hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

日本文藝家協会編『ベスト・エッセイ2014』を読む

2014年08月23日 | 読書2

日本文藝家協会編『ベスト・エッセイ2014』(2014年6月15日光村図書出版発行)を読んだ。
表紙に、編集委員 角田光代、林真理子、藤沢周、町田康、三浦しをん とある。

2013年に新聞などに発表された数多くのエッセイの中から,読み応えのある76編を厳選

「自由が丘の金田中」瞳みのる
ザ・タイガースのメンバーだった著者が、解散後グループとの付き合いを断ち、やがて再結成に参加する経緯が述べられている。

「見えぬものを見るということ」浅田次郎
見わたせば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮 『古今和歌集』巻四秋歌上 藤原定家
あらゆる芸術表現のうち、「見えぬものまで見せる」という方法は、文学においてのみ可能である。


「目が覚めているのが奇跡」酒井順子
私の一日のほとんど「眠い」か、もしくは寝起きの「イヤーな感じ」かのどちらかの時間が占めるということになる。・・・もしかすると死を迎える瞬間、私は「これでずっと寝ていられる」と、嬉しい気持ちになるのかもしれません。


「手足の先に、あったもの」上橋菜穂子
「・・・ごく大雑把に、人類の歴史を考えてみると、農耕が始まってから現在までって、人類史の何パーセントぐらいだと思う?」・・・本当は、たった一パーセント。人類は、その辿ってきた歴史の九十九パーセントもの時間を、狩猟と採集で暮らしていたのだ。


「四ぶんの三せいきの報告書」黒田夏子
じみであたりまえなそうした習練を、書きことばのあつかいにも応用すればいいと気づいたのはずいぶんおそかったようでもあるが、そんな職人しごとのめんも見きわめてみれば、一作ごとにも一文ごとにも足場の堅固が信じられて不安なあせりは減っていったし、やがて技能じたいのばねによって、予期しなかったところに出られることもあるのを知る。


「子どもが中学生になってなにがパパだ」金原端人
・・・ところが10年後、15年後が問題だ。母親はほとんど悩むことなく、子どもにむかって自分をママ、母さんと呼び続ける。が父親はそうはいかないのだ。・・・ たとえば、中3の息子が友達を4、5人連れてうちにやってきた。そのまえで、「パパは・・・」「父さんは・・・」というのは恥ずかしい。・・・ちなみに英語で、父親が子どもにむかって自分のことをどう呼ぶかというと「I」。母親も「I」。


「向こう側に人がいる」佐藤雅彦
総武線の新宿、中野間のビルの最上階の部屋の窓に、いつも〇か×かがはっきり見えた。それは先輩が自宅に居る時は〇、いないときは×なのだった。小学生のとき、二軒隣りに同級生の洋二がいた。理科の授業で作り方を教わった電磁石を使ってモールス信号機を作り、地面にエナメル線を這わせて洋二の家との間で通信をしようとした。完成したのは夜10時を過ぎ、スイッチをペチペチと押したが、受信機は応答しない。洋二は完成していないのか、寝てしまったのかもしれない。自分も寝ようとしたそのとき、受信機がペタペタと鳴り出した。
「洋二がいる、洋二がこの向こう側にいる」私は、そう思うと、夢中で、信号にならないめちゃくちゃな押し方で発信機のスイッチを押していた。・・・
窓ガラスに〇×をつけて在/不在の報せを伝えてくれた先輩は、・・・その年賀状は、みんなを喜ばせるために、いつも手の込んだものであるが、私には、大きな〇と描かれているように思えるのである。
(電通での)先輩とは、ビームス(BEAMS)の設楽洋社長だと思われる。


「夏目漱石――キング・オブ・ツンデレ」三浦しをん
夏目漱石は・・・表面上はツンツンした態度なのに、内面ではデレデレしている。つまり、クールなようでいて、実は他者への親愛の情にあふれているのだ。・・・
なにしろ漱石は、呼びかけてもヘクトー(飼い犬)が反応を示さないと、すごくしょんぼりしてしまうのだ。前日の夜、ヘクトーに無視された漱石は、
「私は昨夕の失望を繰り返すのが厭さに、わざと彼の名を呼ばなかった」(『硝子戸の中』)ほどだ。


私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

もちろん、いずれも粒ぞろいのエッセイだが、なにしろほとんどプロが書いたのだから、ベストと言うには今一つだ。76もバラバラ並ぶと一気には読みにくい。
お気に入りの人のエッセイだけでも拾って読む方がいいかも。私にとっては、佐藤雅彦さんと、三浦しをんさんのエッセイがベストかな。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする