古い倉庫を始末し、新しく設置した際、古い倉庫から出てきた本の一。
百鬼園内田栄造は明治22年生、昭和46年没。百閒は、郷里岡山の百間川にちなむ俳号である。
阿房はアホーではない。由緒正しい秦の始皇帝の阿房宮に典拠をもつ。しかし、なんにも用事がないのに汽車に乗り、揺られ揺られて列島をめぐり、宿に泊まってはしたたか飲んで飲みつぶれて、名所見物もしないで帰ってくる。そんな話ばかりが延々と続くから、やっぱりアホー列車か。
要するに、本書は見事になかみがない。徹頭徹尾語り口で、というか百鬼園先生の畸人ぶりで読ませる。偏屈を故意に前面に押し出して笑いを誘う点で、百閒の師、漱石の『吾輩は猫である』のユーモア文学の系譜をひく。ただし、『猫』は明治の知識人(または高等遊民)のあり余る無用の知識の放電に面白みがあるが、『阿房列車』の場合、その面白みは知より情、百閒の偏屈ぶりによるところが大きい。漱石が知識人を実用の観点から相対化したのに対して、百閒は知識人を偏屈によって相対化した。
偏屈な人は醒めた人である。
<これから途中泊まりを重ねて鹿児島まで行き、八日か九日しなければ東京へ帰つて来ない。この景色とも一寸お別れだと考へて見ようとしたが、すぐに、さう云ふ感慨は成立しない事に気がついた。なぜと云ふに私は滅多にこんな所へ出て来た事がない。銀座のネオンサインを見るのは、一年に一二度あるかないかと云ふ始末である。暫しの別れも何もあつたものではないだろう>
醒めた人は、酔えば酔いにまかせて酔狂に至る。
<「そら、こんこん云つてゐる」
酔つた機(はづ)みで口から出まかせを云つたら、途端にどこかで、こんこんと云つた。
「おや、何の音だらう」
「音ぢやありませんよ。狐が鳴いたのです」
山系が意地の悪い、狐の様な顔をした>
ヒマラヤ山系こと平山三郎は国鉄本社職員(当時)で、百鬼園先生の気まぐれに毎回辛抱強くつきあった有徳の士。寡黙で動かざること山の如く、百閒記す阿房列車の中ではちっとも活動しないのだが、ドン・キホーテにはサンチョ・パンサ、百鬼園先生には山系君という関係は衆目の見るところ、十手の指すところ。「山系は行きたいのか、いやなのか、例に依つてその意向はわからない」茫洋たる人物だが、彼が記録した『実録阿房列車先生』ほかが有能なサンチョ・パンサであったことを示している。
□内田百閒『阿房列車』(旺文社文庫、1979、重版1984)
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【参考】
「【言葉】いやだからいやだ」