hiyamizu's blog

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目を閉じると 

2024年04月01日 | 個人的記録

 

小学校何年生の時だっただろうか、クラス全員が交替で黒板の前に立ち、皆に何かの話をすることになっていた。僕の番になって、「目をつぶると決まって見える景色があります」と話し出した。その光景は、全体は真っ暗で真ん中に丸く夜空が見え、中心に満月が輝いている。どう考えても井戸の中から夜空の満月を眺めているとしか考えられない。そして、話を「将来、僕は井戸に飛び込むんじゃないかと心配しています」と終えた。なんて暗い話をする小学生だったのだろうか。

しかしその後、井戸に飛び込むこともなく、無事に80歳までは、たどり着いた。そしてもはやこの光景が目に浮かぶことはない。

 

最近時に目に浮かぶ光景は、子供の頃、よくボーと眺めていた庭の景色だ。暇を持て余し、八畳の客間から廊下越しに庭の木々を眺める。一番左手、雨戸の戸袋の脇には楓の木があった。幹に止まっていたヤモリを見つけ、たまたま持っていた竹で面白半分に槍のように突き出したら、思いもかけず、串刺しにしてしまった。びっくりして竹を放り出したのがこの楓の木だ。

 

天狗の団扇のような八つ手は秋が終わる頃、カリフラワーのような花をつける。トゲトゲした葉を持つヒイラギナンテンは秋に青い実をつけた。アオキの赤い実も皮をむくと白くぬるっとしていた。いずれも地味な庭木で、これまで記憶の底に沈んでいた。

 

客間の前に見える庭の真ん中は花壇になっていて、今はあまり流行っていないカンナや、ホウセンカが植えられていた。熟していないホウセンカの実をつぶして種を飛ばして遊んだ。

 

戦争中、親父がここに防空壕を掘った。中にはちょっとした棚も作られていたという。焼夷弾が屋根に落ちて、先端に鳥のくちばしのような金属を嵌めた棒があって、それで焼夷弾を地面に落として土をかけて消したと聞いた。

 

花壇の向こう側にはツツジがあり、ピンク色の花をつまんでよく蜜を吸った。その奥には大きな古い梅の木があった。梅の実の季節になると収穫し、庭に新聞紙を敷いて、まだ青い梅の実をずらりと並べて乾燥させていた。干すために庭に広げて、柔らかく、うっすら赤くなった梅の実を、庭の隅に生えていたシソ(紫蘇)を大きな瓶に入れて、つける。瓶から出してきた梅干しの酸っぱさが、今、口の中によみがえる。

 

母がよく庭で洗い張りをしていた。私も良く知らないのだが、和服というものは複雑な裁断はしないで、反物を幾つかに裁断するだけで、それを縫い合わせて和服に仕立てているらしい。
木綿やポリエステルの普段着は長く着ていると、糊を引いているので、シミやカビが出てしまい、時々洗濯する必要がある。今はクリーニングに出したり、着物も丸洗いするようだが、昔は各家庭で、縫い目をほどいて反物状態に戻してから洗って、新たに布のりを引いて、干して、仕立て直して(縫い合わせて)、元の和服に戻していた。

干すに2つの方法がある。一つは、布の両端を引手棒で止めて長手方向にぴんと張り、竹ひごの両端に真鍮の針をつけた幾つもの伸子(しんし)で布を横に張り広げて干す。もう一つは、2mほどの長さの張り板に布のりを引いた布を張り付けて、空気が入らないように叩いて張って、乾かす。

眼をつむると、木と木の間に、たわんだ布の下に、半月状になった幾つもの竹ひごが並ぶ光景や、木に立てかけられた、ぴったりと布が張り付けられた張り板が瞼に浮かぶ。

 

懐かしい! 思い出す母は、いつでも働いていた。

 

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