70年代後半、女性映画ブームというのがあって、ウディ・アレンの「アニー・ホール」、やはりダイアン・キートンが主演した「ミスター・グッドバーを探して」、アニエス・ヴァルダの「歌う女・歌わない女」など、意識的な、自立した女性を描いて人気を集めていた。
そのなかの一本「結婚しない女」はジル・クレイバーグが主演したポール・マザースキー(名作「ハリーとトント」の監督)作品。
原題はAn Unmarried Womanだから、直訳すればどうしたって「結婚していない女」だし、ヒロインは結婚しないのではなくて、16年も連れ添った夫にいきなり捨てられるシーンから始まるので「結婚しない女」というタイトルは明らかに違っている。違ってはいるけども、その意志的な部分でヒットしたと興行関係では語られていた。配給の20世紀FOXはうまい商売をしたと。
つまり40年近く前は、結婚を自らの意志でしない女性はかっこよかったわけだ。逆に言えば、それまで意志的な未婚に意味づけがなされていなかったということでしょう?
田舎の親は早く結婚しろとうるさいし、三十をこえて未婚だと世間も変な目で見る。なにより、自分が“結婚できない”のではなく“結婚することに意義が見いだせない”のを認めてもらえないフラストレーションが、特に都会に住む女性たちには横溢していたから女性映画ブームにつながったのだと思う。
もちろん、十代の若僧にそんな意義が理解できるはずもなく、なんか、めんどくさい映画が多くなったなあ程度の認識。いま思えばね。
この映画から十年後、わたしと結婚した女性はまさしく「結婚するつもりはないの」と広言していたし、事故のような形でいいかげんな年下の男と出会わなければ、いまでも独身を通していたかもしれない。配偶者として、なんかそんな気がする。そんなタイプ。
じゃあ男性のほうはどうなんだろう。女性が結婚しないのは一種のマニフェストとして認められているようだが(甘いですか)、男の場合は意志的な感じはあまりしない。
独りで生きていくのが女性よりも(経済的な意味でも世間的な意味でも)簡単であることも影響してか「めんどくさいんだろ結局」てな感じであっさり結論づけられてしまうようだ。
だからドラマとして成功させるには「結婚しない男」はむしろ反発を招きかねない。単なる独身主義者だもんね。2008年、だから才能ある某脚本家は、ものすごくルックスがよくて高学歴、しかも高収入の男が“結婚できない”ドラマをつくりあげた。以下次号。
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