ひつじ草の挑戦状

色んな思いを綴ってます。

森の鬼退治・武蔵の森

2012-01-09 | 森の鬼退治
私の子たちも、森の子鬼たちと共に過す時間が長くなり、稽古も同じで、
織田「おッ。いい勝負じゃないか」
池田「そう見えますか?」息子 之助(ゆきのすけ)が木刀を持ち、勝蔵が長刀で対決していた。
同じ年なのだが、体格が随分と違う。
織田「まるで、」面白そうに「五条大橋の弁慶と牛若丸だ」と見ていたが、
池田「…そうでしょうか?」牛若丸が霞んで見える。
織田「よし、武蔵坊 弁慶を戦に出す」15歳で初陣…それはいいとして、
池田「はぁ?」寄りによって、あの羽柴 秀吉と連座させた。つまり、小姓扱いではなく、いきなり「重臣?」扱いだ。もちろん、農民上がりの元 草履取りは面白くない。家臣共々、早過ぎると危惧したが、信長の期待に応えるべく、森の鬼武蔵は戦火に飛び込み、27の首級を上げた。長槍の振り回した、その戦い振りに、
織田「我が槍を持て」槍の名手が気前よく自慢の十文字槍を譲ったから、家臣はもちろん、織田家一族も驚いた。さらには、「確か、森家は源 義隆が祖だったな」
家督を継ぐ者には祖の一字、源氏であれば”義(よし)”を継承する。
「勝。これから、長可(ながよし)と名乗れ」
勝蔵「え…」
織田「我が字(あざな)“長(なが)”と源氏の字でお前の父の字“可(よし)”で、長可だ」
こうして”森 長可”が誕生した。これは、信長が彼を自分と同格であると認めた事を表す。
だが、この名前の一件でも良からぬ噂が立った。信長は長可に家督を譲るつもりだ、と。
ここで、事を収めておかねば、
池田「これでは、家臣たちに示しが付きません」
軍規違反のお咎めを請うたが、書状で注意するに留まり、
織田「良い働きだった。やはり、鬼ノ武蔵だな」その名の通り、武蔵守に就かせた。
20代にして他の家臣たちより多く石高を貰う等、その早過ぎる出世に、
勝蔵「この武蔵長可」微かな喜びを見出していた。主君に褒められる事がよほど嬉しかったと見え「その名に恥じぬ、武蔵の守(森) 長可となります」その様子を見て、
池田「…」教育係、父代わりの私は「良かったな…」嬉しくも誇らしくもあった。
しかし、依然向けられる家臣たちの鋭い視線が「…と」
「よッ、調教師(教育係)様」と現われた明智腹心の斎藤 利三「よく鬼を、手懐けましたね」
長可「…」サッ、と戦での手傷を隠した。


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