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語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【小林照幸】続・宝飾品を大衆化した男 ~新しい事業モデルの開発~

2016年03月25日 | ノンフィクション
 (4)大久保利春の経営哲学。
 『宝石と男』を著した小林照幸はいう。生前にぜひとも一度お目にかかりたかった・・・・。それだけの魅力をもつ経営者だったらしい。
 進取の気象は、商品の陳列にも見られる。

 1962年、東京都立川市の中武デパート(現・フロム中武)に立川店を出店した。チェーンストアの第一歩である。
 時計や宝飾品を陳列するには、箱型のガラスショーケースがいる。サイズはさまざま、型も長方形があれば正方形もある。壁に沿う格好で置いたり、門のように置いて店舗の入り口を確保することになるが、それだけで40坪が収まるわけではない。店舗の中にもガラスショーケースを配置する。
 大久保は、客はどう歩いて店内を見てくれるか、をあれこれと思案した。そして、まず何よりも肝心なことは客の安全だ、と気づいた。大久保が気になったのは、店内の真ん中に置くことになるガラスショーケースだった。四隅は鋭利だ。当たると痛い。もし人が倒れて体をぶつけでもしたら大怪我につながりかねない。とすれば、四隅を削ればよいが、安全性は確保できても、そのガラスショーケースに腕時計や宝飾品を入れて、客が鑑賞するように見てくれるだろうか。
 こう考えたあげく、楕円形のガラスショーケースを業者に発注した。普通のガラスショーケースの倍に近い費用がかかった。立川の店舗に置くと、空間的にやや手狭に感じられた。一回り、二回り小さくすればよいか、と思えなくもない。平行する直線のある程度の長さがないと、楕円形ならば見た目にも優れたものとは言いにくい。楕円形のショーケースを見てからほかの商品を見る、ということからも、注目度を大久保は確認できた。客の目で見て、大久保はハタと気づいた。ショーケースの中の商品が回転していたら楽しいだろう。動きがあれば、人はより注目するはず。
 ここで、次のアイデアが浮かんできた。ガラスショーケースを円型にしたら、おしゃれではあるまいか。楕円形のショーケースでは、「客動線」が鈍るような気がする。中の商品を1分間に1回転させるよう伝導で動くようにすれば、いけるんじゃないか。
 客の安全確保の試行錯誤から、円型ガラスショーケースのアイデアが生まれた。
 制作費は、普通の従来のガラスショーケースの3倍ではきかない。蛍光灯も通常の直線の蛍光灯というわけにはいかない。曲線の蛍光灯を特別注文で発注した。円型ショーケースの中の電動仕掛けも業者とあれこれ相談した。
 円型ショーケースは新鮮で、訪れる人の目をひいた。指環や金製品は蛍光灯の光をあびて、キラキラッと輝く。歓声をあげる客も少なくなかった。
 大久保が考案した円型ガラスショーケースもオープンフロア形式も、業界では当然のように模倣された。大久保は、真似てもらうのはむしろ光栄だ、と受けとめた。

 (5)広告も奇抜にして大胆。
 1964年12月に横浜に出店を開く前、10月1日から横浜駅西口に乗り入れるバス200台、各私鉄に広告した。
  <宝石・時計のお買い物は
   12月までストップ
   日本一を目指す オオクボ ダイヤモンド地下街進出>
 そして、<全商品5割引きセール! ただし、抽選により・・・・>。
 効果はてきめんだった。「ストップの店」の名は、またたくまに広まった。
 開店すると、オパールの原石を研磨する工程の実演に、商店街を歩く人は歩みをとめて見入った。世界の宝石を展示し、客が実際に指にはめてみる、首にかけてみる、という試みには、口コミもあって、連日多数の人が押しよせた。
 東京オリンピック開催中は、朝日新聞社の協力を得て毎朝、店のショーウィンドウに速報版を掲示した。連日黒山のひとだかりができた。
 ところで、先の広告は、じつは大久保夫人佐代子のアイデアだった。
 「女房に惚れ、地域に惚れ、商売に惚れろ」
 大久保の哲学、人生訓である。なによりも身近な細君の理解、協力がなければ商人としてやっていけない。細君が語ることにも耳を傾け、よいと判断したことは商売に反映させた。

 (6)大久保は、十代にして、すでに陋習を断ち切る意思と進取の気象に富んでいたらしい。
 丁稚奉公時代の自戒は(1)に記した。自分が嫌だと思う仕事は、やらせられる者にも嫌なはずだ、自分が経営者になったときには、従業員には絶対にこんなことはさせたくない・・・・。
 これは、1930年前後において、農村出身者としては珍しい反応だ。きだ みのるは『にっぽん』で変則的な報復主義 loi de talion を指摘している。食糧飢饉のひどい年にジャガイモを盗まれた農民が、「盗んだ奴は誰か解らねえが、おらでねえことは確かだ。そしておれ以外の者であることも確かだ。そんならおれ以外の者の畑から盗み返してやるべえ。そうしねえじゃあ腹の虫が納まらねえや」。
 あるいは、「今日自転車で山に仕事に行ってよ、日暮れし方に山を降りていざ帰るべえと思ったら、自転車の空気がぬけてるじゃねえか。よく調べてみたら誰か鎌でタイヤをひっかけチューブまで切ったんだわ。さあ口惜しくって頭がカッカとして法はねえのよ。自転車をひきひき戻る途中でよ、道に置いてあった誰かの自転車のタイヤを見ると口惜しまぎれに鎌でひっかけ空気のぬける音を聞いたらすうっと気分がおさまったよ」。
 もっとも、きだの引く事例と大久保の場合とは、若干異なる。きだの場合、犯人が解らないので他人即ち社会に対して報復するのだ。「これは『口惜しさ』をしずめ、ゆがめられた感情の平衡を取りもどすため普通に行われる的方法のように見える」と、きだは解説する。大久保の場合、「犯人」は主人に特定されていた。
 しかし、「犯人」が特定される場合でも悪しき連鎖は起きる。旧日本軍では、上官にビンタをはられた二等兵は、後に階級が上がると部下にビンタをふるった。戦後も、企業のなかで上司の無理難題に耐えた若者が、出世の階段をのぼるにつれて部下に無理難題を平然と押しつけた。

 (7)こうした大久保だから、早くから社員教育に取り組んだのも首肯できる。
 1964年、社員70人規模の会社としては、当時異例の「教育課」を設置した(後に「教育人事課」となる)。社員教育を徹底的に体系化しようとしたのだ。
 時々刻々変化する商品の傾向を把握し、先を読み、さらには客の思考をつかんでいくことも社員教育に含まれる。
 必要なときにすぐ役立つものではない。継続し、常に“これでいいのか?”と問いながらやっていく。何年先に答が出るかわからない試みを社内に取り入れた。
 社員教育は、内定者から始めた。高卒社員は九州を主体に採用したのだが、これは素直で真面目、という印象が大久保にあったからだ。夏休みの頃に、鹿児島県を中心に各地で現地説明会と採用試験を開催した。仕事内容を説明し、これはと見こんだ者に内定をだす。翌春の上京までに本社教育課から「入社前通信教育」をおこなうのだ。これは、家族にとっても、子どもたちが将来務める会社のことを知るよすがになる。入社後は、各店舗で先輩がマンツーマンでコーチした。かくて、定着率は100%という珍しい数値が実現した。
 新しい社員教育の方法も開発した。どんな客が来て応対できるように、ロールプレイイング形式で学ぶのだ。5人前後でチームをつくり、長所を指摘する係、欠点を指摘する係を一人ずつ置いて、残り3人が店員、客の役割をはたす。文句をいうわがままな客の役も大切で、どう応対できたか、などを採点し、考える。当時では珍しい試みで、NHK教育テレビや民放のテレビ番組で紹介された。
 肩書きのない若い職員たちで「経営研究会」を発足させることも行った。彼らの希望やしかるべき方策について遠慮なく意見をだしてもらい、経営に反映させるのだ。併せて、「持ち株」も導入した。

□小林照幸『宝石と男 -商業史発掘ノンフィクション-』(商業界、2005)
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 【参考】
【小林照幸】宝飾品を大衆化した男、大久保利春 ~一代で百以上の店舗を実現~


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