語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【小川国夫】『生のさ中に』 ~醇乎たる言語空間~

2016年08月28日 | 小説・戯曲

 古い倉庫を始末し、新しく設置した際、古い倉庫から出てきた本の一。以下、刊行当時の所見。

 (1)『アポロンの島』に続く第2作品集。
 所収の23の短編は全編自伝的作品と呼んでよいが、大きく分けると、静岡を舞台にした少年時代と海外を舞台にした紀行の二つ。量的には後者が多い。海外は具体的にはイタリア、ギリシア、北アフリカである。

 (2)後記にいわく、
 <私は日本語の椅子と西洋の椅子が似て非なるものだということを知っている。日本語の会話の味わいとフランス語の会話の味わいが全く違うということも、若干知っている。しかし私は、これらの截然とした相違を作品の中で説明することを、自分に許そうとはしなかった。許さないことによって、私は自分の作品の形をうち樹てようとした。森有正氏のいう、犬とchienとは別物だという認識は、私に目を開かせるものがあった。そして私は、これほど異質な人間と言葉と風物と交流したことを、直接な表現として、日本語の伝統の中に探ろうとしていることを意識した>

 (3)すなわち、本書に収録された紀行は、「果て知れない間口と奥行を持った」ヨーロッパを日本語で描く試みである。採用した「日本語の伝統」は、特に志賀直哉である。
 たとえば「スパルタ」における次の段落。
 <曇ったり晴れたりした一日だったが、太陽のありかはいつも判った。そして、太陽は大方行く手にあったのだから、トリポリを過ぎて南へ走っていた時に、起こったことだったろう。バスが停留所で止まると、運転手がまっ先に下りて行ってしまった。すると、口髭を立てた、太った車掌が乗客になにか告げた。命令する口調だった。その直後の乗客たちの反応を見て、浩は、しばらく休憩、の意味だろうと察した。休憩は十分くらいだろう、と彼は、解らないのに、一人決めした>
 このように簡潔にして剛毅、簡勁な文体で、小川国夫は醇乎たる言語空間を織りあげた。

□小川国夫『生のさ中に』(審美社、1967/のちに講談社文庫、1978)
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