hiyamizu's blog

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アン・ビーティ『この世界の女たち』を読む

2014年08月12日 | 読書2

アン・ビーティ著、岩本正恵訳『この世界の女たち-アン・ビーティ短編傑作集』(2014年4月20日河出書房新社発行)を読んだ。

初期の代表作「燃える家」から、表題作をはじめとする2000年代の傑作まで、日常の裏側に潜む逃れようのない現実を精緻に描いた「静かな物語」10篇を収録。現代アメリカを代表する女性作家の傑作集。

控え目に生活の些細な点を描き、人生を浮かび上がらせる。著者アン・ビーティはレイモンド・カーヴァーらとともに、ミニマリズムの代表的作家だ。


「この世界の女たち The Women of This World 」2000年 37ページ
デイルは、各人の好みに合わせた手料理とワインを用意して感謝祭ディナーを準備する。夫のネルソンは、養父のジェロームと、その恋人ブレンダを空港へ迎えに行っている。
ネルソンは育ててくれたジェロームに感謝している。ジェロームは裕福で、普段は親切な紳士だが、“自分はこの世界の女たちへの神からの贈りものだ”と本気で考えていて、皮肉屋で自分勝手だ。
最初は穏やかに始まったディナーも、4人それぞれに徐々に亀裂が広がり、難しく、厳しい会話や視線が行き交う。デイルが大切にとっておいた特別なワインをジェロームが強引に開けてしまうことで、破綻へ向かう。

「かわりを見つける Find and Replace 」2001年 22ページ
父の死から6ヶ月を記念したいと母から言われて、アンは空港からレンタカーで家へ向かった。母は人づきあいがよく、友人が無数にいる。母への手紙の山の中に近所に住む薬剤師のドレイクから、彼の家で一緒に暮らさないかという誘いの手紙があった。「掃除機のほうがいいんじゃない?」と笑い飛ばした私に、母は彼の家で暮らすことにしたという。アンは帰りの空港へ向かう途中で・・・。

「コンフィデンス・デコイ The Confidence Decoy 」2006年 38ページ
フランシスは、亡くなった伯母の別荘から家具を積んで引っ越し屋たちと自宅へ戻る。数日前、ロースクールへ入った息子シェルドンからガールフレンドのルーシーとの婚約、あるいは結婚の時期の相談を受けた。ルーシーはどんな女性なのか、フランシスはよくつかめなかった。部屋のあちこちからバナナの皮が見つかる。謎だ(犯人はルーシー)。
引っ越し屋たちと自宅へ戻る途中、彼らが作っているデコイを買おうとアトリエに寄る。そこで、財布がないことに気づく。犯人は?(デコイは(おとりの)模型で、この場合は鳥。コンフィデンス・デコイは猟のおとりに使う)

「ヤヌス Janus 」1985年 10ページ
不動産屋のアンドレアは、売りたい家にある器を持ち込んで配置する。器はとくに目立つものではないのに、なぜか入ってきた人に気に入られ、取引が成立することが多い。(ヤヌスは前後に二つの顔を持つローマ神話の守護神)

「白い夜に In the White Night 」1984年 8ページ
バーノンとキャロルの娘のシャロンと、マットとゲイの娘のベッキーは子供の頃仲良しだった。しかし、ベッキーは13歳で家出し、15歳で妊娠中絶し、大学を中退した。シャロンは白血病で亡くなった。パーティが終わった後で、それぞれの夫婦は、・・・
避けがたい悲しみをやり過ごすそれぞれのやりかたを、彼らは互いに批判しなくなった。避けがたい悲しみは、どんなときも思いがけず訪れ、心を深くえぐる。降る雪を受け入れるように、その瞬間を受け入れるしかない。

「高みから Lofty 」1983年 26ページ
考えてみると、ケイトはこの家にフィリップと住んでいたとき、ごまかしてばかりだった。はがれかけた壁紙の裏に接着剤を軽くつけてまた貼り付けた、裏口の大きな藍緑色の瓶に・・・引っ越してきたとき、彼女とフィリップは愛し合っていて、この家も愛していた。やがて愛し合わなくなると、家はふたりの〇〇(?)を察して一緒に沈んでいったように感じられた。
フィリップはドイツに転勤になり、ケイトはニューヨークに引っ越した。それから10年経ち、再び家にやってきたケイトは大きなメイプルの木に登る。

「燃える家 The burning House 」1979年 26ページ

「ロサンゼルスの最後の奇妙な一日 That Last Odd Day in L.A. 」2001年 40ページ

「うさぎの穴 The Rabbit Hole as Likely Explanation 」2004年 40ページ
母は認知症になっていて、私の最初の結婚式に招待されていないし、父には別の家族がいたと言い張る。無理だとわかっていても、私は母を施設に入れたくない。医者から強く言われて、母が施設に入った日、弟ティムがガールフレンドのコーラとやって来る。
51歳で2度離婚した私に元ボーイフレンドのビックは言う「だったらゆっくり行こう。ぼくを招待してくれてもいいんだよ、感謝祭に一緒に行こうって」

「堅い木 Solid Wood」2006年 24ページ


2006年までに「ニューヨーカー」誌に掲載されたビーティの全短編48編が収められている『ニューヨーカー短編集』から2000年代の新しい作品5編と、勢いに乗っていた70年代から80年代のものを4編選び、さらに文芸誌「ブルーバード」から、2007年の『アメリカ短編小説傑作選』にも選ばれた1篇(「堅い木」)を加えた。

女性の顔を、とくに眼を丁寧に描いた中山徳幸のカバー装画が印象的だ。


私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)

アメリカの家庭の実状がよく浮かび上がっている。アメリカといっても、地域、収入などで様々で、都会のインテリの家庭に限られるのだろうが。

どの話も、小さな家庭生活の問題に限られていて、家族の中の亀裂といった表面には見えないが、何かの折に広がっていくような問題が描かれる。そして、彼らは、何か無力感にとらわれていて、その問題に立ち向かうというより、放置するというか、成り行き任せに見える。私には、アメリカ人って、真正面からぶつかっていくような印象があるのだが。

でも、アメリカの家族の問題は厳しい。登場人物のほとんどが離婚経験者で、連れ子などもゴロゴロ。複雑な人間関係のなかで、なぜかホームパーティは開く。


訳者あとがき
70年代、80年代にかけて、同世代の空気をとらえたビーティはまさに時代の寵児だった。・・・詳細な叙述を省き、細部をただ突きつける文章や、流れの途中で突然静止するような大胆な幕切れには、時代を味方にしている勢いが感じられる。
この時期の、簡潔な文章で身の回りの世界を描いたアメリカの小説は「ミニマリズム」と呼ばれる。代表的な作家には、ビーティのほかにレイモンド・カーヴァーがいる。
・・・
初期のころのビーティの短編は、あまりに唐突な幕切れに、原稿の最後の一枚が抜け落ちているのではないかと揶揄されたり、気まぐれだと批判されることもあった。・・・これについて、彼女は、・・・短編小説に結論はなく、止まるにふさわしい瞬間があるだけだと述べている。



アン・ビーティ(Ann Beattie)
1947年ワシントンDC生まれ。バージニア大学名誉教授。現代アメリカを代表する作家の一人。
1974年、雑誌「ニューヨーカー」に短編「プラトニックな関係」を発表してデビュー。
1982年『燃える家』
1985年『愛してる』
1986年『あなたが私を見つける所』
1991年『貯水池に風が吹く日』


岩本正恵(いわもと・まさえ)
1964年生まれ。翻訳家。東京外国語大学英米語学科卒業。
訳書に、A・ヘモン『愛と障害』、『ノーホエア・マン』、A・ドーア『メモリー・ウォール』、C・キーガン『青い野を歩く』、E・ギルバート『巡礼者たち』、L・ムーア『アメリカの鳥たち』、など多数。

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