きょうは晴れたものの、強風のため、バルーン競技は中止になりました。
さて、法語カレンダー11月の言葉は
信心の智慧に
いりてこそ
仏恩報ずる
身とはなれ
英訳は、こう書かれています。
It is by entering the wisdom of the entrusting heart that we become persons who respond in gratitude to the Buddha`s benevolence.
親鸞聖人の 「正像末和讃」より (『註釈版聖典』606p)
釈迦、弥陀の慈悲よりぞ 願作仏心は えしめたる
信心の智慧に いりてこそ 仏恩報ずる身とは なれ
の後半部分です。
現代語訳は、下関の光明寺様のHP(11月1日)より、勝手ながら、引用ご紹介させていただきますと
釈尊、阿弥陀仏の慈悲により、
仏になろうと願う心、すなわち願作仏心(がんさぶっしん)を得させていただいた。
信心の智慧を得ることで はじめて 阿弥陀仏のご恩に報いる身となるのである。
世間において、身近なことでふりかえっても、自分の思いで、いっぱい(自己中心のかたまり)になっている時は
他者のお陰や他者の辛抱が見えず、怒りと文句と愚痴しか出てきません。
でも、そんな私をも、仏にしたい と願ってくださる阿弥陀さま。
そのお心を拝受したら、申し訳なさと、もったいなさで、せめて、ちょっぴり、ほんの少しでも、ご恩に報いる生活をさせていただこうと思います。何~も、大したことできませんけど。
さて、法語カレンダー11月の言葉は
信心の智慧に
いりてこそ
仏恩報ずる
身とはなれ
英訳は、こう書かれています。
It is by entering the wisdom of the entrusting heart that we become persons who respond in gratitude to the Buddha`s benevolence.
親鸞聖人の 「正像末和讃」より (『註釈版聖典』606p)
釈迦、弥陀の慈悲よりぞ 願作仏心は えしめたる
信心の智慧に いりてこそ 仏恩報ずる身とは なれ
の後半部分です。
現代語訳は、下関の光明寺様のHP(11月1日)より、勝手ながら、引用ご紹介させていただきますと
釈尊、阿弥陀仏の慈悲により、
仏になろうと願う心、すなわち願作仏心(がんさぶっしん)を得させていただいた。
信心の智慧を得ることで はじめて 阿弥陀仏のご恩に報いる身となるのである。
世間において、身近なことでふりかえっても、自分の思いで、いっぱい(自己中心のかたまり)になっている時は
他者のお陰や他者の辛抱が見えず、怒りと文句と愚痴しか出てきません。
でも、そんな私をも、仏にしたい と願ってくださる阿弥陀さま。
そのお心を拝受したら、申し訳なさと、もったいなさで、せめて、ちょっぴり、ほんの少しでも、ご恩に報いる生活をさせていただこうと思います。何~も、大したことできませんけど。