元京都市会議員鈴木マサホ「ひとくち日記-日々是好日」

鈴木正穂の身辺雑記として「ひとくち日記」を復活。人生100歳時代。コロナに負けないでどこまで書き続けられるか。

暑くなってきましたね。6月18日ー26日

2011年06月26日 | 日記
●6月26日(日)

      「朝粥の会」

 事務所にて毎月第4日曜日の朝9時から開催している朝粥の会。22回目になる。近所の常連さんたちに集まっていただき左京消防署の西本担当課長による、「京都で地震が起こったら!」と題した出前トーク。防災マップ左京区版など資料を示しながら、京都市消防の様々な取り組みについてお話をいただく。震災直後、被災地に救援に行った消防レスキューの活動なども報告していただいた。終わって、川端二条の河川敷で左京南部の消防分団による放水訓練を見に行ったら終わった直後だった。暑い中、お疲れ様でした。

      「大元講社の総会」

 11時から祇園の「福住」へ。わが事務所のお隣の中村さんが経営者。大元講社の総会。わが先祖の墓地である吉田神葬墓地のことや宗教法人に認可されたことで決算や予算、また今後の運営などについて協議。長老が元気な間に筋道を立てておければいいな。

      「バイバイ原発・京都パレード」

 総会も途中で抜けて梅小路公園へ。色々と議論のあるオリックスの水族館が建設中。外観が姿を現してきた。「放射能汚染はごめんだ!バイバイ原発・京都パレード&デモ」が芝生広場での集会も終わり出発するところ。わがポンコツ宣伝カーが先頭に、七条通から関西電力前、京都駅前を通って東本願寺前までぼくも久しぶりのデモを歩く。「反原発めだかの学校」の佐伯君らの出番。子供連れの家族での参加やサウンドデモというのか最近流行の楽器を鳴らしてのグループなど千人弱の参加者。

 1981年から96年まで15年間、毎月第3日曜日にぼくが世話人となって、槌田劭さんらと「核と戦争はごめんだ!市民定例デモ」を歩いてきたが、そのときの仲間の顔も久しぶりに見る。尼崎で市会議員になった弘中信正君ら「使い捨て時代を考える会」のメンバーとビールで喉を潤す。

       「同志社山岳部OB会」
 
 それから京都駅前のホテルでの同志社山岳部OBの総会。ぼくは2ヶ月ほどで退部したが、この春急逝された吉村公一先輩の推薦で3年ほど前に会友になった。奥さんも来られていた。吉村先輩へお礼を述べるとともに心より御冥福をお祈りし、また現役の学生が、昨年はネパールの未踏峰登頂に成功して京都市スポーツ表彰されたことを紹介して挨拶とした。

 夜は明日から一週間ほど京都を留守にするので、市民派議員レポートの夏号の原稿の仕上げ。明日から夏休み気分。久しぶりの長期休暇。
 
●6月25日(土)

       <きょうと教組の定期大会>  

 朝、解放センターへ。きょうと教組(京都府教職員組合)の定期大会。ちょうど来賓の挨拶の終わりかけに飛び込む。京都は教員の非組合員が増えていると聞くが、圧倒的に共産党系の全教と呼ばれる全日本教職員組合に加盟する京都教職員組合が圧倒的に勢力が大きい。きょうと教組は、民主党系で連合に加盟している日教組(日本教職員組合)の組合。
 20年ほど前に結成されて、ぼくの同世代の友人が委員長だったこともある。残念ながら組合員は少数。家族的な雰囲気。7期目の当選を果たしたお礼とこの間の教育福祉委員会でのやり取り、特に学校プールの放射能線量の検査のことなど報告して挨拶とする。

 帰途、久しぶりに下鴨の「チョキチョキ」という千円のカットハウスで整髪。青色吐息ながらなんとか続いているようだ。

     <原発についての24年前の本会議質問> 

 午後は、ステテコ姿のウルトラクールビズスタイルで事務所にて終日議員レポートの原稿書き。5月市会定例会の報告が中心だが、チェルノブイリ原発事故の2年後、1988年の7月の市会本会議で、放射能汚染の輸入食品の検査やモニタリングのこと、また核燃料輸送のことなど質疑をしているのだが、その議事録を読み返しながら原稿を書く。あれから24年目の夏。当時、原発の安全神話を信じない、他人事ではないとぼくは発言しているが、フクシマ原発事故でほんまにえらいことになったな。

      <同志社総政会> 

 夕方は、久しぶりに同志社大学総合政策科学研究科の同窓会「総政会」の役員会も後の懇親会に出かける。宇治市役所の松田君がぼくの後の5代目会長。この5月から総政の大学院の事務長は、修了生の久山さん。今後の総政のあり方などについて議論。11月6日には総会とシンポジウムを予定されている。
 13年の大河ドラマに新島襄の妻八重が主人公になるとかで、同志社が脚光を浴びることになりそうだと話が盛り上がる。

●6月24日(金)

      <コミュニティサイト>

 梅雨明けなったのか、真夏日を思わせる太陽の陽射し。午前中、コムページの牧野君と懇談。コミュニティウエブサイトを新たに立ち上げることで色々と打ち合わせ。左京の活性化とネットワークを作ることを目標に準備を進めたい。関係者の皆さんにいずれご支援のお願いに行きますよ。


 昼前歯医者に。わが歯医者仲間の松橋二郎夫妻と久しぶりに会う。10歳上だが元気そうです。松橋さんは同志社の大先輩で随分前だが前原誠司議員の秘書をされていた時もあった。四方山話。

      <寺田バレエ・キエフと姉妹都市40周年>

 午後、寺田バレエアートスクールに。今年はキエフと京都市が姉妹都市になって40周年。高尾美智子さんは長年、文化交流に尽力をされてきた。この夏は、キエフからバレー団もやってきて公演があるし、市長ら京都市民が交流事業でキエフに行く。ついては在ウクライナ日本大使館の対応がスムーズに行っていないので前外務大臣である前原議員に会って話をしたいということ。また隣接する吉田山公園入り口の管理のことなど相談ごと。


 夕方は、きょうと教組の今井委員長が来所。ぼくのポンコツ宣伝カーに「放射能汚染はごめんだ!」の手作り横断紙を貼り付ける作業をちょっと手伝う。26日
に梅小路公園で脱原発の集会がある。ぼくも参加しようと思っている。

 夜は、鴨沂高校同窓会会報の原稿の仕上げ作業。山岸校長にも電話で尋ねたり。原稿の中味は、今年鴨沂高校を卒業して市の職員として北区役所まちづくり推進課で頑張り始めた佐々木祐君のこと。

●6月23日(木)

 午前中、とある用事で松ヶ崎の新左京区役所へ。駐車場が満車で暫し待ったが、開所して一ヶ月余、庁内は広々としてゆったりしてロビーでは左京の昔なつかしい風景の今昔写真展が開催中。岩倉や修学院や松ヶ崎など昭和30年代頃まで田んぼやった。

        <聖護院消防分団後援会>

 昼前、聖護院は蕎麦の河道屋さんで6月恒例の聖護院消防分団後援会の総会。わが同級生の吉川文一分団長ががんばっている。事務局は元聖護院の分団長で左京消防団副団長も務めた辻川博さん。元気になってよかった。西川左京消防署長や府市会議員が来賓。各種団体の代表が集う。

 帰途、錦林小学校に寄り山本早苗校長先生に面会。ビオトープとして作られた池が年月も立ちボウフラが湧くようになり、悪臭もして改善したいとのこと。教育委員会と話しをしないといけないかな。

 午後は、京都高野川ライオンズが応援している左京小学生バレーボール大会のことで三条京阪の有済小学校跡地の体育健康教育室へ。木造の校舎がなつかしい。担当者にこの間の経過など説明。

         <自治体議員ネットワーク幹事会>

 午後4時前、京都府庁へ。遅くなったが22年の鈴木マサホ後援会収支報告書を提出。そして府議会の民主党議員団室の会議室で自治体議員ネットワークの幹事会。7月末に総会と研修会、また懇親会を開催する予定。田淵代表幹事らと打ち合わせ。ぼくは事務局長。さてこれからどうするかな。

         <鴨沂高校の後輩と>

 夕方は、わが鴨沂高校の後輩になる今年卒業した佐々木祐君と懇談。昨年の京都市職員採用試験の中級試験に80人ほどの応募がある中で2人だけが採用されたのだ。お見事!新社会人としてこの春から北区役所はまちづくり推進課に勤務。19歳の好青年。ぼくは鴨沂高校の同窓会として会報に彼のことを載せるつもりでとある居酒屋でインタビュー。彼はもちろんコーラ。高校生活を振り返ってもらい京都市職員として豊富を語ってもらう。ぼくは19期生。彼は63期生かな。未来は彼らに託そう。がんばれよ!

●6月22日(水)
  
         <学校プールの放射線量は? 教育福祉委員会>

 毎月第二週の水曜日は教育福祉委員会の開催日。今日の委員会は報告事項はなし。まずは教育委員会と一般質問。ぼくは午後から質疑に立つ。まずは前回の委員会で質疑をした学校プールにおける放射線量の検査について。わが議員団のスタッフの中村さんが摘録を作ってくれていたのでその要旨を記載しておこう。
(Q)各プールを検査したそうだが、日時等の報告を。
(A)6月14日、15日で14行政区からランダムに抽出し、測定をした。結果、健康に問題のある場所はみつからなかった。
(Q)いつからプールを使用するのか。学校プール使用直前にも検査をすべきだと思うが、どうか。
(A)早くて6月始めにはプールの使用が始まっている。現在ほとんどが使用を始めている状況にあり、夏季休暇まで使用することになる。休暇中は自由利用となっている。今後の検査の予定としては、おおむね使用前に水の入れ替え、使用後に入れ替え、夏季休暇前も入れ替えることで計3回水の入れ替えを行う。空気中の放射線量に異常あれがあればただちに検査する。と体育健康教育室長が答弁。データはあるので、興味ある人はお伝えしますよ。

 その後、高桑教育長が就任してちょうど4年目。彼と、この間の地域に開かれた学校づくりをキーワードに、わが母校第四錦林小学校の創立80周年式典の模様を報告しながら教育改革についてウンチクを傾けながら20分ほどラリーをする。

 またわが家の近くにある白川総合支援学校のことや学習困難児など総合育成支援教育の取組みについても歴史的な経過を多少交えながらこれまたラリー。さらなる理解と充実を求める。

 午後2時からは保健福祉局。共産党の3人の女性議員さんが一般質問を事前に通告していたので給食材料の放射能線量の検査や西京区で起きた水道管破裂に伴うガス管事故で保育所などの対応について質疑もあった。

 閑話休題。この春当選した新人の某議員。まだ質問をしたことがないが、様子を見ていると委員会での質疑のメモを取ることなく、他の関係のない新聞記事を読んだりしているので、廊下で、もうちょっと勉強せんといけないね、と注意しておきました。
 

 夜は、梅小路公園や鴨川の花回廊など設計した空間創研の吉田昌弘さんや立花正充さん、そしてわが吉田の剣鉾仲間の吉田章博君らと談義。ランドスケープのこと、自転車対策のこと、健やか公園のこと、鴨川のこと、歴史のこと、いやはや愉快なアイデアが一杯でてきた夜でした。

●6月21日(火)

 久しぶりに浄土寺の吉田デンタルクリニックへ。選挙後初めてなので歯科医師会の推薦をいただいたことのお礼も。例によって歯石を取ってもらう。久しぶりの快感だ!

 その後、夕方まで終日、後援会の収支報告の点検や民主党党員サポーター登録の最後のお願いと名簿の点検等。民主党への逆風にも関わらず、前年度とほぼ同じ人数の方に登録してもらった。感謝です。

 来客は京都高野川ライオンズクラブの吉岡さん。事務所の移転のことで相談に。
 夕方は、とある別件の相談ごと一件。

 そして夜遅く、明日の教育福祉委員会での質問のメモ作り。国会では復興基本法が成立し、この間、菅首相の退陣時期について取りざたされていたが、国会も延長されるとかで、風向きが変わってきたのかな。菅さん、執念でいつまでがんばるのかな。

●6月20日(月)

    <吉田神葬墓地> 

 昼過ぎ議員団室に。我が家の先祖の墓がある吉田神葬墓地のことで管理する大元講社の長老と司法書士さんと一緒に保健福祉局の担当者と今後の管理運営について相談。
 なにしろ明治、大正の時代に十数人の共同名義になったままになっていて、大元講社が宗教法人化した今、どう整理するか課題が多い。色々とアドバイスを求める。また道路明示課にも出向いて、神楽岡神葬墓地周辺の明治時代の地図を見せてもらう。古地図を見るのは面白いな。情報化推進室に出向いて早速情報公開制度を活用してコピーをとってもらうことになった。

    <食の安全安心推進審議会> 

 それから消費生活総合センターで開催されていた食の安全安心推進審議会に遅ればせながら傍聴に。放射能検査の実施報告や生食用食肉による食中毒防止の取り組み状況の報告や食の安心安全推進計画の事業について説明と意見交換があるのを見守る。
 某百貨店の食品担当の委員は、被災地の生産者を応援しなければという思いと消費者の放射能汚染による安全性の確保の間で悩んでいる様子。京都市として放射性物質の検査をしっかりやりきることが大事だと思う。
 教育福祉委員会で食品の安心安全確保については今後も議論していきたい。これから食中毒のシーズンです。くれぐれもご注意を!ユッケは食べんほうがいいのかな。

 帰途、久しぶりに民主党の京都府連に立寄って宇都宮事務局長らと四方山話。自治体選挙も終わり束の間の比較的暇なときかな。

●6月19日(日)

     <吉田山大茶会>

 昼前、吉田山大茶会に。どんよりした梅雨空だったが、雨も上がり境内に出店が出てよかった。仕掛け人の岩茶房の左能典代さんと1年ぶりに再会。晴女ですね。わがカミさんは韓国茶道のコーナーで手伝い。ぼくはトルコのチャイをいただく。

     <市民環境研究所、減原発から卒原発> 

 午後は、市民環境研究所の総会と講演会。主宰者の石田紀郎さんは、京大助手の時代からの長い長い付き合い。1987年清水達也氏とダブル初当選した時の参謀でもあり、京都の市民運動のリーダー。

 記念講演は、元さきがけの代表で内閣官房長官、大蔵大臣もされた武村正義さん。76歳かな?お元気そうでした。「東日本大震災後の社会と脱原発政策」というテーマで、未曾有の大災害に直面して「減原発から卒原発へ」と訴えながら、少子化時代を迎える中での財政問題、消費税のこと、また菅政権のやり方などについて話された。参加者から質問もあり、関西広域連合は仲良しクラブだとも言われるなど、まあご意見番かな。
 講演の後、市民環境研究所事務所にて坊主頭の槌田劭さんや角替元府会議員らも参加しての懇親会。農薬ゼミや市民運動で培ってきた石田紀郎さんの人脈が集まりワイワイ。7月には原発問題で、ぼくが主催する勉強会には石田さんに参加してもらう予定。

●6月18日(土)

 午前中、ちょっとダウン気味。昼前、吉田神社境内で開催されている吉田山大茶会に行く。今年で2回目。ちょっとしたご縁があって応援している。残念ながら雨で参集殿と吉田幼稚園の園舎内での開催。静岡や宇治のお茶の名産地をはじめ中国茶、韓国茶、珈琲など世界のお茶のブースが並ぶ。ゆっくりする時間もなく残念。

       <民主党京都府連幹事総会>

 午後民主党京都府連の常任幹事会と幹事総会。
 常任幹事会は淡々と終了して、幹事総会では、公務多忙な内閣官房副長官の福山参議院議員をはじめ、京都が誇る9人の国会議員、山井、前原、福山、松井、泉、北神、平、小原、豊田議員が珍しく全員集合。この春の選挙で当選した議員や健闘むなしく当選できなかった候補者らも参加していた。
 各国会議員の挨拶は、統一自治体選挙についてお詫びの言葉から始まった。会長の山井議員は国会対策のこと、前原議員は、菅政権の退陣を促し、久しぶりに出席した福山議員は、ちょっと疲れ気味か、元気がない感じ。政権内部の議員、党の役職についている議員、或いは、不信任案に同調しようとした議員もいたので、その発言が9人9様。ちょっとづつニュアンスが違うのだ。さて、これから国会議員のみなさんは、どういう行動に出るのか、注視しておきたい。
 ぼくは、自治体議員ネットワークの事務局長として総会の案内を一言。ともあれ、永田町がどう動くのか、菅退陣に関わり風雲急を告げているが、なんとかこの春の選挙では、京都の民主党は踏みとどまったものの、来るべき市長選挙や衆参選挙や4年後の統一自治体選挙を目指してどう再構築するのかが、問われている。

 夕方は、銀閣寺前の焼き鳥屋「きてや」にてとある知人らの会合によばれる。話の中で、かつて民主・都みらい議員団に在籍していて、色々とあって辞職勧告決議もして、最後は辞職した某元議員の話が出た。思い出したくもない話だが、2004年のことだったか、夏には天方晶英議員が急逝され、議員団はテンヤワンヤ。ぼくは団長をしていたが、心身ともに疲れた年だった。もう8年前のことか。天方議員の子息、浩之君はこの春トップ当選で2期目。頑張ってますよ。
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