陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

アップダイクが切り取った瞬間 ―『A&P』を訳し終えて―

2004-11-14 18:58:58 | 翻訳

(*翻訳のあとにくっつける「おまけ」のタイトル、どうにもワンパターンなので目先を変えようと思ったら、最初に浮かんだのが「アップダイクにアップ、アップ」だった……。いや、キンギョのフンのように、どこまでもどこまでも続いていく文体を訳すのに手こずったので)

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『A&P』はおそらくアップダイクのもっとも有名な作品だろう。
初出は1962年『ニューヨーカー』。
アメリカでは数多くのアンソロジーにも収められ、アップダイクのほかの作品を読んだこともないような高校生たちにも親しまれているようだ。

最初に紹介した新潮文庫の『自選短編集』には、アップダイク自身の手による前書き、「日本の読者に」という作品紹介が掲載されているのだが、そこには「これを書いた当時、この短編は少しJ.D.サリンジャー風すぎる、とわたしの妻が言っていた」とある(余談だけれど、ナボコフの『ヨーロッパ文学講義』の序文はアップダイクが書いていて、奥さんがハーバードでナボコフの講義を受けたことが記してある。ナボコフの薫陶を受けたこの奥さん、さぞかし厳しい読み手だったにちがいない。たぶん同じ奥さんだと思うんだけど)。
たしかに一人称の男の子の口語的な語り口で話は進んでいくし、彼のおとなの欺瞞性に対する怒りは、『ライ麦畑』にも通底する。
ただ、やはりアップダイクならではの特徴が、この作品にもいかんなく発揮されている。

まず、視覚的なイメージに満ちあふれていること。
女の子の水着の描写から、日焼けしていないところ、はたまた一風変わった女の子の歩き方、カーラーを巻いたお客の反応から、中年女性の静脈瘤、わたしたちはまるでアップダイクによく見える目を与えてもらったかのように、ありとあらゆるこまごまとしたものを見ることになる。

そうした細部は、単に精緻に描かれるだけではない。
女の子の歩き方をとおして、彼女の性格や境遇が浮かび上がってくる。
アップダイクの切り取る瞬間には、そこに登場人物たちのすべてが描かれる。

重ねられていくことばは、的確で、視覚的な喚起力に満ちている。
ほんとうに筋を追いかけて読むだけではもったいない、ある種、とてもぜいたくな「ことばの悦楽」といったものがアップダイクの小説のなかにはある。
それを日本語にしようというのだから、考えてみれば無謀なことを企てたのかもしれない。

こちらもできるだけ日本語を吟味したつもりだけれど、最後の最後まで決まらなかった訳語がひとつ。
「キングフィッシュ極上おつまみニシンのサワークリーム漬け」のなかの「おつまみ」……。
"Kingfish Fancy Herring Snacks in Pure Sour Cream"が原文なんだけれど、この"snacks"にあたる適切な日本語がどんなに考えても見つからなかった。

カンニングするみたいに、新潮文庫の岩元訳を見てみたら、な、な、なんと!訳してない。
このあと、サミーが女王様のこの単語の発音の仕方がとても上品だと思うところだってあるのに。
訳さないのは、反則ではないでしょうか。

ということで、みなさんのお知恵拝借!
snacks、いい日本語思いついたら、教えてください。


もうひとつ思うのは、夏というのは、大人になっていく季節なんだな、ということ。
日本では新年度は4月から、というのが定着しているから、なかなかこの感覚は理解しにくいのだけれど、アメリカやヨーロッパのYAは、夏休みを舞台にしたものが圧倒的に多い。
7月の初めに学年が終わり、9月から新学年が始まる。
中学生が高校生になるのも、高校生が大学生になるのも、夏休みをはさんでのこと。
夏休みは、成長していくため、つぎの段階に進んでいくための準備期間でもあるのだ。

両親の友人が店長をやっている店に、母親がアイロンをかけてくるシャツを着て、勤めていたサミーは、偶然に起こったできごとをきっかけに、自分の足で歩き始める。

やはり『A&P』は、忘れられない夏の物語のひとつだ。