陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

日付のある歌詞カード #5 

2006-04-07 22:28:59 | 翻訳
日付のある歌詞カード #5 
――四半世紀近くたっても古びない音に出会う:Iron Maden "Run to the Hills"

なんとなんと、1982年のアルバム"The Number of the Beast"に収められている曲を取りあげてしまうのである。82年といったら、その歳に生まれた子供は、すでに大学を卒業して社会人になってしまっているのである。
そうはいっても、わたしが Iron Maden を初めて聴いて、ブッ飛んだのは、つい先日のことなので、わたしにとってはちっとも昔の曲ではないのである。


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Run to the Hills


白人は海を越えて来た
われわれに悲しみと窮境をもたらし
われわれの部族を殲滅し、掟をふみにじった
われわれの獲物さえ、自分の欲望を満たすために取りあげた

われわれは激しく戦い、白人を叩きつぶした
大平原に打って出たわれわれは、徹底的にやっつけた
だが大勢が押し寄せて、クリー族だけでは太刀打ちできなかったのだ
ああ、われわれがふたたび自由になることはあるのだろうか?

* * *

不毛の大地を土煙をあげて駆けてくる
大平原を全速力でやってくる
インディアンを追い立て苦境に陥れる
インディアンが獣を狩るようにやつらを狩り立てる
自由など圧殺してしまえ、後ろから刺し殺せ
女も子供も臆病者もかまわずに

丘まで走れ、命のために走るんだ
丘まで走れ、生きるために走るんだ

青い軍服を着たやつらが不毛の大地にあふれる
自分たちのやりかたで狩りをし、殺戮を重ねる
良いインディアンは、膝を屈したインディアンだけ
ウィスキー漬けにして金をとりあげる
若者は奴隷となり、老人は殺される

丘まで走れ、命のために走るんだ
丘まで走れ、生きるために走るんだ

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最初に聞いたときはこれはアメリカインディアンの歌なのだろうと思った。
白人である彼らが、インディアンになりかわって、その心情を歌う、ということに、いささか複雑な思いを抱いたのである。
同じアルバムに、これまた名曲である、いままさに死刑台に向かおうとする死刑囚の心情を歌ったものがあって、確かに自分がそうでなくても、その心情を歌うことは可能だろうけれど……、と思ったのである。

ところがよくよく聞くと、冒頭の部分だけがインディアンの心情で(この部分だけ、リズムもテンポも重い)、主旋律の部分はインディアンを追い立てる白人を描写し、そうして、丘へ走ってくれ、生き延びてくれ、と願う「語り手」の歌なのである。
(アメリカ人は、どんな思いでこの曲を聴くのだろうか?)

この曲のリズムは、疾走する馬のリズムだ。
ドラムが刻むのはギャロップのリズム。
ベースが平原を駆け抜ける馬の脚の響きを奏でる。
ほんとうに、この曲をじっと座って聞ける人なんているんだろうか? できれば馬に乗って(乗ったことないけど)、それがムリなら走り出すか、せめて頭でもふらずにはおれない。
身体が風を感じるのだ。
リズムというのは、こういうものなのだ、と思う。

そうして、ボーカルのブルース・ディッキンソンがすばらしい。
この人は確かに声もよく伸びるし、どんなに早口になっても発音は聞き取りやすいし、タフな歌い手だとは思うけれど、それでもうまい歌い手はほかにもたくさんいる。
ただ、この人のように、喚起力を持った歌い手はそんなにいない。
これを聞いていると、まちがいなく馬に乗って、丘に向かって疾走する(というか、これは山に逃げ込め、と言っているのだと思うのだけれど)気持ちになる。逃げるのではない、生きるために走るのだ。そういう力強い気持ちが、腹の底から湧いてくる。

この曲を好きにならずにいるのはむずかしい。