hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

プリンス・エドワード島 (5) 郵便局とお墓

2007年10月14日 | カナダ東部

赤毛のアン一日観光に参加した。前回、前々回とアンの家(グリーンゲイブルズ・ハウス、恋人の小径、お化けの森)について書いた。

ツアーに含まれているキャベンディシュ・ビーチなどは次回とし、今回は、その他のアン関連をまとめてご報告。

グリーンゲイブルズ郵便局、教会
教会は一般の方が今も通われているとのことで、外観のみ。右の建物が郵便局。
この教会Cavendish United Church は、Evan MacDonald が1903-06年に牧師(minister)をしていたときに、モンゴメリーと出会い結婚することになる教会だ。



郵便局の案内板には、
「赤毛のアンはこのような郵便局で書かれたことをご存知ですか? 
モンゴメリーが育った祖父母の家はキャベンディシュの郵便局を営んでいました。もとの建物は失われましたが、この建物は彼女が小説を書いて、原稿を出版社に送った建物を復元したものです。
内部は近代的な郵便局で、説明展示もあります。モンゴメリーがしたように、どうぞ後ろのドアから入ってください。それがプリンス・エドワード島の伝統です」
とあった。後ろのドアから入れたのだろうか?
モンゴメリーは祖父の郵便局を引き継ぎ3年間郵便業務をしながら、原稿を書いていたという。

中にはいくつかの写真や展示物があり、当時の郵便業務が分かる。




今も夏季には現実に郵便業務が行われている。私たちツアーとは別の日本人女性も幾人かいて、人気の場所のようだ。たった一人の男性たる私はツアー中、常に隅のほうにいた。
「ここのポストから葉書を投函するのが私、夢だったんです」と言いながらニコニコしている夢見る頃を過ぎたご婦人がいた。



夢見るアンの切手(の展示拡大写真)と、自宅についた葉書のスタンプは以下。どうせなら切手もアンのものにすればよかったが、スタンプも今ひとつだ。





余談で、かつ現在の話しだが、プリンス・エドワード島では、家が道路からえらく離れて奥にある場合が多く、個人宅の郵便受けは道路際に設けられている。そして、投函したい郵便物がある場合は、郵便受けに入れておき、赤い旗を立てておくと、郵便屋さんが回収してくれる仕組みだ。




JAMESさん! 勝手に旗を立てて、ごめんなさい。元に戻しておきました。

モンゴメリーのお墓
この墓地は共同墓地なので、もちろんモンゴメリー以外の人の墓が大部分なのだが、入口のアーチには、「RESTING PLACE OF L.M. MONTGOMERY」とデカデカと表示されていた。お墓の入口の石版には、「CAVENDISH CEMETERY 1835年創設」とあり、その下に、「このアーチは1985年にJ.A.Bamberと友人によって寄贈された」とあった。(どうでも良い話でした)



左が1876年に23歳の若さで亡くなったモンゴメリーのお母さんのお墓。右が、1898年に78歳で亡くなった祖父と1911年に87歳で亡くなった祖母 Lucy Ann Woolner のお墓。祖母はとても厳しくモンゴメリーさんを育てたので、赤毛のアンもAnnという表示はいやで、Anneにこだわったとの話しもあるようだ。祖母が大好きだったとの話も聞いた。



モンゴメリーの墓までの道だけは石畳になっていてすぐ分かる。墓地の中で、ここだけが国立公園なので、木の看板も立っている。



花いっぱいの墓の写真と、墓碑の拡大写真を載せる。




墓石の一番上には、ご主人の姓の「MACDONALD」とあり、その下に、ご主人の名前、「REV EWEN MACDONALD 1870-1943」とあり、その下に奥さんの名前、「LUCY MAUD MONTGOMERY MACODONALD」とある。さらにその下に、「WIFE OF EWAN MACDONALD」とあり、生年、没年が、「1874-1942」と刻まれている。
ご主人の名前は正式には一番上の EWENなのだが、モンゴメリーはそれが嫌いで、自分のところにはEWANの妻と記している。ANNとANNEといい、表記にこだわる人だったらしい。




コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« プリンス・エドワード島 (4)... | トップ | プリンス・エドワード島 (6)... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

カナダ東部」カテゴリの最新記事