hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

まったりした昼下がり  

2021年08月02日 | 個人的記録

 

フローリングにざっくりした絨毯、その上にでーんと置いた、大きくふにゃふにゃのクッション。TVの前のこのいつもの定位置で、上半身をクッションに預け、すらりとどこまでも短い足を投げ出して、録画した暴力的映画、ボクシングの試合を見ている。好きなはずの本もじっくり読むと一時間と集中できない。ついTVを見てしまい何時間も経って「ああ人生無駄にした」と後悔することを繰り返している。

お笑いの連中が我先にギャンギャンと口をはさみ、コロコロ変わる話にはついていけず、「下らん!」と切り捨てる。そのうちいつものようにクタクタと力が抜けてうたた寝する。いびきでもかいたのか、相方にTVを消されて、「今見てたのに!」をブツブツ言いながらもベッドへ向かう。

 

ポーとしたまま、いつのまにか肩にエコバッグを引っ掛けて狭い車道の脇のさらに狭い歩道をシコシコと歩いている。袋の中には図書館に返す本、メモとスーパーのプリペイドカードが入っている。身体を痛めた相方に渡されたものだ。空気が重くじっとりとして風こそないが、ジリジリとした日差しもなく曇り空で、お出かけにはもってこいの日だ。せめて一日一回は外に出なくてはと、思ったか、言われたか。

 

塀の上から申し訳なさそうにこっそりのぞく赤紫のアジサイはまだ枯れ切ってはいない。はっとしたときには、後ろからきた自転車が脇をスルリと通り抜けて行く。あわてて脇に避けるが、もう自転車は軽快にはるか向こうだ。若い人は年寄の鈍さに思いが至らない。かっての自分がそうだったように。

 

ならばと人家の間の脇道に曲がる。図書館手前の曲がり角がいつのまにか整地されている。何回も通った道なのに、どんな家があったのか思い出せない。確か、とげとげしたカラタチの生垣があったような気がする。3区画に分割されていて、また周囲にそぐわない小さく派手な家が並ぶのだろう。若くニコニコした幸せな家庭が3つもできると思うことにする。

欧米の街並みは色、高さなど全体として統一感があるのに、横並び体質の日本の住宅街はどうしてこうも自分勝手でバラバラなのだろう。

 

昼間は居間のクッションで大半を過ごし、午前も、午後も昼寝にいそしみ、ときどき図書館とスーパーへ通う、まちがいなく平和で、幸せといえば幸せな毎日だ。

コメント
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