るんですか?」
と私はまた 彼に質問を投げかけた。
そしたらそれがそのまま大きな問いとして残ったようで
「未来をつくるワークショップ」の今年のテーマは
「未来をつくるって何?」ということになったらしい。
さて ワークショップで未来はいったいつくれるの か?
今日はまだ一日目 で 明日は明日で京都のけんしゅう君が
OSTをがんばるらしく 妊娠中に京都で受けたOSTのイベントは
とっても素敵なものだったから 明日は明日で
きっと違う雰囲気になるのだろうなと思うけど
個人的には どうもワークショップに私は懐疑的。
今日は朝から 日本にコーチングというのを持ち込んだ
榎本さんという方のライフヒストリーを聞き
それはとっても面白くって とてもためになるお話だった。
彼の話で個人的に印象に残ったとこは
「気がついたら個人事業主になっていた」という話だったり
(その単語が私にとってあまりにもタイムリーで嬉しくなった)
「内なる声に耳をかたむける」というお話だったり
じゃあどんなのが内なる声なのかとか
彼が自分の事業を辞めて 北欧のエコビレッジで暮らしてみたけど
何も起こる事なく 次第に神様を恨み始めたということだったり
日本にかえってトランジション運動という
新たにエコビレッジをつくるのではなく
既存の街や都市を持続可能にしていくという運動は
とても興味深かった。
この人と少しでいいからお話したい!と思ったものの
榎本さんは忙しく お話が終わると次の予定へと行ってしまった
榎本さんが もっとカフェの魅力を知ったとしたら
どんなことを思うだろうか それに私は興味があった。
それからワールドカフェをして いろんな話を
したのだけれど あまり印象に残ってないなあ
もう何度もワールカフェを体験したけれど
やっぱり尻切れとんぼな感じがしてて
あまりにも時間が短く そこで切るかよ!という
タイミング で 「対話」はブッツリ切られてしまう
それって本当にどうなのかなあとワールドカフェをする度思う。
その後で 今度はAIというのをつかったワークショップで
二人一組でペアになり 計一時間 お互いに
インタビューをするのがあった。私たちは
素敵な会場の二階のデッキで 東大の風景や
樹々を眺めて 時折コーヒーを飲みながら
初対面の相手同士なのに なんだか沢山語ってしまった。
このインタビューはおもしろくって 聞かれる前には
想定もしていなかったようなこと が 口をついてでてくるようで
私も相手になった人 も お互いを深く知れたし
自分のことも思っていたより理解が進んで
なんだかとてもいい時間を過ごせた。
それはよかったんだけど
ワークショップは「はいじゃあこれやってくださーい」
というのが何度も続いて えー そんな
さっきこの人に話した事を いきなり皆の前で
共有すんの!?何それー なんでそんなに
プライバシーを多勢の前で予告もなしに
さらけださなきゃいけないんだろう?と思ってしまう。
その後のワークで それなりに は
面白いつながりだとか 自己肯定や
自分の本来の可能性に気づくことなど
それから自己実現に向かっていって
まわりの人も幸せにする そんなサイクルがみえてきて
そうやって みんなで一緒に頭をつかって考えて
何かが見えてきた瞬間は おもしろいなあと
思うのだけど なんだかなーあ
なんだか なんだな
ワークショップは どうしたって
やらされてる感が否めない。
ワークショップを使った方が
うまくいくこともあるけど
初対面の 見知らぬ人と いきなりワークをすることで
本当の共有認識なんて生まれるのかな?
現実に対する共有認識はあるかもしれない
仕事に毎朝いきたくないとか
でも未来に対して そこで出会ったばかりの人と
いきなり一緒にできるのだろうか?
エコリーグのGatheringで感じてきた問題意識が
ここでも時々私をおそって
なーんだ あそこでやってきたことと
たいして変わっていないのか。
それなら今更の認識だけど
あそこであの値段であの質で
分科会やらワークショップやら自主企画やらを
宿泊型でやっていた それってかなりすごいことなんだ
ようやくそれに ちょっと気づいた。
どうしてなのだか 私の参加態度が悪いのか
(ちゃんと参加してるつもりはあるのだけれど)
私の入ったグループは ワークショップやシェアリングをしても
そこまで盛り上がったこともなく そこから何かが立ちあらわれる!
そんな経験もしたことがない。それよりも
想いの強い誰かがそこにいることで
それに共鳴した人たちがぐーんと引き寄せられて
何かが起こる その方がよっぽど未来をつくっていくのだろうし
(逆にそんな経験は何度もしたことがある)
だからこそ 「企画」でもなく「ワーク」でもなく
本当の想いに基づき自分で計画することが
本当に必要なんだと思う
(たぶん明日のOSTはそんな場づくり)
未来をつくるって何なのだろうと思うけど
エコリーグの自主企画からは沢山の未来が生まれていった。
私のレボキャンもそうだったし たくさんの
イベントが生まれていった。 そんな思いのある人が
仲間を集めていけるような そんな場 が必要なのだれど
大切なのは想いであって 手法なわけではないんだな、、
カフェから時代が創られるのは
カフェには強制力も義務もないからで
本当に一緒にやりたい そう思った人だけが
参加すればいいわけで それだけの強い力が働いている
でもランダムに選ばれた人が一緒にワークをしてっても
(同じ会社で同じ目標とかじゃないなら)
なんだか微妙な気がするなー
夢は誰と描くんだろう?
見知らぬ人と 夢想するより
あの人となら面白そう!と思える人と
Hou can we do it?と考える方が
私にとってはワクワク度はよっぽど高くて
ちょっと無理かも でもあの人となら
あの人がOKと言ってくれるなら
こんなことすらできちゃうような
そうやって夢を描いていくのは
とってもワクワクすることだ。
榎本さんは「僕も今から未来を
つくりに行ってきます」と言って会場を後にした。
私も東京にいるのもいいけど 洛西で
ちゃんと未来をつくるため に
カフェの人たちと何かを練るのも
大事な時間なんだよな、、、
(さすがに東京に来過ぎです!)
誰と?どんな?どこで?未来をつくるのだろう
一年後?私はどこにいるのだろう
フランスに居られたらわくわくしそう!と
言っていたけど そんな風になるだろうか
明日は何が起こるのだろう
もっとワクワクできるといいな。
明日も朝から行ってきます。