北大ボートblog

北大ボート部部員によるほぼ定期更新ブログ。

リラックス

2012-12-11 23:09:27 | 日記
今日二回目の投稿になります。
的場ですこんばんは皆様。

明日は更新できそうにないので、今日もういっかい書きます。

リラックスして、すべてを行えると理想的だなと、常に思っております。
きついメニューもリラックスしてれば、割かし体はもつと、
体は言っている気がします。


エルゴも、ウェイトも、ランも、あらゆるスポーツにおいて、またデスクワークでもリラックスしていると、アイディアが出やすいのではないでしょうか。

追い込むこととリラックスは切り離せない、表裏一体のものだと自分は思います。

ウェイトでも、重い重量を上げれたらすばらしいが、体を壊しては意味がありません。

勉強に関しても同じように思います。

というのは、何かを覚えるときなどは、自分は関連付けて覚えようとするからです。

その時脳みそはリラックスしていると思います。




いや、今この瞬間もゆる体操してます笑

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時間

2012-12-11 08:46:22 | 日記
おはようございます。

三年目の的場です。

今回のお題ですが、時間について書きたいと思っています。


時間は、人が何をしようが、しなかろうが確実に過ぎていく。
しかも、正確に同じリズムを刻み続ける。

形容するなら、いつまでも同じ動きをし続けるという意味で、壊れることのない機械と言えるだろう。

その中を生きている。


人間はいつでも正確である時間を、長く感じたり、逆に短く感じたりすることがある。




それは、楽しいときは早く過ぎるように感じ、つまらないときや、苦しいときは遅いと感じることがあるように。

そこから伺えることは、

人間には、時間と同じような”正確さ”を持つことはできない。と同時に、その崩れることのない正確さが持つ”冷酷さ”を持つこともない。ここで冷酷さの対義語を調べてみると、”温厚”というのがでてきた。

何故自分が正確であることが冷酷であることと同義だと思ったのかというと、時間には、人が持っている情は存在しない、しえないと思ったからだ。
時間と比べると、正確であることという点において、人間(他の動物も)はまさしく”温厚”であると思う。


冷酷な時が、温厚な人を待つことはない。

結論として、時は決して人を待っていてくれることがないということ(当たり前ですね)
そこに人間の感情が入り込む隙間は微塵もないということを言いたいです。



だからこの時を自分の満足できる形で過ごし続ける。
この一瞬も、次の一瞬も、その過ごしかたが自分にとって、本当にとってのベストを追求して過ごすことが、
人生において重要になってくるなとふと今朝思いました。




読んでくださったかたありがとうございました








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