hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

母親と息子

2018年01月26日 | 個人的記録

 

 息子というものは、母に関しては保守的で、母の母親以外の面を認めようとしないものだ。しかし、実際の母親は、女としての顔や、地域社会への顔などさまざまな顔を持っている。さらに、幼いときに思っていたように母親は絶対的に正しい考えばかりでなく、ときにはゆがんだ考えも持っていて、ごく普通の弱い女性の一人なのだ。

 

 不思議なのは、その普通のなんでもない女性が母親となると、子どもにとっては全てである存在となるし、実際にマリアさまのように子どもに絶対的愛情を注ぐのだ。

 

 男性は思春期に母親からなんとか独立しようと無理して反マザコンになろうとする。その季節を過ぎようとする高校生の頃、母親が足先を怪我し、足を引きずって医者に行くのに付き合った。帰り道、片足に包帯を巻いて、ほとんど歩けない母にじれて、「おぶうからさ」と不愛想にかがんで背中を出した。母はためらったが、人気のない道だったので、「じゃあ」と、背中にかぶさってきて、「とうとうおんぶされるようになっちゃたね」と言った。なんだこんなに軽いのかと、ちょっと拍子抜けで、意外だった。家族のために身を減らして来たのかなとも思った。

 

 この時を境にマザコンを脱したと思っていた。やがて自分も年取って、老いた母を見送り、さらに私も老いた今思う母は、献身的で愛情深い、あの母の姿だ。結局息子はマザコンのままで終わるのだなと思う。

 

たはむれに母を背負いて そのあまり軽きに泣きて 三歩歩まず   石川啄木

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