語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

書評:『眠れない時代』

2016年05月11日 | ノンフィクション
 1950年2月、ジョセフ・レイモンド・マッカーシー上院議員は国務省職員205人を共産主義者として告発した。以後、1954年の暮れまで、告発対象者を陸軍、マスコミ、映画、大学、ニューディーラーの各界の関係者にひろげ、審問にあたっては自白、密告、偽証、協力者のリスト提出を人々に強要し、事実を歪曲しては米国全土を恐怖におとしいれた。 
 いわゆるマッカーシー旋風、アカ狩りである。

 1952年、非米活動調査委員会による第2次喚問がおこなわれた。
 戯曲家リリアン・ヘルマンも呼び出された一人である。
 前年に喚問された者に、リリアンの夫、ダシール・ハメットがいた。『マルタの鷹』ほかのハードボイルドで、今なお、日本でもファンの多い作家である。
 ダシールは、党との関係を認め、入獄した。出獄してから死ぬまでの10年間は、無収入であった。

 リリアンたち被喚問者は、前年の審問会をまのあたりにしていたから、失職、社会的地位の喪失も覚悟していた。
 委員たちの高圧的にして一方的な追求に対して、筋をとおすには勇気がいる。
 じじつ、喚問された者の大部分は屈した。
 映画界では、たとえば、美男子として名高い俳優ロバート・テイラーは、委員会側の「友好的な証人」となり、委員会に迎合して自分の意見をねじ曲げ、はては3人の脚本家を売った。
 たとえばまた、脚本家にして『エデンの東』ほかの映画監督エリア・カザンは、40名の友人を引き渡した。

 リリアンは、過去の言動や交際していた人々の顔ぶれからして、夫と同じ裁定がくだされる可能性が高かった。
 リリアンは、夫ダシールと異なって、党との関係はなかった。そう証言し、自分が知る党員の名をあげれば追求をまぬがれることはわかっていた。
 しかし、リリアンは、他の人を陥れることで自分自身の「潔白」を証明するつもりはなかった。
 「良心を今年の流行に合わせて裁断することはできない」

 毅然たる性格が危機を乗り越えさせた。
 「自分については語ろう。しかし他の人への言及を要求されるならば憲法修正第5条を援用する」と、事前に委員会へ書簡を送ったのだ。
 弁護士は、機敏にうごいた。取材中の新聞記者へ書簡のコピーをばらまいたのである。世論を味方につける作戦である。
 リリアンは無傷で審問会をやり過ごした。
 この対抗方法は、後に続く者の導きの糸となる。
 トニー賞、ピュリッツァー賞受賞の劇作家アーサー・ミラーも、リリアンにみならった一人である。

 1991年、映画『真実の瞬間』が公開された。
 アカ狩りにあった主人公の映画監督(ロバート・デ・ニーロ)は、職も友人もつぎつぎに失うのだが、審問会の席上、友人の名を売ることを断固として拒む。
 リリアンの抵抗がここにも引き継がれている。
 『真実の瞬間』は、映画の町ハリウッドの、映画による、いささか遅すぎた自己批判である。

□リリアン・ヘルマン(小池美佐子訳)『眠れない時代』(サンリオ文庫、1985、後にちくま文庫、1989)
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