hiyamizu's blog

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アリス・マンロー『ディア・ライフ』を読む

2014年08月19日 | 読書2

アリス・マンロー著、小竹由美子訳『ディア・ライフ』(新潮クレスト・ブックス、2006年3月新潮社発行)を読んだ。

マンローの最新、かつ最後の短篇集。引退を表明しているマンロー自身が〈フィナーレ〉と銘打ち、実人生を語る作品と位置づける「目」「夜」「声」「ディア・ライフ」の四篇を含む全十四篇。

キスしようかと迷ったけれどしなかった、と言い、家まで送ってくれたジャーナリストに心を奪われ、幼子を連れてトロントをめざす女性詩人。片田舎の病院に新米教師として赴任した女の、ベテラン医師との婚約の顛末。父親が雇った既婚の建築家と深い仲になった娘と、その後の長い歳月。第二次大戦から帰還した若い兵士が、列車から飛び降りた土地で始めた新しい暮らし。


私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

マンローらしさが良く出ている小説集だ。日常のなんでもない描写、会話を積み重ね、登場人物の心理を浮かび上がらせる。そして、短編なのに長編のように人生の大きな変化を描き切る。
星は三つをつけてしまったが、80歳を超えていながら何か月もかけて書いては直しを繰り返して1篇の短編を紡ぎだすマンローに敬意を表したい。

もちろん良くできている小説なのだが、じっくり読まないとわかりにくいところがある。短編なのに長編なみの時間の経過を語っているため、場面が変わったときに、一瞬、時が経過したことが理解できず戸惑うことがある。
長い時間を語っているのに、描写は日常の些細な事を積み重ねる。そして、突然、時間が飛ぶ。妙味でもあるが、頭が疲れる。
また、訳文のせいではないと思うのだが、会話で筋が構成された部分ですぐには理解できないところがある。実際の日常の会話でも順序だてて話をしない人はいる(とくに女性に多い)。しかし、小説の中でこれをやられると、疲れる。


アリス・マンロー(Alice Ann Munro)カナダ人の作家。短篇小説の名手。
1931年生まれ。オンタリオ州の町ウィンガムの出身。ウェスタンオンタリオ大学にて英文学を専攻。
パーキンソン病で苦しみ母の代わりに12歳のときから家事を担い、20歳で結婚し大学を中退し、22歳で母となり、3人の子どもを育てながら、図書館勤務や書店経営を経験しつつ執筆し、ひたすら短編という形式を磨く。
1968年、初の短篇集 Dance of the Happy Shadesでカナダの総督文学賞受賞
その他、全米批評家協会賞、W・H・スミス賞、ペン・マラマッド賞、オー・ヘンリー賞など受賞
2005年、「タイム」誌の「世界でもっとも影響力のある100人」に選ばれ
2009年、国際ブッカー賞
2013年、ノーベル文学賞受賞
2013年6月、執筆生活から引退を表明
新潮社クレストブックに『イラクサ』『林檎の木の下で』『小説のように』が入っている。



小竹由美子(こたけ・ゆみこ)
1954年、東京生まれ。早稲田大学法学部卒。
訳書にアリス・マンロー『イラクサ』『林檎の木の下で』『小説のように』、ネイサン・イングランダー『アンネ・フランクについて語るときに僕たちの語ること』、ジョン・アーヴィング『ひとりの体で』ほか多数。



「日本に届く」
主人公のグレタは詩人で、技術者の夫ピーターとの間に幼い娘ケイティーがいる。穏やかで優しい夫との生活に満足しているのに、作家仲間のパーティーで知り合ったハリス・ベネットと、恋に落ちてしまう。住所がわからないので出しようがない手紙を書いたりしたが、トロントの新聞社のコラムニストであることを知る。バンクーバーから男が住むトロントへ娘と向かう列車の中で、出会ったグレッグと軽はずみな行為をしている間に、娘が迷子になってしまう。グレタの心は揺れ、罪悪感で以後は娘から離れることはなかった。罪の意識を抱えたまま目的の地に着くと、そこに待っていたのは・・・


「アムンゼン」
第二次大戦中、結核の子供たちが暮らす森の中のサナトリウムに教師として赴任してきた女性ヴィヴィアン・ハイドが主人公。当地のかなり年上の外科医アリスター・フォックスに自宅に誘われる。フォックスは他人の気持ちなどほとんど意に介さないエゴイストだが、初心で少々勝気なところのあるヴィヴィアンは彼に惹かれ、誘われるまま結ばれ、やがて婚約。結婚式を挙げるためにハンツヴィルの街に車で向かうが、・・・
彼の無頓着な運転ぶりに、わたしは欲情を掻き立てられる。彼が外科医であることも刺激的なのだ、自分で認めるつもりはないが。今この瞬間、わたしは彼のために、どんな沼地だろうがじめじめした穴だろうが身を横たえることができるだろう、彼が立位を望むなら、どこの道端の岩に背骨を押しつけることになったって構わない。こんな思いは決して口にしてはならないこともわかっている。
ところが、何ということだろう。
以下数行ネタバレのため白字
彼は、突然、結婚を取り止め、彼女をトロントに送り返してしまう。
彼の声音には新しい響きが、陽気といっていいようなところがある。ほっとしたような荒っぽいところが。彼はそれを抑えようとしている、わたしが行ってしまうまでは、ほっとした気持ちを表に出すまいと。


「メイヴァリーを去る」
16歳の女の子レアは映画館のもぎり嬢になった。彼女の父親は、仕事することを許すが、宗旨を厳格に守らせ、スクリーンを見てはいけないし台詞を聞いてもいけないという。一方、18歳で戦地に行き、年上のイザベルと結婚したレイは、病気になった妻を介護するために夜勤巡査になる。そしてレイが土曜の夜はレアを家に送っていくことを引き受けた。ある大吹雪の日レアは突然失踪し、やがて結婚したと手紙が来る。しかし、さまざまな曲折があって、レアは「失うということのベテラン」と呼ばれるような状況になる。妻を亡くしたレイは、それに比べれば新米だと思う。

「砂利」
9歳の姉のカーロで、語り手は弟の僕。美人の母は、父を捨てて、俳優のニールと姉弟、犬のブリッツィーを連れてトレーラーで暮らす。妊娠した母は前ほど放埓な暮らしを援護する姿勢はなくなり、姉弟に寒いからマフラーをしていきなさいと言ったりする。トレーラーの入口のドアが閉められ、2人が水辺でぶらぶらしていたら、姉から僕に指示が与えられた。トレーラーに戻って「犬が水に落ちた、溺れるんじゃないかとカーロが心配している」と伝えろという。そして、・・・。子供の視点からの話しか語られず、事実があいまいのままにされる。

「安息の場所」
頑迷なキリスト教信者で医師のジャスパー叔父と、母の妹で彼には絶対服従のドーン叔母に預けられた13歳の少女が語る。音楽嫌いで姉と不仲な叔父の不在に乗じ、叔母は、音楽会の後、叔父の姉でピアニストのモナ・カッセルなどを家に招待する。途中で帰って来た叔父は無礼な振る舞いをする。その後、姉が亡くなり、葬儀が行われた教会で・・・。


「プライド」
何もかもまずいことになってしまう人というのがいる。・・・だが、そんなことでもうまく利用することはできる、意欲さえあれば。
こんな出だしで始まる。町の大金持ちの娘オナイダは、父親の死後、世間知らずで、私の忠告も聞かずに、大邸宅を安く売ってしまう。兎唇で劣等感を持つ私が病気になったときも看病してくれた。そして、一緒に暮らさないかという彼女の提案を、私はこの家は売りに出していると嘘をついて断ってしまう。
「じゃあ、私は思いつくのがちょっと遅かったってことね」と彼女は言った。「私に人生ってそういうことが多いのよね。わたし、どこかに問題があるんだわ。・・・」
裏庭の鳥の水浴び用水盤に群がるスカンクを見ながら、「私たちはこの上なく喜ばしい気持ちだった」で終わる。


「コリー」
コリーは甘やかされた金持ち娘だったが、ポリオにかかり足が不住だった。建築家ハワード・リッチ―と知り合い、彼女の家を訪れて結ばれ、その後も続く。彼女は家事を何もできないので、リリアン・ウルフという女性が手伝いに雇われていた。妻とディナーに招待されたリッチ―は、リリアンと出会う。リッチ―は、事実を妻に伝えると脅すリリアンからの手紙を受け取る。このことを知らされたコリーは平然と定期的にお金を支払う。やがた、・・・。


「列車」
娘に性的衝動を覚え、その罪意識から鉄道自殺をした父親と女に捕まりそうになるといつも逃げる帰還兵の話。

カーブで速度を落とした列車から男が飛び降りる。戦争帰りのジャクソンは牧草地を歩き出し、牛の世話をしている16歳年上のベルという女性に出くわす。母は長く精神を病み、新聞のコラムニストだった彼女の父は、裸の彼女を見て動揺し、列車に轢かれて死んだ。
ジャクソンは家の補修をしながらベルと暮らし始める。結婚が意識されるようになった女性捨てて突然、姿を消した彼は、今度は悪性腫瘍で入院中のベルに「また明日」と言って遠くへ立ち去ってしまう。


「湖の見えるところで」
認知症が始まり、医者から20マイルほど離れた村の専門医を紹介される。認めたくないナンシーは車で村に向かうが、・・・。


「ドリー」
その秋、死についてちょっと話し合った。わたしたちの死だ。フランクリンは83歳で私自身は当時71歳、・・・残るは、というか成り行き任せになっているのは、実際に死ぬことだけだった。
そんな始まり方をするのに、途中で、夫の元彼女ドリーが登場し、波乱が始まる。
五輪真弓の「恋人よ」の「この別れ話が冗談だよと笑って欲しい」という文句を思い出す最後となる。


「フィナーレ」(「目」「夜」「声」「ディア・ライフ」)
この冒頭にこうある。
この本の最後の4編は完全な創作ではない。ほかからは独立した連作であり、気持ちとしては自伝的な作品だが、実のところそうとは言い切れない部分もある。これらは自分自身の人生についてわたしが語るべき最初で最後の――そしてもっとも事実に近い――ものである。


「目」
幼少期のけしてスムーズでない母との関係。

「夜」
妹に厳しい態度をとり、眠れないを過ごした少女時代

「声」
母と行ったダンスパーティ、見かけたイギリス空軍の兵士にあこがれる

「ディア・ライフ」
母への思いが語られる。父の商売は落ち込み、母は病に倒れ、12歳で家事、妹弟の世話をした。結婚後、母の葬儀に出席しなかった、できなかったことを悔やむ。そして、最後に。
何かについて、とても許せることではないとか、けして自分を許せないとか、わたしたちは言う。でもわたしたちは許すのだ――いつだって許すのだ。
まさに「ディア・ライフ」(大切な人生、for dear life:必死で)。

しかし、マンローは、幼い時から親を冷静に、批判的に観察していたのに驚く。嫌な子だ。

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