佐賀の中心部に浄土真宗本願寺派の佐賀の本山的役割を果たしてこられたお寺として願正寺さんがあります。
生まれが佐賀んもん(佐賀の者)でなく、その上、無知の私ですから、ようやく最近になって、「へ~、そうなんだ」と知ったこと。
佐賀市が出している「佐賀城下みて歩き」福岡博先生著 によると
鍋島藩は関ヶ原の戦いのとき、西軍に加わり窮地に立った。その時、西本願寺の准如上人の斡旋によって危機を脱し、36万石をとりとめた。鍋島氏は西本願寺に報いるために願正寺を建立して特別に保護した。旧藩時代には仮本陣がここにおかれたり、幕末には志士たちの集まり場になったりしてよく歴史に登場した。
と、あります。
旧鍋島藩下の浄土真宗の寺は全部 本願寺派(西本願寺)に属しているそうですが(もちろん佐賀には、他宗派のお寺もたくさんありますが)、同じ真宗でも大谷派(東本願寺)のお寺がなく、みんな西本願寺の末寺ということは、こういう理由だったからか・・・と、妙に納得したのであります。
生まれが佐賀んもん(佐賀の者)でなく、その上、無知の私ですから、ようやく最近になって、「へ~、そうなんだ」と知ったこと。
佐賀市が出している「佐賀城下みて歩き」福岡博先生著 によると
鍋島藩は関ヶ原の戦いのとき、西軍に加わり窮地に立った。その時、西本願寺の准如上人の斡旋によって危機を脱し、36万石をとりとめた。鍋島氏は西本願寺に報いるために願正寺を建立して特別に保護した。旧藩時代には仮本陣がここにおかれたり、幕末には志士たちの集まり場になったりしてよく歴史に登場した。
と、あります。
旧鍋島藩下の浄土真宗の寺は全部 本願寺派(西本願寺)に属しているそうですが(もちろん佐賀には、他宗派のお寺もたくさんありますが)、同じ真宗でも大谷派(東本願寺)のお寺がなく、みんな西本願寺の末寺ということは、こういう理由だったからか・・・と、妙に納得したのであります。
福岡先生は、鍋島藩が西本願寺の恩に報いた・・ということしか記されていませんでしたが・・・
へえ~・・・そういうことがあったのですね。
そういえば、久留米方面には、逆に西本願寺の寺院がほとんどないそうですね。
筑後川をはさんで、立花氏の柳川藩(ですよね?)は逆に東本願寺の寺院を優遇されたということでしょうか。おもしろいですね。
鍋島藩は 領内の東本願寺系のお寺を
冷遇し 結局は隣藩に出ていかざるを
得なくしたようです。
その報復か 隣の藩は 西本願寺系の
寺院を 追い出し、筑後川を境に
元は 佐賀にあったが、今はという
東本願寺系と、佐賀側には
元は柳川、大川だったという
西本願寺系の寺院があると
聞きましたが、確認していません。
鍋島藩下の浄土真宗寺院の歴史・・・おもしろいですよね。
大谷派のお寺を見ないなぁとは思ってたんですが、
そういうことだったんですね。
勉強になりました。