陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

メアリー・マッカーシー 『家族の友人』 その1.

2004-11-28 20:32:54 | 翻訳

今日からしばらくメアリー・マッカーシーの短編"The Friend of The Family"をお送りします。
以前からマッカーシーについて、書きたいと思っていたのですが、何点か出ている翻訳書はいずれも現在、大変手に入りにくいものになっているため、紹介も兼ねて、ここで試訳を公開したいと思います。
『家族の友人』というのは、いささか風変わりな短編なのですが、マッカーシーの特徴をよく現している作品です。
ささやかではあるけれど、マッカーシーを紹介する一助にでもなれば、これほどうれしいことはありません。

画面での読みやすさを考えて、原文にはない改行がしてあります。
冒頭一字下げしてあるのが、原文の段落、一字下げしていない改行は、こちらで任意につけたものであることをご了承ください。


***

 だれからも特別に好かれることがない、というのが彼の際立った特徴だった。つまりだれひとり、あのひとでなくては、と思うほどには好きではないのだ。その結果、既婚者の間で彼はどこへ行っても受けが良かった。というのも、だれも慕うことをせず、頼ることもなく、彼が口にした冗談や政治の見通しを引き合いに出すこともなく、ことさら悪く言う必要も感じなかったからである。逆に、彼を知らなかった夫や妻のほうが、パートナーが気づかずにいた彼の美点を見つけだすのが常だった。ある夫などは、妻の錚々たる知り合い全員を嫌い抜いていることで悪名をとどろかせていたのだが、無名のフランシス・クリアリィだけは熱烈に歓迎するのだった。妻の方はそのときまでフランシスを思いだすことなどめったになかったというのに。結婚生活のなかでの長引く諍いや、友だち同士のケンカのなかで、フランシス・クリアリィは非武装地帯だった。防御されてもいないのに、攻撃の影響を受けないのだ。あたかも襟の折り返しに、目には見えない白旗が翻っているかのように。彼の名前を口にしたその瞬間に、ある種の家庭内のいざこざは、完全に収束してしまう(「きみはぼくの友人が嫌いなんだろう」「わたしだってあなたのお友だちが好きよ」「いいや、嫌ってる」「そんなことないわ」そして誇らしげに「フランシス・クリアリィさんが好きだもの」)。

 忍耐と妥協の精神のシンボルとして、友だちが結婚するときは必ずその本領を発揮した。独身のころは年に一回か二回、フランシス・クリアリィとランチをともにする程度の間柄だった男が、驚いたことには、結婚後二、三年もすると、親友とも呼べる間柄になっているのだ。週末や夕食、カクテルパーティには欠かさず招かれた。ブリッジやテニスでは、いつも決まって四番目のプレーヤーだった。結婚式に招待されることこそなかったかもしれないが(実際、妻が正式に紹介されるのは、結婚後数ヶ月が過ぎてからのレストランであることが普通で、妻の側はいわゆるアリストテレス的認識といったものを経験するのだ。「なんでジャックはあなたのことを話してくれなかったのかしら。つぎの木曜には、必ず夕食にいらしてくださいね」)、赤ちゃんが生まれたときは、病室には彼の贈ったアゼリアかシクラメンの鉢が真っ先に届くのだった。
 
 フランシス・クリアリィと以前から友だちだったのが妻の側であっても、その親密さの度合いを示すグラフは同じカーブを描く。それまでずっと背景の一部を彩るに過ぎなかった控えめな自分のファンが、気がつかないうちに、画面の中心へと滑り込んでいるのだ。夏の休暇には二週間ほど遊びに来るし、夫とはチェスをする。街にひとりでいるときは、夕食に連れ出してくれるのだった。

彼は「君の友だちのフランシス・クリアリィ」となり、夫の性質の善良さを示す歩く広告塔となってゆく。「ぼくが嫉妬深いだって?」夫はこんなふうに言うのだ。「君は先週、フランシス・クリアリィと昼飯を食ったじゃないか」この古くからの友だちと二人っきりになると、昔からいつもそうだったように、退屈になってくる。蓄音機をかけ、メイドがオランデーズ・ソースをちゃんと作っているかどうか見てくるわ、と言い訳しながら、台所に立つのだった。にもかかわらず、夫の提案もあって、招待は何度でも続く。というのも彼が家にいると、安心するのだ。結婚してもわたしはすっかり変わってしまったわけではない、夫は寛大だし、至極当然のことだけれど、好みのいちいちを共有すべきだとは考えていない、偏見のない人間だから、わたしが自由に友だちと会うこともできる、という具合に。さらに、フランシス・クリアリィを招くと、大変に気楽だったのである。

ほんとうの友だちが来るときは、たいてい、言い争いであるとか、不用意に過去のことを口にしてしまうとか、何かしら不愉快なことが起こる。実際には平穏無事に終わったとしても、何事か起きはしまいか、と不安にさいなまれていた彼女は、友だちが帰ったあとで夫が言う「やれやれ、やっと終わったか」という言葉を、胸の内で繰り返してしまうのだった。そんな晩(多くは週末だったが)を何回か過ごしただけで、友だちに抱いている自分の好意は、どう考えても幸せを邪魔している、と思うようになる。たぶんごく一時の間だけ、つきあいを絶とうと思う(きっとそのうち、条件さえ合ったなら、ジムもわたしみたいにあの人たちがわかってくるはず。いつか、来週か、来年かにはかならず、親密な気分のときに、ちょうどぴったりのソースを添えて出したなら、サヤインゲンが好きになるのと同じように、と自分に言い聞かせながら)。

だが、そうしているうちに、フランシス・クリアリィを招く方が、明らかに良くなっていく。彼だって、結局は自分のほんとうの友だちの親しい仲間だったのだ(そうした友だちを通して彼と会ったではないか)。歳月が経つにつれて、「ほんとうの友だち」とフランシス・クリアリィのちがいはだんだん曖昧になっていき、いつの間にか、どんなときにも親しいグループの一員だったように思えてくるのだった。

 彼の社会的流動性は、他人からシンボルとして扱われるという能力に由来していた。しかもそのシンボルというのは、ひとつの概念(たとえば寛容さ)を表すばかりでなく、現実の個人や集団を表すシンボルでもあるのだ。
たとえばここにひとりの夫が、あるパーティの客のリストを書き出しているとする。妻に「コールドウェル夫妻(あるいはミューラー夫妻、カプラン夫妻)を呼ぶのはどうかな」と聞いてみる。「なんですって」と妻の金切り声。「どうしてもあの人たちを呼ばなきゃダメなの?」「ぼくは好きなんだけどな」「あの人たちって最低。それに、誰とも知り合いになろうとしないのよ」「だってぼくの古い友だちだよ。世話になってるんだ」「じゃ、わたしがいないときに呼んでちょうだい――あの人たち、わたしを嫌ってるって知ってるでしょ」「バカなこと言うなよ。ほんのちょっとでも知り合う機会があったら、君に夢中になるよ」

妻の方は必死になって思案をめぐらす。自分のパーティ、魅力的で、調和のとれた、波乱のない、それでいて変化に富む自分のパーティが、夫の頑固さという岩に向かって、まっすぐ難破へと突き進む様子が目に浮かぶようだ。そのとき突然ひらめく。
「ねぇ」思慮深い調子で、こう話し始める。「代わりにフランシス・クリアリィさんをお呼びしたらどうかしら。あの人だったら、ほかの人とも絶対うまくいくと思うの。あの人だって、ヒュー・コールドウェルさんと同じくらい、あなたのいいお友だちでしょ。コールドウェル夫妻と友だちづきあいをするのがどうのこうの、って言ってるわけじゃないのよ。ただあの人たち、今度のパーティにそぐわないんじゃないか、って思うだけなの」

夫の方も妻同様、嵐の徴候を読みとって、もし自分がコールドウェル夫妻を呼ぶことをあくまで言い張るならば、妻がとんでもない不躾な態度でふたりをもてなそうとするかもしれない、そんなことをしないまでも、妻は今回自分が譲歩したのをいいことに、向こう何ヶ月かに渡って、妻の耐え難い友人たちでこの家を一杯にするかもしれない。となると、自分はこの一戦に勝っても戦争には負ける、ということにもなりかねないわけだ、と自分に言い聞かせる。そこで夫はいやいやながら、不承不承、同意するのだった。結局は、フランシス・クリアリィも、妻の憎むコールドウェル夫妻と同じグループに属しているのだ。彼を招くということは、とりもなおさず夫妻の精神――肉体とまではいかないが――を招くことではあるまいか。それに正直なところ――夫は心の中でそう思う――問題となっているのはコールドウェル夫妻の人格ではなく、主義なのではあるまいか。

(この項続く)