陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

指導者出よ?

2008-02-01 22:44:46 | weblog
中野好夫に「歴史に学ぶ」というごく短いエッセイがある。それはこんな書き出しで始まる。
 真珠湾からだけでも四年余り、支那事変にまでさかのぼれば、実に八年以上国の運命を賭けた危局に際し、政戦両面を通じて全国民の輿望を担うような大人材、大人物をという待望の声だけは高かったが、それにもかかわらず、事実はついに一人のこれといった人物も見出しえなかった。このことは今次太平洋戦争最大の悲劇であり、これだけは東西古今の歴史を通じてちょっと比類のない現象であった。いやしくも一国民が、しかもとにかく世界有数の軍備を有し、列強の一につらなるはずの一国民が、それこそ死力をつくした数年間の死闘を続けながら、ついに一人として指導的人物が現れなかったというのはほとんど考えられぬ事実である。
(中野好夫「歴史に学ぶ」『ちくま日本文学全集 中野好夫』所収 筑摩書房)

中野はフランス革命におけるミラボー、十八世紀中葉イギリスの宰相ピット、あるいは第一次大戦中の首相ロイド・ジョージやチャーチル、フランスのクレマンソー内閣など、「非常時型」の指導者の例をあげていく。ひるがえって日本はどうか。「ここ一世代のわが政治的人材の素寒貧振りは驚くの外はない」という。
 一、二度前に書いたり話したこともあるが、戦争中ついに私に諒解できなかったことは、指導者出でよ、大号令を待つ、というあの国民の声である。さらにもっと滑稽なのは、国民の準備はできている、今はただ大号令を待つのみ、というあの悲鳴である。それも一般大衆だけならまだしもだが、堂々たる知識層も言った。一流の新聞紙までが臆面もなく三日に一度は書いた。一番情けなかったのは帝大新聞の投書欄にさえ何度か同趣意の見解を散見した。これもアングロサクソンには全くもって不可解(ミステリアス)の一つであろう。彼らは指導などご免だ、号令を廃してくれとは言うだろうが、号令を掛けてくれとは死んでも言わない国民だからである。一体号令してくれとは、正直言って一人前の成人のそう口にすべき言葉ではないはずである。民主主義に再出発するという日本人が真剣に考え直さなければならない問題ではないかと思う。

初出が昭和二十一年三月のエッセイである。「民主主義に再出発する」という部分など、確かにその時代というものを感じてしまう。

ただ、驚くのは、「指導者出でよ、大号令を待つ」という当時の声である。「挙国一致」というスローガンのもと、国民精神総動員運動なるものが展開されていたようななかにあって、当時の新聞などに「三日に一度」の頻度で、そんな指導者待望論が出ていたというのは知らなかったし驚きもした。

歴史人物の評価というのは、あたりまえの話だが、結果が出てしまってからの評価にならざるをえない。しかも評価するわたしたちがどこに立つか、どこからその出来事や人物を眺めるかによって、評価そのものが変わってくる。

たとえばわたしなど、漱石と鴎外が同じ時代に作家活動を行っていた明治時代というのは、ちょっと信じがたいほどものすごい時代だったように思ってしまうのだが、当時のいわゆる「文壇」というところでは、自然主義が主流だったために、どちらかといえば傍流だったという。あるいはドナルド・キーンは「鴎外と漱石は日本ではすでに定評があっても、欧米で多くの読者の興味を惹くとは思えない。我々には漱石の『坊っちゃん』の魅力も、鴎外の『雁』の哀愁も、いずれも身近に感じることが出来なくて、こういう小説は日本よりもヴィクトリア時代中期の群小作家の作品を思わせる」(『日本の文学』吉田健一訳 中公文庫)と言っていて、結局、「その人」を抜きにした客観的評価などというのは、どこまでいってもありえないのだとつくづく思うのである。

だからここで中野があげている「非常時型の指導者」にしても、一概に、傑出した人物であったとばかりは言えないだろうし、指導的役割を担ったことはまちがいなかったとしても、それは単に個人の資質とばかりは言えない側面もあるように思う。だからその当時、ほんとうに政治的人材が「素寒貧」であったかどうか、わたしたちはどうしたってすべてが終わってからしか見ることはできないのだし、これを書いた昭和二十一年当時の中野ともまた見る位置は異なっている。

にもかかわらず、時代は移り、社会情勢は大きく異なっているのだが、「指導者出でよ、大号令を待つ」というメンタリティは、ものすごくよくわかってしまうのである。
もちろんいまのわたしたちは、表だってそんなことは言わない。指導者(首相/知事/国会議員 etc.)なんて、だれがなっても同じだ、ぐらいに思っている。にもかかわらず、一方で、すばらしい指導者が何もかも解決してくれることを待ち望んでいるのではないか? だってみんな誰が出てきても、批判しかしないのだもの。批判しかしない、ということは、逆に、どこかにあるべきすばらしい指導者を思い描いているからこそ、その理想像と比較して、現実の指導者にダメ出ししているのだろう。結局は、その理想的な指導者が出てくるまで(そんなことをしている限り、決して出てくるはずがないのだが)、批判だけし続けるのだ。それは「指導者出でよ、大号令を待つ」とまったく同じではないか。

中野はスウィフトの『ガリヴァ旅行記』のこんな一節をあげている。

「政治的才能などというものは、なにも一代に三人しかでないというような天才だけが備えている才能ではない。普通の人間なら誰にでも結構できることだ」
そうして、こう考えている人々のなかでこそ、民主主義というものは発達したのだ、と中野は言っている。

結局は、自分に何ができるか、自分はこれから何をするのかを考えるということにしかなっていかないのではないかと思うのだ。
やっぱり「指導者出でよ、大号令を待つ」っていうのは、ひとりのオトナとして、かなり情けないよ。

(※先日アップしたときは、中野好夫の引用部分を一部不正確に書き写していました。訂正してお詫びいたします。