所用にて、22,23日1泊で京都に行ってきました。
22日はフリーでしたので、洛北の臨済宗南禅寺派のお寺、円光寺さんへ。
円光寺の開山・三要元佶禅師は、佐賀の小城出身(今の住所で言えば、佐賀県小城市出身)で、徳川家康の腹心であった方です。
関ヶ原で豊臣側だった佐賀・鍋島藩ですが、三要元佶禅師が、徳川家康に取りなしてくださったとのことです。
今春、円光寺の住職に就任されたO師は、夫の親友(高校同級生)。
O師は、長く東京の企業で活躍なさっておられた方です。
そのO氏が、何年もの、きびしい修行を経て、禅宗の僧侶になられ、
このたび、円光寺ご住職に
ちなみに先代のご住職も佐賀のご出身であり、O氏を見込んでの継職であったようです。
急に思い立って訪れたにもかかわらず、O師自ら、境内をご案内くださり、庫裏で美味しいお抹茶までいただき、恐縮いたしました。
ちょうど、紅葉の季節。連休前の平日でしたが、たくさんの観光客で、にぎわっておりました。
円光寺は、詩仙堂のすぐ近く。京都市バス5番に乗って、一乗寺下がり松(宮本武蔵の石碑もあります)で下車。歩いて数分のところです。
すぐ近くには、本願寺北山別院もあります。
22日はフリーでしたので、洛北の臨済宗南禅寺派のお寺、円光寺さんへ。
円光寺の開山・三要元佶禅師は、佐賀の小城出身(今の住所で言えば、佐賀県小城市出身)で、徳川家康の腹心であった方です。
関ヶ原で豊臣側だった佐賀・鍋島藩ですが、三要元佶禅師が、徳川家康に取りなしてくださったとのことです。
今春、円光寺の住職に就任されたO師は、夫の親友(高校同級生)。
O師は、長く東京の企業で活躍なさっておられた方です。
そのO氏が、何年もの、きびしい修行を経て、禅宗の僧侶になられ、
このたび、円光寺ご住職に
ちなみに先代のご住職も佐賀のご出身であり、O氏を見込んでの継職であったようです。
急に思い立って訪れたにもかかわらず、O師自ら、境内をご案内くださり、庫裏で美味しいお抹茶までいただき、恐縮いたしました。
ちょうど、紅葉の季節。連休前の平日でしたが、たくさんの観光客で、にぎわっておりました。
円光寺は、詩仙堂のすぐ近く。京都市バス5番に乗って、一乗寺下がり松(宮本武蔵の石碑もあります)で下車。歩いて数分のところです。
すぐ近くには、本願寺北山別院もあります。